世界のノンフィクション秀作を読む(45) Y・カーニー(生・没年不詳)の『私のルーファス――犀を育てる』(上)

Y・カーニー(生・没年不詳)の『私のルーファス――犀を育てる』(筑摩書房刊、マックリーヴェ阿矢子:訳)――専門知識を持たぬ一主婦による犀の孤児の世にも稀な育成記
 
 イギリス系白人の筆者は二十世紀前半と思しきケニアの、世界最大とされる広大なサヴォ国立公園(四国より広い)の狩猟副監理官の夫人。アフリカの大自然に抱かれた環境で、動物好きな彼女は様々な獣の仔を育て上げる。マングース、子象、水牛、山猫、ジャッカル……。専門家も不可能視していた生後まもない犀の孤児をたまたま救い、立派に育て上げた手記は読む者の胸を強く打つ。

 ▽我が家と迷子のルーファス
 国立禁猟公園内に住むことができたのは、動物の大好きな私にとって、この上もない幸運だった。大自然の懐に抱かれた、この素晴らしい屈託のない生活は、私の結婚後まもなく始まった。私の夫デニスは、ケニアのサヴォ国立公園の狩猟副監理官だった。
 私たちの家の両側には、野獣保護のための特別保留地が広がり、もう一方の側には広大なサヴォ公園が延びている。私たちの住む街は高さ四百五十六メートルの丘の麓に横たわっている。街にはトタン屋根のあるインド人の商店が五、六軒あるに過ぎない。鉄道駅は、ケニアとタンガニーカ湖の間に所在する主要連絡駅だ。
 埃と暑熱の街を見下ろす高台には、木造の小屋が五、六軒建つ。“サヴォの人喰い鉄道むという名で知られている鉄道敷設に従事した人々のために建てられた。付近に棲むライオンの群れは、人間の味を覚えると大部分が人喰いに変じ、無数の労働者が犠牲となった。

 現在、当地に住んでいる白人たちは、警官、水道技師、鉄道従業員たちで、ごく少数。私は家の前に庭を造ってみたり、ドレスを仕立てたり、近く生まれてくる赤ん坊の衣類を編んだりして毎日を過ごしていた。
 事件の起こった日は、夫のデニスは留守。早朝、小さな唸り声とも、鷲の哀れな叫び声ともつかぬ泣き声が聞こえてきた。泣き声は、引っ切り無しに刻一刻、近づいてくる。その声は、毎日家の周囲で聞こえる象の鳴き声でもなく。バブーン(大型の猿)の叫び声でもないし、また牡鹿の唸り声でもないことが判った。
 帰宅した夫に事の次第を話すと、彼も大きな興味を持った。まもなく、私たちのアフリカ人の料理人キアリアが叫び声を上げ、息せき切ってやって来た。興奮し、喚き立て、未だ幼い犀が一頭、彼の家の外に居るということが判った。二十メートルばかり離れたキアリアの家に行くと、入り口のドアが半開きで、哀れな鳴き声が中から聞こえてくる。忍び足で近づいた私たち三人の目に映じたのは、可愛いチビッ子犀の姿だった。

 夫デニスは不憫に思い、この“坊や”を両腕で抱え、家へ連れて帰った。巻き尺で測ったところ、肩までが46センチで、テリア種の犬くらい。体重は多分2キロ半足らず。幼い子象を救おうとした以前の経験から、ミルクを二倍の水で薄めて、二本のビール瓶に注ぐ。チビッ子犀はゴクゴク二本とも平らげ、用意した麻袋の上に寝転がり、スヤスヤ寝入った。
 私たちは“坊や”をルーファスと名付け、温かい台所で育てることにした。ライオンや豹に襲われる心配もなく、飲み物をあてがうのにも好都合だから。こうしてルーファスは、六カ月に成長するまで、台所が彼の犀舎となったのだ。

 ▽肺炎の危機
 夫は翌日、この珍客がやって来た原因を突き止めるべく、付近一帯の探索を配下に命じた。喜ばしいことに、罠にかかった母親の姿もなく、ハイエナや野犬に喰い荒らされた屍骸も見当たらないとのことだった。今度の出来事が余りにも変わっているので、私たち二人もアフリカ人の勢子を伴って出かけ、実地に調査することにした。
 私たち一行は付近一帯を散々歩き回り、暑熱と興奮で酷い疲労を感じ始めた。その時、勢子が犀の仔の足跡を発見。距離を測ってみると、我が家まで1.6キロ以上の長距離をルーファスが歩いてきたことが判った。が、その地点には大人の犀(母親)の足跡が混じり、母親の足跡は元来た道へ後戻りしている。母親はなぜ“坊や”を残して後戻りして行ったのだろう? 子供の犀が母親の後を追わず、独りで歩き続けたのは何故? ルーファスの行動は、いよいよ増して不思議でならなかった。

 ルーファスが到着して五日目、食事前には跳ね回る彼が、じっと立ったまま動こうとしない。私は鼻水をたらしているのに気づき、風邪を引いたのでは、と疑った。夫は街へ駆けつけ、インド人の腕利きの医師を呼んできた。獣医ではない人間相手の医師だが、彼は「肺炎です」と診断。私は心臓が止まりそうなショックを受けた。
 この医師はルーファスのお尻にペニシリンの注射を太い注射針で打ち、ルーファスは悲鳴を上げて酷く震えた。私は彼を抱き締め、懸命にあやし続けた。哀れなルーファスは、私以外に母の味を知らないのだ。その上、今や瀕死の病床にある。今はどんなことをしても、彼の生命は救わなければならない。
 桶のような胴体を支える太短い脚は、今は力なく投げ出されている。その夜、私は台所でルーファスの傍で眠ることにした。体に手を当ててみると、胸部以外は氷のように冷たい。病状には変化がなく、ペニシリン注射が二度、三度と打たれた。私は言い知れぬ愛情を彼に感じ、傍に付き添った。生死の境を一週間にわたって彷徨った末に突然、彼は生きていたいという意思表示をし、ミルクを飲みだした。私はミルクにラクトーゲンを混ぜて滋養を与えることにし、ルーファスはめきめき快方へ向かった。

 ▽やんちゃっ子
 生後三週間になったルーファスは、よくじゃれたり、食事の時間をちゃんと守ったり、とても可愛い存在となった。彼は家の庭を自由に歩き回り、家の中でも我がもの顔に振る舞った。日中の暑い最中は、ベランダで快く昼寝をした。彼が茶の間の入り口に姿を現してベランダへ通り抜けて行く様は、まるでサーカスの道化役者さながら。床板がツルツルで、彼の太短い四つ脚が八方に滑る有様が、私たちを大笑いさせるのだった。
 毎日の食事以外では、体にブラシをかけてもらうのを喜んだ。私がブラシを手に取ると、
ゴロンと横になり、体の向きを変えて転がり、両目を閉じてうっとりとしている。私が手がだるくなって、止めようとしても、素知らぬふりで何時までも寝そべっているのだった。
 毎日、早朝に、私たちが未だベッドに居るうち、ルーファスは「お早う」の挨拶にやって来る。強い頭でドアを押し開け、私のベッド目がけて真っ直ぐに突進。私が頭を撫でてやるまで何回でも頭を上下に擦り付けているのだった。

 ▽遊び友達の水牛
 ルーファスが漸く六カ月の犀に成長したある日、思いがけなく適当な遊び友達、孤児の二頭の水牛が手に入った。彼らは東サヴォ公園の近くに棄てられていた。一見、家畜の仔牛のように見え、雄の水牛は生後約一か月位、雌の方は一週間そこそこだった。彼らは新しい住処にすぐ慣れ、瓶でミルクを上手く飲むので、手数がかからなかった。
 ルーファスは、この二匹の孤児とすぐ仲良しになった。ルーファスが台所の片隅に眠るには余りに大きく成長したのを気がかりに思っていた矢先のこと。三頭がすぐに親友になったことは、この上もなく有難く感じられた。夜間、これら三頭を、新しい囲いに一緒に眠らせることに何の問題もなかった。
 ルーファスは、小さかった頃のように室内に歓迎されないのが不平でならないようだった。しかし、彼は私が与えるものなら何でも不平なく食べた。庭の植物の葉を食べるようになり、夜食に紫ウマゴヤシを与えるようにしたら、大喜びだった。

 ルーファスが見栄も外聞も忘れて熱中するのは、泥風呂の支度をすること。余りこれを夢中でやるので、私たちは彼のために庭園の片隅に三十センチほどの深さの穴を掘らせた。ホースで水を注ぎ、土を柔らかい泥に変えてやると、ルーファスは大喜び。泥の穴を目がけて飛び込んで横になり、仰向けになって繰り返し泥の中を転げ回る。彼には、これ以上素晴らしい陶酔境はないのだった。
 犀の皮膚はとても分厚いものだが、驚くほど敏感。普通の蠅が止まってもちゃんと気づいて払いのけるし、ツェツェ病原菌を媒介するツェツェバエには、嚙み付くこともできた。
庭の片隅に彼専用の泥風呂穴ができて以来、彼は喜びの余り、体半分に泥を塗りつけただけで飛び出し、庭園を走り回る。乾いた砂風呂を浴びるのも大好きだ。これは象が鼻で自分の体へ砂を吹きかけるのと同じように、やはり蠅を撃退する目的のためなのだ。
 
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