私は目が覚めた。しばらく高く飛び、それから低く飛ぶ。右手で、次に左手で、操縦する。一時間ごとに燃料タンクを調べ、計器類を読むという機械的操作もやる。午後四時五十二分、九時間分の燃料を消費し、約八百ポンド積載量が減り、機体はよく浮く感じがする。
地上では谷間や岩陰には、処々に残雪が見える。私は大洋の上六メートルを低く飛ぶ。睡魔が忍び寄り、一分ごとに眠気が強くなってくる。居眠りは僅か数秒のつもりでも、時計の分針が数区分動いている。体全体が心底から睡眠が欲しいと主張している。
眠気がこう酷くては、夜明け、明日、明晩・・・、一体どうして過ごすことができよう。機体を水面上六十~九十メートルに保ち、顔や体を乱暴に揺り動かし、足で床板を地団太踏む。体をミミズのように屈伸してみたりし、私はまた半分眠っていた。
私は下を見おろす。遥か遠くに、紫色に霞んでニューファウンドランドの峩々たる山々がそそり立っている。薄い層雲が溶けた黄金のように燃えている。アメリカの最後の時間であり、最後の日。鷲のように断崖を滑空し、ニューファウンドランドの最後の山々を低く飛ぶ。
夜明けはまだまだ先だ。現在の問題は、睡魔と闘い、羅針儀をしっかりと把握することだ。
日は殆ど没した。高度は今千五百メートルでなお上昇中だ。もう真っ暗、時計は未だニューヨーク時間で、午後八時三十五分。機首を少し上げ、固定装置を入れる。
私は雲の山脈の上にいた。巨大な雲の柱が、普通の雲塊の上へ幾千メートルももくもくと押し上がってくる。機は雲の中に突入。大気は荒れて機をもみくちゃにする。この渦巻く雲の中での目暗飛行には、精神の集中が必要だ。旋回計、傾斜計、飛行速度計、高度計、羅針儀、私の前の全ての計器類をしっかり点検~機体をちゃんと操作しないといけない。
この上空では前より一層寒い。高度計を見ると、三千百五十メートル。寒い――懐中電灯で翼柱を照らしてみる。へりが凸凹になって光っている。――氷だ! すぐ機首を巡らし、雲のない空に引き返さなければならない。私は旋回計の針が左へ四分の一インチ動くまで、方向舵のペダルを踏み続ける。雷積雲の周りを縫うように飛び、絶えず南の方向を選ぶ。
眠気が麻薬のように私の抵抗を圧倒する。五秒間だけ瞼の閉じるのを許す。私は両足を床板の上でバタバタやり、痛くなるまで頭を振る。時刻午前一時五十二分、パリまで半分の処に来た。計器盤の文字はボーッとかすみ、頭はふらふらする。操縦席の片側に寄りかかり、頭を窓の外に出す。プロペラから流れてくる新鮮な強風が両瞼を無理にこじ開けてくれる。
大洋が再び次第に緑色になってくる。計器盤の文字が私を睨みつける。私はいま死の淵に指先でぶら下がっているのだ。だが、気力が回復しかけ、意識が甦ってきた。頭をプロペラの風に当てて深呼吸。遂に睡魔の呪縛を破る。私は重病から回復したかのように感じた。
手を伸ばし、磁気羅針儀を調整する。ほとんど針路は正確だ! 昏睡状態にあった幾時間は無駄ではなかったのかも知れない。私の飛行計画は完全だ。はっきりと意識も甦り、目を海と水平線の両方にやる。太陽は頭上に輝き、操縦室の天窓から差し込んで照りつける。
深夜三時ごろ、最初のスコールに遭う。北東の水平線上に青い帯状のものが見える。ニューファウンドランドを離れて十六時間。アイルランド上空に達したのだ。起伏する山々や、フィヨルドの入り組んだ海岸。野の緑が濃く、古びた山々は円味を帯びている。
私はほとんど間違いなく、自分の針路上にいたのだ。北に向かってじりじり進んだ私の直感の方が、理論的な航空術よりももっと正確に機を導いてくれたのだ。アイルランドの南端を旋回降下し、小さな集落を見下ろす。走り出た人々が上を見上げ、手を振っている。
散り散りのスコールが靄の間から現れる――空は晴れ、ほとんど水平線の彼方まで見える。すぐ近くにはイギリスのコーンニッツ海岸があり、船が見える。ちらっと見ただけでも、四隻。燃料は十分あるし、力も満ち満ちている。この飛行の大難関はもう通過したのだ。
ニューヨーク時間で午後一時五十二分、ここでは大体午後六時半。私はイングランドの南西端コンウォールを通過している。すぐ鼻先にイギリス海峡があり、五、六隻の船が見える。フランスの海岸が、落日の光に燃えながら、迎えの手を差し伸べるように近づいてくる。
上昇にかかると、エンジンがブルルンと痙攣! 進路の行く手に、ほのかな白光が見え始める。パリが大地の端からせり上がってくる。無数のピンの点のような明かりが現れる――パリの灯だ。遥か下方に、点々と伸びる光の柱はエッフェル塔だ。その上空を旋回し、ル・ブールジェ空港を指して針路を北東に転ずる。
五分余り過ぎ、かなり前方に見える沢山の明かりは間違いなく飛行場だ。高度三百メートルから私は左翼を下げ、降下旋回に移る。スロットルを絞り、車輪が柔らかに地面に触れる。「セント・ルイス号」はル・ブールジェ飛行場の中央の固い土の上に停止した。
私は1927年5月の夜、ル・ブールジェ飛行場で私を待っている人たちによって歓迎を受けた。「セント・ルイス号」は何万という群衆の圧力でガタガタ震えた。私は扉を開けた。何本もの手が私の手や足を、体を攫んだ。群衆は私を担ぎ上げ、落とすまいとしていることが判った。この後、私はアメリカ大使館へ丁重に案内され、輝かしい栄誉の大歓迎を受けた。
<筆者の一言> リンドバーグの著書の原題は『The Spirit of St.Louis』。和訳本の題名『翼よ、あれがパリの灯だ!』は日本語では広く知られているが、実は英語圏ではこれに対応するセリフは存在しない。リンドバーグが空港に着陸後に発した第一声は「ここはパリですか?」または「トイレはどこですか?」の二説がある。その時、彼はパリに着いたかどうかも実は明確には判っていなかった、というのだ。彼の無着陸による飛行時間は実に33時間半。出発の前夜も睡眠が十分ではなかったようだから、睡魔との闘いが一番のカギだった。原著の記述には、強い睡魔の余り、幽体分離(自己像幻視――肉体と魂が分離した状態)を思わす記述さえあり、危機一髪。 1よくもそんなに長時間無事だったなと改めて感服する。
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