世界のノンフィクション秀作を読む(62) ガイア・ヴィンスの『気候崩壊後の人類大移動』(下)

ガイア・ヴィンスの『気候崩壊後の人類大移動』(河出書房新社刊、小坂恵理:訳)
――環境難民の世紀を生き延びる知恵(下)

 ◇新しいコスモポリタン 
 今日はヨーロッパでもアジアでもアメリカでも、移民への敵意が露骨な時代を経験している。但し2022年には、ロシアとの戦争が始まり、ウクライナから数百万のウクライナ人が周辺国に避難せざるを得なかった。ヨーロッパの二〇カ国を対象とした調査では、移民を受け入れる規模と移民への好意的な態度の間には、次のような相関関係が成り立つ。
 「移民の割合がごく僅かな国は最も敵対的で、移民の存在が社会で大きな国は最も寛容である」。
 
 今世紀は何もかも変化する。これまで地元の町が均質で、それに強い一体感を持ってきた人たちには、「変化」は気がかりだ。アジア系、アフリカ系、ラテン系の難民がどっと押し寄せ、小さな町が都会になったら、大切な文化が失われる恐れがある。大きな集団の移動は大きな変化を伴う。早めに不安を解消し、不測の事態が起こるのを防がねばならない。
 アメリカがソーシャル・サービスに費やすコストは予算全体の一五%に過ぎず、EU加盟国の平均の半分程度。どの国でもこの支出は増やすべきだが、特にアメリカでは必要だ。社会の変化は困難を伴うが、多様性がイノベーションを促し、建設的な結果をもたらす。

 一四五カ国を対象に三〇年分を調べた大掛かりな研究によれば、移民の流入はテロリズムを増加させるより、むしろ減少させる傾向が強い。研究に関わった科学者たちによれば、移民によって経済成長が促されることが大きな理由だ。
 大移動の大半を占めるのは、気候変動の影響を受けた貧困国から富裕国への移民になるだろう。富裕国は、気候変動の恩恵を受けて豊かになる。ここで何らかの社会的公正を実現すれば、状況の改善が促され、受け入れ側も移民も新たな成長の恩恵を受けるだろう。
 先進国は、移住は安全を脅かすと決めつけるが、その発想は間違っている。今(2022年)も約二万人の子供らがアメリカで劣悪な環境の仮収容所に閉じ込められている。寒さに震え、お腹を空かせ、虱が体にたかり、瘡蓋だらけだ。EUはウクライナ難民こそ受け入れたが、他の場所からの亡命希望者への対応は徐々に悪化。北アフリカから海を渡って来る難民の捜索救援活動を犯罪行為と見做すまでになった。これからは移民に関する考え方を改めるべきだ。来る者を拒まず、強力で活気のある新規の伝統を築き上げねばならない。

 ◇安息の地、地球
 二一世紀には移住を通じて世界が再編される。極北の地に広大な新しい都市を建設する一方、熱帯の広大な地域を放棄して、新しい形の農業への依存が始まる。地理からは政治地図を取り除き、生態系に基づいた新しい計画を立てるべきだ。原則として、赤道、海岸線、小さな島、乾燥した砂漠などからは脱出しなければならない。
 カナダとアメリカにまたがる五大湖など内陸の湖沼系には大量の移民が押し寄せ、またアラスカが最も居住に適した地域になりそうだ。ロシアは温暖化の進行から最大の利益を得る可能性を秘めている。永久凍土の下の土壌には、世界最大級の炭素が眠っている。永久凍土が後退し栄養分に富んだ土壌が姿を現せば、耕作地としての利用が期待できる。
 何億人もの移民が安全な場所に落ち着くためには、国際的な合意の下に、現在の国家が所有する土地を強制的に購入。新しい都市やそこで生まれる産業を支えるための保障や出資を準備すべきだ。高緯度に位置する比較的安全な富裕国は「世話役」を引き受け、被害を受け易い貧困国の面倒を見なければならない。

 国民国家は地域毎に統合され、地政学的観点から新たな統一体が誕生するかも知れない。地球全体を自由に移動可能となれば、国の経済は活性化され、何十憶人もの命が救われて生活が向上するだろう。上手く運べば、世界のGDPは何十兆ドルも増加する可能性がある。
 国家を土台とする地政学的システムには、代りとなるシステムも存在する。小さくても強力な都市国家がその一つで、シンガポールがこれに該当し、ドバイ、マカオ、香港も含まれる。今後数十年のうちには、北欧諸国、カナダなど北極圏諸国が同様の連合を結成する可能性もある。国境を接する国は関係を強化するのが理にかなっている。
 環境の変化や貧困や世界的な不平等に対処して生き残るために、人類の大移動は不可欠なのだ。移住を促して支援することには、政策で優先的に取り組む必要がある。それを最善の形で実現するには、移住を強制したり動機を与えたりするよりも、障害を取り除く方が効果的だ。EUでは、加盟国の間で実質的に国境が存在しないことに注目して欲しい。

 ◇解決策へ先ずは計画樹立を 
 今世紀、移住の目的地は都市になるだろう。世界の人口の約60%が集中する沿岸都市は、他の場所の四倍のペースで海面上昇が進んでいる。例えばベネチアは年に75回は一部が水没する。二〇世紀半ば以降12万以上の住民が離れ、まもなく完全な博物館になるだろう。
 が、都市には価値のあるものが色々具わっている。東京やバンコク、更にはダッカやラゴスでさえ、完全に放棄されることはない。インフラに多額の投資が行われ、都市を守るための建設工事が進められている。オランダのロッテルダムは既に2メートルも水面下に没しているが、対策として水に浮かぶ住宅の建設や巨大な防壁の増築を計画している。
 解決策は、計画を立てること。将来の移民のために安全な都市を準備し、リスクの高い地区を対象に移転戦略を立て、世界規模の移住を円滑に進める方法を考えるのだ。移住先のコミュニティが最高の形で生活基盤を築くためには、計画策定に何十年もかかるかも。
 ルイジアナ州では、海抜の低い地域の住民を四〇マイル先の海抜の高い場所に移住させるため、五千万ドル近くを費やしている。気候変動の影響で移住を迫られるコミュニティを支援するプログラムの一環で、連邦政府が初めて資金を提供している。

 都市にとって今世紀最大のリスクは異常気象だ。旱魃に見舞われた故郷を逃れて都市に移住しても、その都市で洪水のリスクが高ければ何の意味もない。降雨の極端な多少は今後もっと増えそうだから、全ての都市に備えが必要とされる。中国政府は二〇三〇年までに、全国の八〇%の都市に「水を吸収する」能力を持たせることを公約している。
 バングラデシュの建築家M・タバスムは、自分で組み立てる高床式の住宅を難民用に設計、受賞した。材料は竹だが、嵐にも洪水にも耐えられる。建物の屋上などを利用して作られた庭は、猛暑や異常気象の抜本的解決策になる。今や市庁舎の半分は屋上が庭園で覆われている。屋上庭園は雨水を吸収でき、豪雨による雨水の流出の減少につながる。
 屋根などの表面を白く塗っても温度は下がる。真っ白な屋根は日光の八〇%を反射し、夏の午後で温度が約三一度も低下、室内の温度は最大七度低くなる。屋根の温度が低いとエアコンの費用が四〇%も節約される。屋根に石灰塗料を塗れば、室内の温度は最大で五℃下げられる。この低コストのツールの冷却効果は絶大で、仮に世界中の屋根を白くすれば、二酸化炭素の相殺効果は二〇年間に三億台の車を撤去した場合に匹敵する。

 二一世紀の避難都市は、気候変動の緩和にも取り組まねばならない。ニューヨーク州の都市イサカは革新的な投資プログラムを通じ、一億ドルを調達。二〇三〇年までに全ての建物で脱炭素を達成すると同時に新たな雇用の創出を目指している。フランス政府は、これから建設される公共建築は全て、素材の半分以上に木材を使うよう義務付けた。
 これからは数億人もの移民がやってきて新しい住居を必要とする。公共交通が移動の中心となる密集した都市の建設に取り組むべきだ。長距離の移動や重い荷物の運搬にもっと強力な乗り物が必要なら、電気自動車の出番でカープールかレンタカーを利用。公共交通機関は電気を動力源とし、料金を低く設定し、頻繁に運行する必要がある。

 都市にとっての今世紀最大のリスクは異常気象。新しい開発計画はこのリスクに適切に対応しなければならない。旱魃に見舞われた故郷を逃れて都市に移住しても、その都市で洪水のリスクが高ければ何の意味もない。気候変動のリスクを交換しているだけだ。
 人類は社会や政治や経済を網の目状に張り巡らせた挙句、その中に閉じ込められてしまった。罠のような構造物を自分で作り出しておき、その中で身動きできなくなった。だから危険な状況に放り出され、何十万年も暮らしてきた場所から大移動しなければ生き残れないような、何ともバカげた立場に置かれたのである。

 ▽筆者の一言 ヒマラヤに人工氷河を造る人、雪を降らせるために山を白く塗る人、遺伝子組み換え作物を古代の農法と組み合わせて育てる人・・・を紹介。より良い未来のために、地球をどのように作り変えていくか、設計していくべきか、を著者は真剣に説く。本書執筆のため、彼女はイギリスのNature誌(ロンドンを拠点とする権威ある総合科学学術雑誌)の仕事を辞し、現場探索の旅へ出ている。気候崩壊・地球の近未来に対する筆者の危機感は、それほど強かった。人類は今、内輪もめをしている時ではない。プーチンやネタニヤフといった手合いも、せめてこの一書に目を通す位の見識は具えていてほしい。

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