世界中がホッとしたオバマ再選 -「米帝国主義最高司令官」の役割は続行-

世界中の人々はオバマ再選を聞いてホッとしたに違いない。ロムニー敗北で落胆したのはアメリカの共和党支持者とイスラエル国民ぐらいだろう。というのもほとんどの国は、ロムニー前マサチューセッツ州知事(65)を大統領候補にかついで、民主党オバマ大統領(51)から政権を奪回しようとした米共和党の傲慢な姿勢に違和感を持っていたからである。もしロムニー氏が勝てば、イラク戦争を起こしたブッシュ前政権時のような殺伐とした時代が再来しかねないという怖れは、なくなった。

ブッシュ政権の清算を課題とした4年前の大統領選と比べて今回オバマ大統領が予想外に苦戦した背景には、ロムニー共和党陣営が今回の選挙戦で体現したアメリカ保守主義があった。「小さな政府」「強いアメリカ」「伝統的な価値観」に収斂されるアメリカ保守主義は、136年前に大英帝国から独立を果たした北米大陸東部沿岸の13州が連邦国家United States of Americaを建国した、日本に比べれば極めて「若い国」の持つ力であろう。つまり連邦政府は各州の委託に基づく最低限の仕事をするだけで良い、連邦税はできるだけ少なく、という思想がいまだに息づいているのだ。

1776年独立当時13州だったUSAは、現在50州とワシントン特別区に拡大した。アメリカの歴史とも言われる西部開拓の物語は、インディアンと呼ばれたモンゴロイド系先住民の虐殺であり、略奪であった。さらにカリフォルニア、テキサス州など広大で豊かなメキシコ領を奪った帝国主義戦争の勝利の結果がアメリカである。明治の日本と誼を通じて独立を守ろうとしたハワイのカメハメハ王国を、力ずくでUSAに併合したのも米帝国主義のひとこまだった。深刻な財政赤字にもかかわらずロムニー氏が軍事費の増強を訴え続けたことで、「小さな政府」の主張と裏腹に「強いアメリカ」を捨てられない、その実は「軍産複合体」と組んだ共和党の実像が透けて見える。

建国以来のUSAを率いてきたのは、WASPと呼ばれる人々だった。WはWhiteつまり白人であり、ASはAnglo‐Saxonつまり英国系、PはProtestantつまりキリスト教新教徒のことである。言うなればアメリカ社会の主流は英国系の白人で新教徒という訳だ。1960年の大統領選挙でカトリック教徒のジョン・F・ケネディが当選した時には、初のカトリック大統領としてセンセーションを巻き起こしたほどだった。このWASPの伝統的価値観こそアメリカ文化の基礎であり、同性結婚とか妊娠中絶などはもってのほか。極端な例だが、人間のルーツはエホバの神が造り給うたアダムとエバであって、類人猿から進化したというダーウィンの進化論なぞ学校で教えてはならない、と大真面目に主張する教育委員会がアメリカ南部には現存する。

われわれ日本人は、1945年の敗戦後日本を占領したGHQ(マッカーサー司令部)の民政部門にリベラル派が多かったことから、アメリカと言えば「リベラルの国」と思い込んできた。確かに、何万人もの死者を出す南北戦争という内戦に勝って奴隷解放を宣言したリンカーン大統領とか、黒人差別をなくすために全国的な市民運動を巻き起こしたマーチン・ルーサー・キング牧師とか、人類史に残る偉大な指導者を生んだ国だ。

しかしリンカーン、ケネディ大統領、キング牧師らを暗殺で葬った国でもある。20世紀の後半まで、何の咎もない黒人を暗殺することを目的とする3K団(クー・クラックス・クラン)という白人のテロ組織が存在した国である。USAはリベラルな国だが、保守反動、帝国主義の国でもあることを忘れてはならない。

選挙戦が本格化した9月初めから10月初めまで、オバマ大統領は世論調査による支持率でロムニー氏に数ポイントの差をつけ楽勝かと思われていた。ところが、10月3日コロラド州デンバーで行われた直接対決の第1回テレビ討論会でオバマ大統領は生彩を欠き、衆目の見るところロムニー氏の圧勝となった。勢いづいたロムニー氏側は、10月中にあと2回開かれた直接対決のテレビ討論会、民主党バイデン副大統領対共和党ライアン副大統領候補のテレビ討論会を通じて、民主党側を追い詰めた。投票日直前の世論調査では支持率が伯仲、稀に見る激戦となった。

現職の大統領がこれだけ苦戦したのは、もとよりアメリカ経済の苦境であり、失業率の高さである。2008年のリーマン・ショック後の不況下、時には10%台の高い失業率を続けたが、この9月には7・8%、10月には7・9%に改善したことがオバマ勝因のひとつとされている。オバマ陣営は経済政策として、富裕層への減税停止、中間層への減税、インフラ・教育への公共投資などを通じて「公平な社会」を目指す方針を打ち出した。これに対してロムニー側は、富裕者減税の続行、金融業への規制排除、公的医療保険制度の廃止など、新自由主義政策のオンパレードである。自由競争こそ経済を活性化させ、アメリカを再生させる道だというわけだ。

欧州に比べて資本主義の歴史の新しいアメリカでは、依然として自由市場原理が強い。1929年に始まった大恐慌、2008年のリーマン・ショックという金融資本主義の二度の大破綻にもかかわらず、自由競争主義を守ることこそアメリカン・ドリームの根幹だと信じる人々が多い。こうした考え方が共和党の根底にある。しかしリーマン・ショック後に明白になった中間層の没落と貧富の格差の拡大は、誰の目にも無視できなくなっている。2011年秋ニューヨークで始まった「ウォール街を占拠せよ」(Occupy Wall Street )を名乗る運動が「99%の人民は貧しい」とのスローガンを掲げて各地に広がった。

こうして見ると、アメリカ社会は分裂していると言わざるを得ない。アメリカ議会の上下両院でも分裂は激しい。かつては民主、共和両党の意見が対立していても、穏健派ないし超党派と言われる議員がいて、何とか妥協解決を導いた。しかし昨今では穏健派が続々と落選して、超党派的解決が難しくなっている。アメリカ政治専攻の青山学院大学中山俊宏教授によると、1980年代に定数435人の米下院には穏健派が340人ほどいたが2010年には僅か10人。定数100人の米上院では1980年代に穏健派が58人存在したが、2012年には一人もいないという。「決められない政治」は日本だけでなく、民主主義のモデルであるアメリカ政治にも現出している。

1960年代に世界の耳目を集めたベトナム戦争。ベトナム民族の英雄ホー・チ・ミンに率いられた対仏独立戦争が1954年ベトナム人民側の勝利に帰した後、当時のソ連、中国の支援を受けたホー・チ・ミンのベトナムはいずれ共産化すると危惧した米国は、兵力引き離しのためだけに設定された北緯17度線でベトナムを分割、17度線以南の南ベトナムを衛星国化した。1965年にはトンキン湾事件を捏造してまで、北爆を開始し北ベトナムを潰そうとした。しかしこの不正義な戦争が、やがて米国内で始まった、世界的なベトナム反戦運動のうねりを引き起こした。

ニクソン米大統領はベトナム戦争解決のため歴史的な米中和解路線を決断する一方、1970年に金とドルの兌換停止(ニクソン・ショック)に踏み切らざるを得なかった。1オンスの金は米ドル35ドルと兌換できるという基軸通貨のルールを、一方的に停止したのである。米国庫が底知れぬベトナム戦費の支出に耐えられなくなったからだ。固定相場制から外れた米ドルは、外為市場の相場に翻弄され1ドル=360円だったのが、42年後の今日、1ドル=80円台と4.5分の1にまで価値を落としている。

ベトナム戦争の実質的敗戦にもかかわらず、アメリカは1991年の湾岸戦争に勝利した。イラク大統領サダム・フセインのクウェート併合の企てを潰したのである。湾岸戦争を率いて勝利したジョージ・H・W・ブッシュ大統領の息子のジョージ・W・ブッシュ大統領は2003年3月、サダム・フセインが大量破壊兵器を隠しているとの嘘情報で内外をだましてイラク侵攻を実行。サダム・フセインを捕まえて死刑にしたものの、戦後のイラクに親米政権を残すことができないまま、後任のオバマ大統領は2011年末までに米軍をイラクから撤退させた。

2001年10月ジョージ・W・ブッシュ大統領が始動したアフガン戦争。同年9・11の米中枢同時多発テロ事件の黒幕とされる、ウサマ・ビンラディンと彼の指導下にある国際テロ組織アルカイダを、かくまっているイスラム原理主義組織タリバンを撃滅する作戦だった。タリバン政権は2002年1月までに首都カブールや本拠地カンダハルからから撤退したが、2007年ごろから元の根拠地に舞い戻り、米軍を中心とする国際支援軍にテロ攻撃を仕掛けている。2012年10月までにアフガンで命を落とした米兵は4000人を超えた。これは米兵の父母をはじめ米市民にとって大変な数である。

オバマ大統領は今回の選挙運動中、昨年5月1日に米海軍の特殊作戦部隊による隠密攻撃でパキスタン国内に潜んでいたウサマ・ビンラディンを殺害したことを、米国の誇るべき成果として自慢した。本当に自慢に値することだろうか。オバマ氏はもともとシカゴ大学で米憲法を講じていた法学者だ。近代法ではビンラディンのような容疑者でもいきなり殺害するのでなく、法廷における被告として事件の内容を詳しく明らかにさせた上で断罪すべきはずである。

このように見てくると、オバマ大統領もアメリカ帝国主義の指導者だという、当たり前のことに気づく。米大統領は憲法上、米・陸・海・空軍及び。海兵隊(計4軍)の総司令官である。オバマ氏はもともと法学者であって軍人ではない。しかし大統領に就任した以上、4軍司令官として米国国益の擁護に当たらなければならない。もともと米軍の将星たちは共和党に親近感を抱いてきたと言われる。初めての黒人大統領、しかも民主党ということで、両者の間に違和感がなかったとは言えまい。であればあるほど、在沖縄米軍基地問題などで、現場の軍人の主張に動かされやすいのかもしれない。

日本国民にとって喫緊の問題である尖閣諸島問題。クリントン米国務長官は、尖閣諸島が日米安保条約の適用対象であることを明言した。しかしそれはあくまで尖閣諸島が日本の管轄下にある場合であり、仮に中国の管轄下に入れば米国は関与しないというのだ。米国は尖閣諸島の領有権が日本と中国のどちらにあるか、一切コミットしないという方針だ。1960年の日米新安保時条約調印以来、また1972年の沖縄返還以来米国の立場ははっきりしている。尖閣諸島関連の日中間の領有権の是非に米国は一切コミットしないという、日本からすれば冷たい対応なのだ。

さて米憲法上3選があり得ないオバマ大統領は今後4年間、何を最も重要な政策課題とするか。当然のことながら、それは対中政策であろう。今や日本を抜いて世界第2の経済大国となった中国、アメリカ国債を最も大量に保有している中国とどう対処するか。オバマ政権は2012年1月、米軍事戦略の最重要事項をアジア太平洋地域、すなわち対中国戦略であることを明らかにした。かつての中国封じ込め戦略が不可能であることは明白だ。間もなく正式に登場する習近平政権の中国と、新しく信任されたオバマ政権との対話が、世界を混乱に導かないように祈ろう。

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