Y・カーニー(生・没年不詳)の『私のルーファス――犀を育てる』(筑摩書房刊、マックリーヴェ阿矢子:訳)――専門知識を持たぬ一主婦による犀の孤児の世にも稀な育成記(下)
▽成長と変化
ルーファスにとって、園丁のクランダは理想的な世話人だ。庭で静かに草むしりしている彼の背後から激しい鼻息を吹きかける。これは犀の突進の予告なので、彼はルーファスのご機嫌取りのため、仕事の手を休めて立ち上がり、駆け出して見せる。するとルーファスがこれを追っかけて段々追い詰める。クランダが近くの立ち木の一本によじ登る。彼が半分ほどよじ登ったのを見届けると、ルーファスはすっかり満足。負かしてやったとばかり、木の下を激しい鼻息と共にぐるぐる回って見せる。ルーファスは巨体の持主だったが、誰に対しても決して危害など加えたりすることはなかった。
ある日、私は彼の額に赤くなった箇所を見かけ、怪我をしたのかしらと思った。彼はそこに赤土を擦り付けていたが、実はこれは彼の柔らかな角の生え始めを意味していた。ルーファスはその箇所を、赤土で軽く摩擦することで一寸した快感を覚えたようだ。
安全な私たちの家を出てから、距離が遠ざかるにつれ、ルーファスの態度に変化が見えるのは興味深かった。帰り道、余り馴染みのない道を私たちが選んだ場合、ルーファスは丁度利口な番犬がするように、少しでも変わった臭いがしたり、音が聞こえたりすると、彼は耳を振り立て首を傾げ、体全体を目立って緊張させるのだった。
ドライブ道を通って行く時、私たちはよくルーファスと隠れん坊をして遊ぶことがある。私たちが路傍の茂みへ身を隠すと、彼は丘の辺りから大急ぎで駆けつけて来て、先ほどまで私たちが立っていた場所で、ちゃんと立ち止まる。そして首を伸ばしたり、耳を振り立てて、私たちの体臭を嗅ぎ出そうとする。
彼は路上にどっかり座り込み、哀れな鳴き声を上げる。私は可哀そうでたまらなくなり、茂みから姿を現す。すると、彼は大喜びでパッと顔を輝かせて、その場でキリキリ舞いをしてみせる。そして、もう一度駆け出しましょうかと言いたげな身構えをするのだった。
▽日照りと大水
この当時、ケニアの大部分と、私たちの住んでいた八千平方マイルのサヴォ公園地帯では、ケニア始まって以来という、酷い日照りに見舞われていた。過去一年半に降った雨量は僅か二百三十ミリに過ぎず、この年には、この地方での「長雨」なるものは全然降らなかった。近郊の広大な地方が、殆ど半砂漠の状態に成り始めていた。
アテイ河沿岸一帯では、犀が毎週三、四頭ずつも死亡していき、私たちの家の近くでも
週七十頭という驚くべき死亡率を見た。私たちがこの河の堤防にやっと二台のスプレー付きポンプを設置できたのは、「野獣のための飲み水供給」に必要な基金の募集活動が開始されて相当な期間が経ってからだった。
日照りの結果、象の大群は一日に千キロという長距離を水を求めて移動した。しかし、生後まもない幼い子象たちは、到底そんな長距離を付いて歩くのは不可能だったので、後に取り残されて餓死するより仕方がなかった。
至る処、空気には死臭がみなぎり、腐乱した動物の屍骸を見ると心が疼き、胸が悪くなるのだった。デニスが必要な視察に赴く途上、私も同行。ドライブ中に見たのは一ダースを遥かに超える犀の姿であり、不幸にも全部死体となった哀れな姿だった。
この地方だけでも、死亡した犀の総数は二百頭を上回った。犀よりも遥かに多量の水を飲む象に比べ、酷い日照りでは、犀の群れから出る犠牲の方が遥かに多いことに注意する人は少なかった。象よりも愚かで哀れな犀は、食料漁りのために居住地から余り遠方まで出かける方法も知らず、遠距離を歩くだけの気力もない。彼らは長年行き慣れた処へ水飲みに行くだけが能で、あらゆる池が干上がっている時は餓死するよりほか仕方がないのだ。
四十四平方マイルという小さなナイロビ公園で、約五百頭という多数の野獣が日照りの犠牲となって死亡したり、又は瀕死の状態にあるという悲惨な報告が届いた。この小さな公園でそんなに犠牲を出すなら、八千平方マイルの広大なサヴォ公園では、一体どうなるんだろうと、私たちは気が気でならなかった。
▽ルーファスの新居
ルーファスが満一歳の誕生日を迎えた日、私は彼のために素晴らしいお祝いのケーキを焼いてやった。大きさが直径45センチもあり、ポショという玉蜀黍のケーキだった。ルーファスの鼻息が余りに荒いため、ケーキの上のメリケン粉(砂糖の代役)を吹き飛ばし、夫デニスが全身にすっかりこの粉を浴びた。私はルーファスが、大きな口を開けてケーキをぱくつく瞬間の写真を撮った。
ルーファスは今では前額に五センチの高さの角が生え、非常に得意だ。犀の角は硬い毛で出来ていて、時には九十センチという途方もない長さに伸び、高級SUVでも突き刺して、滅茶滅茶に破壊できるだけの強い物になる。彼は角の生えたことを喜ぶように、毎日、柔らかい赤土でこれを丹念に磨いている。全ては彼が成長していく証拠なのだ。
問題は、ルーファスの私に対する盲目的な溺愛だった。寝る時以外は、私の傍から一刻も離れようとしない。寝る処へ連れて行くのさえ、彼は牧夫を手こずらせる。私が夫と一日外出する時など、彼は車の姿が消えると泣き出し、留守中ベソをかいているそうだ。
ルーファスが成長したので、新居を設けることになった。新しい小舎は、家から大分離れ、彼は草を新居の付近で食べることになる。この変化に彼はむずがり、世話をする牧夫の手を焼かせた。彼を移転に同意させるには、私が手を貸す以外に方法はなかった。
私は毎日必ず一回、彼を慰問したけれど、それだけでは決して十分ではなかった。ある日、牧夫が草むらに入り込んだルーファスを見失った。彼は草むらを通って私の家にやって来て、彼の好きなベランダで気持ち良さそうに寝そべっているのだった。
▽ナイロビへ転勤
夫から転勤の報せを受け、私の気持ちは悲喜こもごもだった。前任地は非健康地で、娘のモオリーンには無理な土地柄だった。もう一方は、ルーファス。彼の角は、密猟者には十分に誘惑の的になる。毎年、その角のために数百頭の犀が惨殺されている。犀の角はお守りとされたり、また中国人やインド人は薬用に効くと信じている。ライオンに襲われる心配もあり、未だ幼い彼は身を守るだけの術を知らない。こうした不安から、私は終夜まんじりともしなかった。
▽さよならルーファス
ナイロビに到着した私たちは、新生活へスタートを切った。そして私がルーファスから別れて六カ月の月日が経過し、彼はもう三歳になっている。私はルーファスの動静が気にかかり、女友達二人と車に相乗りし、久しぶりに旧居を訪問することにした。
ルーファスは二頭の水牛スザナーとバスターと一緒に草むらで草を食べていた。『ルーファス!』私は声をかけた。彼は突然、立ち止まった。私は再び呼びかけた。「ルーファス」
瞬間、彼は鼻を突き出し、耳を下げて、駆け足に変わった。私は彼に馴染みのある甲高い声を出して、私の処へ真っ直ぐに来るよう、また声をかけた。
彼はこの半年の間に、随分大きく立派に成長した。そして、駆け寄って来た彼は、物悲しい啼き声を立てて、私に撫でて下さいと言わぬばかりに、その皺の寄った扁平な鼻を突き付けるのだった。私は彼の太短い首に腕を巻き付けて、抱きしめてやった。彼は彼のできる唯一の芸当をして見せてくれた。彼は地面に寝そべって転がって見せたのだった。
◇筆者の一言 犀と聞くと「生きた化石」さながらに鈍重な印象が先に立ち、普通お世辞にも愛らしいとは思えない。だが、本編の主人公ルーファスの面差しに限ってはまるで違う。原作には著者夫妻やその三歳の長女がすぐ傍で戯れる、れっきとした「証拠写真」が何枚も添付され、その真実性は疑うべくもない。私は、かのアダムソン夫人著すところの『野生のエルザ』に負けず劣らず、この物語にいたく心を打たれた。それにしても、「哀れな孤児」の犀を救った母性愛のなんと素晴らしいことか! 事この一点では、私は世の女性の方々に脱帽~降参するほかない。ルーファスのその後の運命については記述が省かれているが、その余生はせめて「動物園であって欲しい」、と心から希った。
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