◇ザイドの家族、妻ヒルファ
遊牧民のザイドにはヒルファの他にもう一人の妻があったが、逃げてしまった――大抵の夫婦では、男が暴虐であるため、これは珍しいことではない――そして今は彼女の母親の部族、ビシュル族と暮らしていた。この部族は、同じ荒野を我々より僅か前方で放牧しつつ移動していた。ザイドは、この隣人の許へ馬を走らせ、自ら嘘偽りを十分承知で結構な約束を並べ、再び彼女を我が物として連れ帰った。
ある首長が私に語ったところでは、この女は「卵のように大きい目をした」美しい女だということだったが、会ってみると、目ばかり大きくて、蒼白い女だった。戻って来た妻は、嫉妬心に燃えたヒルファの居る我々と一緒にテントを張ろうとはせず、ある肉親と共に別の宿営地にその小屋を「建てた」。
ザイドとヒルファは又従兄妹。ヒルファはある首長の遺した孤児で、ザイドは一つには彼女の父親から譲られた二、三頭のラクダの故に、彼女を娶ったようだった。ヒルファは背の低い、ずんぐりしたベドウィン娘だった。年齢は二十歳位だったろうか。その子供っぽい顔には、青春の盛りも粗方は消えて、今や秋の訪れが見られたが、決して汚くはなかった。
彼女はいつも明るいが、ぎこちない笑いを立てはした。それは充たされぬ心故に、きっと吐息に終わるのだった。「悪しき夫は女の吐息」と諺は言う。ヒルファは、母に成れぬことを思って、吐息を吐いたのである。彼女はもう二年間夫と共に暮らしたのに、未だ子無し。遊牧民の言葉では「娘のまま」なのだった。そして彼女は、セム族の女らしく心の中で泣いていたのである。
ベドウィンらしい素朴さで、私の前に座っている二人は、毎日楽しく戯れていた。私たちは皆一家族であり、好意を持ち合っているからである。しかし、その最中に、よくヒルファが膨れてしまうことがあった。すると、ザイドは、冷たく彼女を投げ出してしまい、二人の心は再び離れてしまうのだった。ヒルファは重い気持ちで、もはや気が抜けてしまったザイドなどよりも若々しい夫を望んでいたのである。
ザイドは自分に子供を与えることが出来ないのでは、と彼女は思っていた。二人は何度も何度も異国のクリスチャンである私に向かって、自分たちに子供が出来ないのは何故だろうか、復従兄妹同士で結婚したのが律法に背いている故では、と尋ねた。
小柄な体で短気なヒルファは、首長の家に生まれた高い血筋の故に、女部屋の中の首長であり、男たちにも敬意を払われていた。主立った首長たちは皆、彼女の近親者だった。アラビアの小部族小村落の間では、絶えず近親同士の血の交わりが行われている。何世代にも渡ってそれが行われてきた果てに、今日では、そのためにどれだけこのセム族が衰弱したか判らないと思う人もあろう――だが実際には、殆ど白痴もいざりも見当たらないのである。
大胆なヒルファは、道徳に背き、部族民の中のある好もしい若者に目をつけ、夫の留守の間に堂々と言い寄って、ザイドの怒りを招いた。が、彼は分別があり、首長としての務めに忠実だった。この辺のフカラ族の女たちは極めて率直で(全ての者が近親者の土地柄か)、私は一度も夫たちが嫉妬心を起こすのを見たことがない。ヒルファとザイドの喜劇は、彼らの親族たちが集まって珈琲を飲む長老会議で、毎度冷やかしの種になった。
◇女の運命、息子と娘の違い
この土地では、女の運命は不平等な妾関係であり、貧しい生活故に、退屈な隷属的な身分である。女に対する両親や後見人の所有権は、夫となる男が幾ばくかの金を渡してもらい受けるのだ(弱き性としての彼女に対する侮蔑と強制である)。そして、いつの日か夫が彼女を愉しむことが出来なくなると、離別されるかも知れないのである。
男の心はその女だけが独占するわけに行かない。他の女と自分の結婚生活を分け合うことを考えなくてはならない。遠からず彼女が衰えてくれば、息子を孕むという素晴らしい手柄を立てない限り、確実に無益なものとして追い払われてしまうのだ。愛とは鳩のように優しい信頼だ。侮辱された女の心がそれを認めるわけがない。
幸せな結婚生活が長く続く遊牧民の女は殆どいない! 最初の夫の家にずっと居る女はごく僅かか、皆無に等しい。豊かな男や首長のような場合は、やがて古女房とは離れて新しい花嫁の寝床に移っていく。そうでなければ、天の定めに従った回教徒の男とは言えないのだ。豊かな男は、季節によって衣裳を取り替えるように、新しい妻に楽しく金を使う。
捨てられた妻は、誰か年取った女を好む偉い男に拾い上げられるか、もっと貧しい男とまた結婚して家事に従事するのである。女の喜びと慰めは息子の母となることである。そうすれば、少なくともその子の無情な父親が彼女を捨てる時が来ても、息子のテントの中に主婦として留まることが出来るのである。
女という性は、古代の遊牧民にも、モーゼの律法においても、蔑まれている。女児が生まれた場合、浄めの式の期間は倍になり、その赤ん坊の評価も半分である。しかし男児を生んだセム族の母親は名誉である。野蛮なアラビア人の間でも、大人になった息子が若々しい妻に対する愛情よりも母親を大事にして、細かく敬意を払うのはよく見られるところだ。
ザイドは意地の強い妻をみっちり馴らそうとし、折を見て夜中に鞭で叩き直した。ヒルファはザイドが長老会に出かけると、怒ったまま全てを放り出して荒野に逃げ帰ってしまった。不満のあるベドウィンの妻はこうして問題を解決するのだ。夫が私を自由にしようとはしないから、私は夫から離れたのだ。夫との結婚生活も家族も捨てて行くのだということを示し、夫を公衆の笑い者にするのである。
翌日の午後、私はヒルファをザイドの家に連れ戻すために出かけた。ヒルファは少し恥ずかしそうな顔をして、私を出迎えた。年取った女房たちは叫んだ。「私たちのパイプに煙草を詰めなさい。でないと、ヒルファはやらないよ」。若者たちは、自分たちがヒルファと結婚する、彼女は離さない、二度と「あの悪いザイド」には渡さない、と言うのだった。私は(みんなのパイプに)煙草を詰め、老婆の群れ共々、私のテントに戻った。――そしてヒルファは、再び自分の家に戻ったのである。
◇メッカへのキャラバン
私はこの数年、その内容たるや一生に匹敵する長い月日を、アラビアで過ごしてきた。そして今やアラビア半島の真ん中に居た。私がアラビアで罹った病も、段々酷くなってきていた。手足は腫物だらけだった。この根太は、悪い水を飲むのが原因だとされている。私の場合は(腫物は)五カ月近くに及んでいた。
――遂に、タイフの町は眼前に迫った! 二年間砂漠を放浪した後の私には、素晴らしい眺めだ。町の向こうには低い山々が続き、黒々とした岩ばかりの景色も望むことができた。
町全体の眺めは、全ての住民が住んでいるのは夏季だけなので、荒廃している。
(注)かのアラビアのロレンスによる本書推薦の言を付け加える。「私はアラビア・デセルタ(ダウティの著作『アラビア砂漠』を指す)を十年間も研究してきたが、今やこれが世の尋常な書物でなく、いわばこの種類中の一つの聖書であると思うに至っている。このような書には年代はなく、時とともに古び去ることも決してあるまい」。
▽筆者の一言 偶然の暗合に驚く。中東の砂漠の民に関する必須の文献に目を凝らしている最中、痛ましい惨禍がガザ~イスラエルにまたまた降りかかった。テレビの画面や新聞報道が連日のように伝える生々しい現実にただただ息を呑み、己の無力さが歯がゆく、嘆かわしいばかりだ。私なりに互いの憎悪の淵源に思いを致す。自身は正しく、相手が悪いという絶対的な思い込みだろう。事態の淵源にさかのぼれば、アメリカとイギリスが第二次世界大戦直後、中東の一角に人工的な「ユダヤ人国家」をこしらえた一事にどうしても行き着く。「覆水、盆に返らず」という諺を改めて、苦く、痛ましく、かみしめるほかない。
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