世界のノンフィクション秀作を読む(6) ヘンリー・D・ソローの『ウォールデン――森の生活』(講談社学術文庫・佐渡谷重信:訳)――人生のあるべき姿を深く洞察(下)

 ――ホーホー啼く梟のセレナーデも聴いた。近くで聴くと、大自然の中で奏でられる最も憂愁の響きのようだ。その啼き声は、昼間の光が届かない湿地や黄昏の森にはうってつけの美しい歌声であり、広大で未開のままの<自然>そのものを暗示している。
 私は独りでいるのが好きだ。考え事をしたり、仕事をしている人間はいつも孤独なのだ。時々、私は住まいの西方、ほとんど人跡未踏の地へ足を向けた。

 暖かい夕暮れには、よくボートに座って笛を吹いた。その調べに魅せられたかのように鱸(すずき)が姿を現した。梟と狐がセレナーデを奏でてくれ、名も知れぬ鳥たちもすぐ近くで、時折、楽しい歌を囀(さえず)っていた。こうした経験は私にとって、忘れ難い、貴重なものだった。
 ウォールデン池の近辺の風光は、慎ましいものだ。美しいが、風光明媚とまではいかず、馴染みのない人は全く関心など抱かない。が、特筆すべきは、底無しの水深、明鏡止水の景観だ。長さ約800㍍、周囲約3㌔に及ぶ清澄にして深緑の泉水で、面積は約2.44平方㌔。
 松と樫の森の真ん中にあり、四季を通じて水の涸れるのを知らない。

 私は食事に変化を付けるため、魚を添えたいと思った。肉食が嫌なのは、不衛生だからだ。僅かなパンと少々の馬鈴薯があれば、結構やっていける。肉食に対する嫌悪感は本能的なものだ。多くの点で地道な生活をし、粗食に甘んじることは、より美しいことのように思えた。
 時々、私は松林の方まで散歩に出かけた。松の木立は神殿のように堂々と立ち、完全艤装した海上の艦隊のようでもあり、その枝は波のようにうねり、陽光を受けてキラキラ輝いていた。この松林は柔らかく、緑に溢れ、日陰も十分につくってくれた。

 沼沢地方を散歩することもあった。私は学者など訪問する代わりに、この近所では滅多に見られない特殊な種類の樹木を何回となく見に行った。そうしたものは牧草地帯の真ん中とか、森や沼地の奥とか、山の頂上のような、相当遠い処にあった。夏も冬も私が訪れる杜は、こうした場所だった。

 臨機応変の知恵を損なわない程度に質素で清潔な食事を用意したり料理するのは、容易なことではない。適度に果物を食べていれば、自分の食欲を恥じることはない。人間が肉食動物であることは非難されて良いのではないか。肉食を止めた結果、肉体的に衰弱したからといって、そうした成り行きに後悔していると言う者は恐らく一人もいないだろう。

 私自身につて言えば、人並み外れた気難し屋ではない。必要とあれば、鼠のフライだって美味しく、時には食べることができた。私は酒など飲まず、いつも素面(しらふ)でいたい。思うに、水こそが賢い人間にとって唯一の飲み物なのだ。荒っぽい仕事を長く続けることに反対する最も重大な理由は、いやが上にも飲み食いもまた荒っぽくなるからだ。
 「心焉(ここ)に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえども其の味を知らず」とは曽子(孔子の門人。「大学」からの引用)の言葉だ。私の精神的知覚は、味覚がお粗末であることに依っている。人間を汚すのは、食べ物の質でも量でもなく、味覚への執着だ。

 我々は己の心の中に獣的本能があることを知っている。それは爬虫類的、肉欲的なもので、恐らく全く駆逐することは不可能だろう。孟子曰く「人の禽獣と異なる所以のものは、殆ど稀なり。庶民は之を去り、君子は之を存す」。精神は肉体のあらゆる部分と機能の中に入り込み、それを支配し、最も肉欲的なものを純潔と献身的愛に変えさせることができる。知と清潔さは努力に由来し、無知と色欲は怠惰から生まれる。

 肉欲について公言することに私は躊躇を覚える。語ることによって、私の汚辱を曝け出さざるをえないからだ。全ての人間は自身のやり方に従い、己の肉体の建造者だ。多少でも高尚な精神を持ち合わせていれば、その人の容貌も直ちに上品なものに変わり始め、多少でも卑陋(ひろう)、肉欲が剥き出しになれば、獣的な容貌に変わり始める。

 コンコードのこの地域で、池の氷のざわめく音も私は耳にした。それは寝られずに、そこで寝返りをうち、腹にガスがたまったか、何かの悪夢にうなされているかのような音だった。また、凍結して地面がバリッと割れる音で目を覚ますこともあった。朝になって見ると、長さ四分の一㍄の割れ目が地面に入っていた。

 時には、月夜に狐が猟犬さながらに荒々しく、悪霊に憑かれたような声で吠えているのを耳にした。狐たちが獲物を求めて雪面をうろつき回っている時だった。その吠え声は、心配事で苦しんでいるか、すっかり犬に成り切って、自由に路上を走り回りたいというふうにも感じられた。獣たちは、変身する時期をうかがっているのだ。

 リスと野鼠の方は、私が貯えていた胡桃を奪い合っていた。家の周囲には直径1㌅から4㌅の脂松が十数本ほど成長していたが、前年の冬に鼠に齧られてしまっていた。雪が長い期間積もったままで、かつ深かったから、まるでノルウェーの冬と同じだった。そこで彼ら動物たちは、相当量の松の樹皮を他の食糧と混ぜて食べねばならなかった。

 一羽の野兎は冬の間、私の家の床下に住み着いた。毎朝、私が動き出すと、野兎はゴツン、ゴツンと頭を床板にぶつけ、急いで逃げ出してしまい、私をびっくりさせた。野兎はまた夕方、玄関付近に姿を見せ、私が捨てた馬鈴薯の皮を齧りに来たものだ。地面の色と非常によく似ていたから、じっとしていると見分けが付かなかった。

 早朝、何もかも霜で凍りついている頃、人々が川鱒や鱸を釣るために雪原に細い釣り糸を垂らす。成長した鱸を餌にして川鱒を釣っている人がいる。その手桶をのぞき込むと、夏の池を覗いた時のような奇観である。鱸が地虫を呑み込み、川鱒が鱸を呑み込む。そして漁師がその川鱒を呑み込む。生き物の生死の間隙は、こうしてその階級によって決められる。

 おお、ウォールデンの川鱒よ! その泳ぐ姿を見ると、類い稀な美しさに私はいつも驚く。この魚は眩いほどの美しさ、並外れた卓越の美しさを身に付け、青ざめた色をした鱈や小鱈とは雲泥の差がある。川鱒は、花とか宝石のような比類なき色彩に輝いている。まるで真珠とでもいうか、ウォールデンの水の水晶のようなものだ。

 1850年2月24日。日の出から一時間ほどたち、日光が丘陵を斜めにさすと、その影響を受けて池はバリッ、バリッと音を立て始めた。池全体が屈伸し、欠伸をし、段々と騒がしい音をたてる。それが三時間か四時間も続いた。蕾が春を迎えて膨らむように、池もその時期が来れば、確かに池そのものが法則を持ち、それに従って轟音を発するのだ。

 森に来て暮らす一つの魅力は、春の到来を目の当たりに見る機会があることだ。3月13日、ウォールデン池の氷も急ぎ足で溶けていく。広大な氷原がバリッと音をたてて池の中央部から割れてしまった。鱸の鱗が銀色に輝いている池全体の姿は、まさしく、それ自身が一尾の生きた魚なのだ。春の訪れは<混沌>から<宇宙>が創造されたようなものだ。
 我々には原生地帯という強壮剤が必要なのだ。<自然>と接するのに、これで十分満足したということは決してない。こうして、森の生活の最初の一年は終わりを告げ、第二年目も、似たようなものだった。私は結局、1847年9月6日にウォールデンから立ち去った。

 <筆者の一言> 一読し、私は二十一世紀のアメリカで流行した「マインドフルネス」という東洋起原の瞑想~精神集中法を思い起こした。ソローは「孟子曰く」と書き起こしたり、孔子の門人・曽子の言を引く。トルストイやガンジーが彼に共感したというのも、むべなるかな。二十代後半と言えば,まだまだ血気盛んな時期なのに、脱俗を志向。人里離れた湖畔の掘っ立て小屋に二年余りも独居し、ひたすら瞑想に耽る。凡人にはかなわぬ芸当である。
 私は新聞社を定年後、東伊豆の辺鄙な山奥で「晴耕雨読」の真似事を七年ほどしている。
 野生の離れ猿と二度ばったり出くわし(幸い被害無し)、薄気味悪い蠍や雀蜂に手とか足を刺される痛い目に遭っている。野生の自然には危険が付きまとうのは常識だが、ソローのこの『森の生活』には一切言及がない。そこの辺りが不思議と言えば不思議だし、いささか物足りない感じがしないでもない。

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