世界のポピュリズムへ新論点を提起 ―真鍋弘樹『ルポ 漂流する民主主義』を読む―

著者: 半澤健市 はんざわけんいち : 元金融機関勤務
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本書は、日本人ジャーナリストによる世界大の「民主主義崩壊」―正確には「崩壊の危機」―の報告である。朝日新聞記者の真鍋弘樹(まなべ・ひろき、1965~)は、今世紀初頭から現在まで,日本本土・沖縄・米国各地・欧州を経巡った。本書の主内容は、彼の見た庶民・大衆の実態である。記者は民主主義の「崩壊」の危機をみた。それは本当に崩壊なのか、または逆説的な復活なのか。いずれにせよそのメカニズムは何か。国際的な共通性は何か。経済的・歴史的な文脈は何か。別の選択肢はないのか。そんな欲張った視点で『ルポ 漂流する民主主義』という新書は書かれている。

《日・米・欧の「現状」と飛び出した魔神》
 記者は何を見出したのか。
2006年の日本で、真鍋記者は「失われた世代」の若者に聞いた。26歳の派遣社員の青年は、8年間に30数回の引っ越しをした。トヨタ・三菱・キャノン・YKK・いすゞなど日本を代表するメーカーの全国各地の工場で働いた。人材派遣会社の指示で、一カ所には長くて数ヶ月、短いときは一週間であった。こういう世代が生まれたのは、バブル崩壊後の10年、それに続く小泉構造改革の時期である。「痛みなくして成長なし」の路線は「地方の疲弊」と「雇用の不安定化」に帰結した。「今、世界で起きていることを、日本で先取りしたように体現した人々、それがロスジェネ(失われた世代)だった」と記者は書いている。

2015年のアメリカで、記者はロバート・パットナムという学者にインタビューした。『われらの子ども―米国における機会格差の拡大』(邦訳は創元社)を書いたハーバード大教授である。以下はその一部である。

問 アメリカンドリームはもう死んだのでしょうか。 
答 この国で現在、経済格差が広がっているのは間違いない。アメリカ人は従来、結果の平等より機会の平等を重視し、格差をあまり気にしてこなかった。だが、今はその機会の均等こそが失われている。/大人の場合、経済格差は個人の責任だという考え方もできる。だが、三歳の子どもに、「自己責任で困難を乗り越えなさい」という人はいないだろう。現状に警鐘を鳴らすために、子ども時代の機会不平等に注目した。

2016年のイギリスで、EU離脱の国民投票の結果が出る直前に、真鍋は英国独立党党首ファラージの記者会見に臨んでいた。「EUを疑う『ジーニー』は、魔法のランプから出てきた。もうランプの中に戻ることはないだろう.」と党首は発言した。ジーニーとは、ディズニー映画「アラジン」でランプをこすると出てくる魔神である。記者は、「反EUにとどまらず、反エリート、反移民の排外主義、自国ファーストといった既成政治を破壊する魔神は、世界各国でランプから飛び出し、決して戻ることはない・・・。そんな時代の訪れを宣言したかのように私には聞こえた」と書いている。

《ネガティブなキーワードと「茫然自失」の夜》
 おそらく数百人への取材で記者が見たものは、全世界で起こっている次の事象であった。「格差の拡大」、「富の偏在」、「中産階級の没落」、「国民の分断」、「他者への敵視」、「移民の排除」、「偏狭なナショナリズム」、「自国ファーストの思想」、「右傾化の進行」、「反知性主義」、「反中央集権」、「反エリート主義」、「反リベラリズム」、「代表制民主政治の危機」。民主政治の基本理念である「自由」、「平等」、「代議制度」が、剥落し形骸化し機能不全に陥っていた。

私(半澤)は、これら本書のネガティブなキーワードを好んで拾ったのではない。
ドナルド・トランプ米大統領の誕生は上記現象の象徴である。「反知性的ポピュリズム」の勝利である。国内外の階層間の巨大な裂け目の可視化である。

トランプ大統領誕生の夜を記者はこう書いている。
■トランプ当選の可能性が高まると、ニューヨークは恐慌に陥った。ニュース番組のキャスターたちは当惑を隠せず、ヒラリー・クリントンの勝利を祝うつもりで繁華街のタイムズスクエアに集まった市民たちの多くも、茫然自失の体だった。こういった市民は、トランプの言う「人々」には含まれていなかったのだ■

《現状は過去の構造に原因がある》
 真鍋記者は、これらの現象が、「ある構造」の結果であると考える。ここから先は、彼が明示していない部分を、私(半澤)が、自己流に解釈していることをお断りしておく。その構造とは、二つの世界大戦の過程で完成した「総力戦体制」である。戦後も、その変奏である国家のケインズ政策的介入という構造は、巨大な中間層を育てた。東西冷戦がこの構造を温存した。「ゆたかな社会」は、「資本主義のショーケース」だったからである。「第二次世界大戦後の米・欧・日では、分厚い中間層の存在が政治体制の安定を担保としてきたが、そのスタビライザー(安定装置)は、この三〇年間で知らぬうちに根腐れていた」と記者は書いている。しかし私は、「知らぬうちに」ではないと考える。労働者に与えすぎて資本蓄積が不自由になった。その上、冷戦崩壊で「ショーケース」は不要となった。儲かる資本主義を再生せねばならない。資本はそう考えたのである。

「新自由主義」、「ネオリベ」を戦略的イデオロギーとして、「グローバリゼーション」の快進撃が始まった。多国籍企業、国際金融資本の活動する市場は自由に国境を越える。「国家による資本の管理」から「資本による国家の管理」の時代になった。「経済格差の拡大」、「富の偏在」、「階層の分断」が加速する。先に私が本書から拾い挙げた数々の「ネガティブなキーワード」は、グローバリゼーションの浸透とそれに対応した人々の態度を表現している。

現実であれ幻想であれ、これらの人々の不満を掬いあげ、敵を外部に求めるのがポピュリズムである。ポピュリスト政治家が族生している。国際的にはナショナリズムを基盤として「外国(人)」、「難民」の排斥を訴え、国内的には「エリート主義」、「エスタブリッシュメント(既得権者)」、「中央政府」を批判する。そして「真の代表者の不在」―〈 Trump is NOT MY President 〉―への強い不満を発信する。

《記者によるオルタナティブの提案》
 トランプ当選の夜に茫然自失となったリベラルと同じように、ジャーナリストの報告はここで終わってもいい筈である。しかし真鍋記者は、こう書いている。
■トランプが体現する不寛容さと排除の論理に対して全米で起きた強いプロテストの動き
に強い共感を覚える。その一方で、私は何か割り切れない、引っかかりを感じ続けている。トランプを大統領に押し上げた支持者たちについてどう考えるか。ポピュリズムの手法が囲い込む「人々」にどのような視線を向ければいいのか。この大統領選を見てきた者として、一筋縄ではいかない思いに囚われる■

記者は、東浩紀、福山哲郎、井出英策、ベネディクト・アンダーソンらの意見に言及しつつ「リベラルで平等主義的な包摂のナショナリズム」という対抗軸を提案する。この選択肢には異論・反論が予想される。しかし、私は彼の見た現実の過酷さを想像して、提案とそれに続くであろう論争を歓迎する。

2017年2月、同じ朝日記者金成隆一の『ルポ トランプ王国』(岩波新書)の書評で私は次のように書いた。
■グローバリゼーションと技術進歩はなぜ起こったのか、の答えが欲しい。それをジャーナリストに求めるのは過剰な要求か。二〇世紀の資本主義から説かないと現状は理解できないと思う■

《「渾身のルポルタージュ」は誇張ではない》
 真鍋弘樹の意図がどうあれ、私の期待に応えた結果になったことは嬉しい。カバー裏の惹句に「世界で連続発生する『有権者の乱』を描き切った、混迷を極める国際社会への提言にして渾身のルポルタージュ」とある。本書はそれが誇張とは思えない力作である。(2018/08/25)

真鍋弘樹『ルポ 漂流する民主主義』、集英社新書、2018年8月刊、820円+税

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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