世界のノンフィクション秀作を読む(33) L・ペイヤールの『ラコニア号遭難事件』(筑摩書房、近藤等・寿里茂:訳)――信じ得ないナチスUボートによる人道的救援活動の記録(上)

 ナチスの暴状を知る者には信じ得ない物語である。Uボートの艦長が撃沈した英国の輸送船の乗員を救助するため、命懸けの異常な行動に出る。フランスのノンフィクション作家L・ペイヤール(1898~没年不詳)は独・英・仏の三方面の関係者から詳細正確な資料を集め、その稀有な人道的救援活動の一部始終を子細入念に綴っている。

 ◇ハルテンスタイン艦長とUボート156号、そして商船「ラコニア号」 
 1942年9月12日、11時30分。果てしなく続く白味がかった海に熱帯の太陽が照りつけている。パルム岬(西アフリカのリベリア海岸南東端にある)の南方五五〇マイルの処を、今U156号は浮上航行で南進中だ。ロシアでも、アフリカでも、ドイツ軍は破竹の勢いで戦果を挙げ、デーニッツ麾下の潜水艦隊の全員も意気軒高たるものがあった。
 11時37分、「右舷二三〇度、煙発見!」。艦長の命令が下り、巡航速度一〇ノットから一六ノットに直ちにスピード・アップ。司令官ハルテンスタイン少佐は、遠距離望遠鏡で例の煙を注視している。12時20分、敵船はジグザグ航法を取っている。未だ、こちらは発見されてはいまい。15時、最初の発見時の感じよりずっと大きな敵船は一五ノットで航海中。
 21時。南緯四度、西経一一度〇八。三一〇度方向の敵船に接近する。22時7分、「発射管1号・3号用意!」。ハルテンステインは最後に潜望鏡を見て、指令を下す。方位・速度・伏角・・・。「第一発射管、発射!」。少佐自ら力を入れて発射スイッチのレヴァーを下げる。この時、彼とても、いま発射した二発の魚雷が、まさか海の最大の悲劇の一つの原因になろうとは、夢にも思わなかった。

 その夜の一か月前、1942年8月12日。船齢二十年という老朽商船ラコニア号(一九、六九五トン)はスエズ湾に投錨していた。前日に、三千の英軍将兵が装備と共に上陸を終え、急いで運河地帯を離れなければならなかった。いつ、ドイツ軍爆撃機に攻撃されるか判らないからだ。大西洋の海の戦いは、今や枢軸側の潜水艦作戦で頂点に達していた。
 平時に北大西洋航路を走っていたラコニア号も、こんな次第で戦艦「ネルソン」など数隻に護衛された十七隻の船団に編成され、アフリカ回りでスエズに到着したのだった。兵員は上陸を終えたが、帰航にも乗船者があった。重傷の英軍将兵、カイロ周辺に居住していた官吏とその家族、そしてリビア戦線で捕虜になったイタリア兵千八百人余り。彼らは垂直な鉄の階段を通って船倉へと降りて行き、扉に錠が下ろされ、監禁状態となっていた。

 ◇「S・S・S!」 
 潜水艦の司令室に居た連中は皆、第一回の魚雷命中で、水柱がラコニア号の真ん中辺りに高く上がったのを見た。水柱は上甲板にまで届き、その後、船体の黒い裂け目がはっきり見えた。慎重に、U156号は船に接近する。敵船は船足を停めるまでに半マイルほど進行して、停止した。右舷が傾いている。信号兵が敵船の電文をキャッチする。
 ――S・S・S。コチラ、ラコニア号、雷撃ヲ受ク・・・
 通常の遭難信号ならS・O・S、「S・S・S」は「我レ潜水艦ニ攻撃サル」だ。司令室から航海士の声がする。「撃沈したのはラコニア号、一九、六八五トン。1922年建造。開戦当初より兵員輸送に従事、六千名収容可能」。
 当のラコニア号では、事態を悟ったシャープ船長が退船命令を出していた。轟轟という音が船橋にまで響き、船腹の裂け目から大量の水が流れ込んでいた。船長は「救命艇デッキから、できるだけボートを海に降ろすよう」指示。各部の乗組員に退船命令を出した。Bデッキに居た一団の乗客は、海よりも船に居た方が安全だと思い、避難をためらっていた。
 雷撃から二十分、筆舌に尽くし難い混乱が、救命艇甲板を覆っていた。三等航海士のバッキンガムは、広い甲板の後部に辿り着いた。未だ二~三隻は救命艇を海に降ろせる。筏も、船が沈む時には滑り降ろして水に浮かべられる。もう終わりはすぐそこまで来ていた。

 20時46分。右舷に傾いたラコニア号は、船首の方から次第に沈んでいった。船上に留まっていた最後の乗客たちの生命も、今や風前の灯。船体の中央部から後尾にかけて、数メートルに亘ってぱっくり口が開き、船内に轟轟と音を立てて海水が流れ込んでいた。少しでも場所を取るまいと立ったままの人間を満載したランチに、更に乗り込もうと人々が骨折っていた。陸軍の高級将校が一人、命令を下した。「この筏を降ろせ、各自退避しろ」。士官のライリーも退船すべく、筏を海上に降ろした。海上は真っ暗だった。
 乗客のピールは最後にラコニア号を離れた連中の中に居た。海面まで数メートルしかない縄梯子に齧りついていて、絶望の声を耳にした。それは人間の声とは思えなかった。ピールは黒い海に滑り落ちると、初めて叫び声がはっきり響いてきた。「鮫だ!」。一メートル五十ほどの小さな鮫が何匹も居て、遭難者の群れに忍び込み、鋭い歯で尻の肉を食い千切っている。ピールはどうにか筏を見つけ、幸い乗り込むことができ、事なきを得た。

 U156号艦上。「酷いことになっている。いつまでも、こんな処には居たくない」と艦長は言う。敵船撃沈はこれまでタンカーや貨物船ばかりで、商船という場合はなかった。今度は事情が違う。何千という人間、恐らく婦女子が、雷撃で水中に放り込まれている。
 ラコニア号の位置は、直前一マイルの処だった。材木や筏にぶつからぬよう、注意して操艦しなくてはならない。艦長の眼には、漂流物に掴まったり、泳いだりしている人間が映った。三、四ノット位に減速して進むと、周りは破壊と死の荒野だ。ラコニア号の姿は、立ち昇る黒煙で見えない。筏の上の遭難者二人が艦上から投げたロープで引き寄せられた。「イタリア人だ」と言い、千人以上も居て、捕虜だということが判り、艦長は肝をつぶす。
 遭難者が次々救い上げられていたが、イタリア兵ばかり。恐らく連中が固まって泳いでいた一帯だったのだろう。やがてラコニア号は23時25分、轟音と共に海底深く没した。
 火山が海底深くから突然湧き上がったかのように、水は轟き、渦を巻いた。人間、筏、板切れ、何千というめちゃめちゃな残骸が、水面に浮かび上がってきた。
 海面にはイギリス人とイタリア兵がいたが、全員を救助すべきだと、乗組員の誰もが考えた。まもなく艦内の前後尾魚雷発射管室は、遭難者で溢れてしまった。約九十名が救助されたが、ぎっしりと寄り合い、立ったまま。熱いコーヒーを飲み、スープをすすっていた。U156号は漂流物の間を進み、女や子供の泣き声の上がるボートに向かって進んだ。

 ◇「神の祝福あれ・・・・・・」 
 9月12日から13日にかけての夜は、遭難者全てにとって、無限に続くように思われた。ある者は、ボートにギュウギュウ詰めになっていて弱り切り、頭も朦朧としていた。皆びしょ濡れで、体もすっかり水浸しであった。日中は酷く暑かったが、夜は凍り付くかと思われるほど寒かった。交代でボートを漕ぎ、大型ボートを護った連中は、ボートに積んである筈の救急物資を調べてみたが、殆ど何もなかった。
 運の悪い連中は、筏に掴まったり、筏の上に横になって、じっとしていた。下手に動けば、筏はひっくり返ってしまうからだ。少しでもしっかりした大きな物を探して、泳いでいる者もいた。少しでも浮いていようとして、人間同士激しい争いが行われた。
 ボートにイタリア兵が乗っているのが、イギリス人にとって、とても不安だった。雷撃のお陰で自由の身となった連中は、これからどんな行動に出るだろうか。イタリア兵を信用できなかったので、恐怖を感じ、冷静さも失っていた。
 同じ頃、シスター・ホーキンズの乗った筏が、波のまにまに流されていた。ウェルズ中佐も泳いで筏まで来た。中佐は腹部に激痛を感じ、一晩中苦しんだ。筏には九人か十人居て、交代で筏の上に乗っては、休息をとっていた。月が蒼白く、どうやらお互いの顔が見えたが、みんなの窶れた顔は、油でべとべと。吐き気を催すほどだった。

 ◇救助作業始まる 
 九月十三日、ドイツ海軍軍令部。デーニッツ提督は暗号解読済みの一通の電文に目を走らせた。「英船ラコニア号撃沈ス。残念ナガラ、イタリア捕虜千五百輸送シアリ。現在マデ、九十名救助。指令求ㇺ。ハルテンスタイン」。U156号からの第一報だった。
 デーニッツは考えた。どうしたら援助できるだろうか。付近の海域に居る他のUボートにも協力させる。だが、そんなことをしたら、U156号ばかりか、他の艦も皆、喪失することになるまいか。熟慮の末やおら心を決し、一枚の紙に記す。「シャハト、ヴュルデマン、ヴィラモヴィッツ、直チニ全速ニテ、ハルテンスタインの所在地点七七二一へ向カエ」。(電文には決して潜水艦番号を記さず、艦長の名前を使うのが軍令部のやり方)。指令を受けた三隻の潜水艦(U507・U506・U459)は、直ちにU156号の救援に向かった。

 ◇九月十三日、日曜日 
 洋上に日が昇った。朝の中は遭難者にも、ちょっとは救いになったが、まもなく太陽は激しく照り付け、生き残った人々も暑気に苦しむのだった。太陽の直射光に曝された手足が腫れ始め、水泡で覆われてしまう。大抵の遭難者は酷く喉が渇くのだった。
 大型ボートでは、シスター・ホーキンズが突然、遥か彼方に何かを見て、「御覧なさい、あそこよ!」と口走った。太陽が薔薇色に染めている海に映える乳白色の船である。筏の方に進んで来るのは、浮上したままのUボートだった。
 見るとドイツ人で、司令塔に白い帽子の乗組員が鈴なりになっている。遭難者たちは、ヒットラーの潜水艦のこと、銃撃されるのではといくらかドキドキしていた。が、筏の前を通過~半マイル先でUボートは停止した。全然銃声も起らず、ドイツ兵が武器を使う様子がないことは明らかだった。

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