世界情勢の新たな局面(「チャイメリカ」)と日本の進路

著者: 合澤清 あいざわきよし : ちきゅう座会員
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書評:『チャイメリカ―米中結託と日本の進路』矢吹 晋著(花伝社2012)

今日の世界の情勢は、米国と中国の二極を軸に動き始めているように思われる。一方は、軍事超大国ではあるが、新自由主義政策の失敗で「衰退著しい、長期低落」の国であり、他方は、かつての急成長こそ鈍ってはいるが、それでも依然として成長路線を維持し続けている共産党一党支配の国である。政治体制は、もちろん一方は自由主義の国であり、他方は共産主義の国である。そして、少なくともアジア太平洋岸の覇権をめぐって熾烈な対立(覇権争い)をしているとみられている。実際にはどうなのか?

この基軸となる関係をしっかり捉えていないと、今日の世界の錯綜する情勢を読み解くのはなかなか困難である。ここで取り上げる矢吹晋の『チャイメリカ―米中結託と日本の進路』は、この両国の関係を実に的確明快に剔抉した名著である。

この書は、米中「運命共同体」(チャイメリカ)形成の有様を米国や中国の公式資料などに基づいて見事に活写するとともに、併せて、両国が内に抱えるさまざまな問題を解析摘出している。また、米国にのみ追随して「よかれ」と思い込んでいる日本外交の決定的な「誤り」を、矢吹一流の「歯に衣着せぬ」語り口で批判解明してみせている。

この碩学の論ずるところは多岐にわたるのであるが、ここでは評者が特に感銘を受けた点(米中関係の現状、米国および中国の国内問題、日本の進路)に絞ってご紹介し、これらの問題を考えるうえでのご参考に供したいと思う。常識的に知っている(bekannt)からといって、必ずしも認識されている(erkannt)訳ではない。(以下、引用文は表現を多少変えている場合がある)。

 

1.アメリカは中国と戦争をやれるのか?

日本政府は「周辺事態法」だ、「安保法制」だ、「沖縄辺野古基地」建設促進だ、と矢継ぎ早に「戦争関連法」を強行採決し、「戦争のできる国作り」に邁進している。反対運動に対しては「特定秘密保護法」や「共謀罪」などでこれを圧殺しながら、あくまで日米運命共同体(日米安保条約)の維持・強化によって、尖閣問題や東アジアでの海上の自由権の確保など、中国との領有権争いに勝利できると考えているようである。

日米安保条約堅持の背景には中国の覇権主義、北朝鮮の軍事拡張路線がある。つまり、両国は日本の「仮想敵国」とみなされているのだ。もちろん、日本が単独でこれらの国に立ち向かうことは不可能である。そのために「日米安保条約」が有効に働くと考えられている。

しかし、実際にそうなのであろうか?

まず、米中関係について矢吹のこの本を参考に考えてみたい。矢吹は次のように断ずる。

「私の立場は、もし中国が仮想敵国ならば、日米安保はまるで役に立たない、という認識である。」(p.21)

むしろ「日米安保条約」は、今日の対中国問題にとっては逆効果だという。中国解放軍内の軍事拡張路線派(太子党=二代目の党官僚)がこの条約を理由に更なる軍事大国化を求めているからである。北朝鮮が、日米韓合同演習を挑発と受け止めて、軍備増強に努めているのと同様である。

更にこう指摘する。

「日本にとって『中国が敵である』時、『アメリカは決して味方にならない』という認識…なぜか、アメリカは『中国か、日本か』という二者択一を迫られたならば、間違いなく中国を選ぶはずだ。それが国益(ゴシックは評者)だからだ。」(p.22)

「日米安保条約」が日本を守護するとの(固い信念)淡い幻想を抱いて、安穏と日常生活を送っている大方の国民にとっては、これはまことにショックな発言である。

なぜ、そう断言することができるのか。

「中国は『銀行』…頭上らぬ米国務長官、豪首脳に吐露」(『朝日新聞』2010.12.29付)

因みに当時の国務長官は、ヒラリー・クリントンである。

中国の外貨準備総額は、近年少し減ったとはいえ、3兆ドルを超える。そしてその大半はアメリカドル債権である。「中国が保有する米国債を売りに出す、と言明しただけで米国経済は確実に破産する」のである。「中国に財布を握られている米国が、日本を守るために、日米安保条約における義務を履行してくれると想定するのは、とんでもない白日夢なのだ。」(pp.23-4)

「中国が万一返済を要求した場合に、アメリカは、返済不能に陥り、デフォルトを宣言せざるを得ない。基軸カレンシー国としてのアメリカ帝国の崩壊だ(ゴシックは評者)。そうならないための『米中蜜月』関係の再構築」(p.56)を求めているのが今日の実状なのである。

今や米中関係はかつてとは様変わりしていることに注目すべきである。

2001年のブッシュ政権発足当時、中国は「準敵対国」とみなされていた。それが、2006年の二期ブッシュ政権下では、「アメリカにとって中国は、ステークホルダーStakeholderである」となる。つまり、「『同じ利益を共有するもの』という意味であり、『米中の経済的利益が一致した』と確認したのだ。」(p.27)

それが証拠に、2010年5月24~25日北京で開かれた第二回米中戦略・経済対話(S&ED)には、ヒラリー・クリントン国務長官以下200名の大代表団が参加し、5日間滞在している(東京にはヒラリーが3時間いただけである)。これは「国務省の大移動」とマスコミにからかわれている。実際に、「キャンベル次官補は、『200名の役人が対話に参加すること、国防総省と太平洋軍司令部を含め、事実上米国政府のすべての部門を含む』と説明」(pp.80-1)しているのである。

ここではこれ以上この問題に多言を弄することはしない。ただ次のことを確認したうえで次に進みたい。

「中国脅威論と中国解体論-中国仮想敵国論は、小泉純一郎と江沢民によって作り上げられた。問題の核心は、本当にいま中国を仮想敵国視できるか否かである。ほとんど不可能な幻想だ。日本経済がどれだけ中国経済に依存しているかは、東京証券取引所の日経平均株価がどれだけ『中国ファクター』で浮き沈みしているかをみれば、一目瞭然だ(2009年時点で、日本の対中貿易が対米貿易を上回っている)。」(p.23)

 

2.官僚資本主義体制の中国と「貧困大国」アメリカ

張戎(チアン・ユン)の書いたベストセラー『ワイルド・スワン』(講談社1993)を読まれた方はお分かりかと思うが、1966年に始まった中国「文化大革命」時の中国は、まさに「貧困の平等路線」の時代にあった。しかし、いったんは放逐され、後に復権した鄧小平が唱えた「改革・開放」路線への転換(対外的な開放政策採用と国内的には計画経済から市場経済への転向)によって、中国経済全体が市場経済化し、豊富な低賃金労働力の活用によって世界の工場といわれるようになり、また安い人民元為替レートによって外貨を蓄積した挙句、今では世界の銀行にまでのし上がってきている。

この鄧小平の成功には当然その反面(影)がある。矢吹はその点に極めて厳しい目を向け追及する。

まず、「中国は今や『アメリカ以上に所得格差の大きい』国と化しつつある」(p.15)という。この外貨蓄積のためにとられた市場経済への移行政策は、大方の中国人にとっては「飢餓輸出」に等しい悲惨なものであった。

「中国経済において、最も重要な論点は、おそらく生産力の量的発展ではなく、その帰結として成立した特殊な国家資本主義、すなわち官僚資本主義体制(ゴシックは評者)ではないか。所得格差の拡大という量的な問題ではなく、既に『官僚主義者階級』(毛沢東の表現)と呼ばれる階級が成立し、経済政策の中心がこれらの人々の階級的利害によって左右されていることが問題の核心ではないのか。その結果は『労働分配率の激減』や『ジニ係数の極端な悪化』に示されている通りである。」(p.14)

つまり、人民元レートが安すぎることによって、「中国の人々の労働の成果を『安売り』しているわけであり、「飢餓輸出」を意味する(ゴシックは評者)」 (p.34)

これは鄧小平の政治改革の失敗を意味している。鄧小平自身は「最後まで、経済的成功を踏まえたうえでの政治改革を模索したが、彼の後継者、江沢民と胡錦濤はいずれも政治改革を断念するか、無期限延期して、官僚資本主義への道に流された」(p.12)のだという。

毛沢東が仕掛けた文化革命もこの点に関係している。毛は早くも1960年代にはこのことに気づいていた。そして「1964年5月に『官僚主義者階級と労働者・貧農・下層中農とは鋭く対立した二つの階級である』、『資本主義の道を歩むこれらの指導者は労働者階級の血を吸うブルジョア分子にすでに変わってしまったか、あるいは今まさに変わりつつある』と断言して、文化革命を発動した」(p.15)。しかしその闘いは、「条件が整う前に」闘われたことで、逆に「戦闘の『主体と組織』、そして『希望』までつぶしてしまったよう」(p.17)である。

その結果、「…ノーメンクラツーラと呼ばれる特権階級によって事実上の私物化(制度的な民営化privatizationではない)が行われ、『官僚主義者階級』が生まれた。この階級は、アメリカの1%の富裕階級よりも、より巧みに組織された支配階級に成長しつつある」(p.15)。

「現代中国の『労働者・貧農・下層中農』は、『血を吸うブルジョア分子』に闘いを挑むイデオロギーも組織も共に欠いている。権力の腐敗は、広がり、深まりつつある。これが中国共産党成立90年の現実である」(p.17)

こうした中国共産党の指導下における資本主義的原蓄のもたらした歪を残したまま、現社会体制を維持するためにとられたのが、「政治支配体制の徹底的な引き締めによる『管理社会』(ゴシックは評者)の構築」(p.8)である。

「①流動人口、②インターネット言論の活発化、③都市・農村境界付近の社会治安問題、④犯罪者の管理、⑤NGO・NPO等社会組織などに対しての管理の政治姿勢」(p.15)がそうだ。

もう一つ、この腐りきった特権的「官僚主義者階級」を守るために中国の軍隊があると矢吹は喝破する。

「人々の生活を貧しい状態に放置したまま、軍事大国化の道を歩む理由は、中国の軍備は外に対するものではなく、外貨を使う支配階級を守るための私兵なのだ。『中国人民解放軍』をあくまでも党の軍隊として位置付け、『国家の軍隊』に改めないのは、そもそも軍は中国を守る組織ではなく、中国の支配階級を守る組織だからである」(p.37)。

「支配階級を守るための私兵」といえばどうしても、「日米安保条約」に基づく自衛隊の役割に考えが及ばざるをえないのであるが、そのことはさておき、矢吹は、中国社会の改革は「もはや手遅れ」と厳しく断罪している。

官僚資本主義体制の中国については、おおよそ見てきたので、次に「貧困大国アメリカ」について検討したいが、この点をあまり詳細に検討する余裕はなさそうである。ここでは二三の指摘だけにとどめておきたいと思う。「貧困大国アメリカ」とは、かつて堤未果が書いたルポ(岩波新書)のタイトルだ。彼女の告発は、極端な民営化の結果もたらされたアメリカ社会の破局に向けられていた。

矢吹がここで取り上げているのは、新自由主義の圧力(極端な民営化も含む)によって押しつぶされた「中産階層の大国」アメリカの姿であり、その結果生み出された「甚だしい階級社会」と格差の現実ということである。

「Foreign Affairs」2011.11月、12月号に書かれたジョージ・パッカー記者の記事によれば、「1979年から2006年にかけて、中産階級の所得は40%増えたが、最貧層は1%しか増えていない。最上位1%の所得は、256%も増えて、国富の23%を占める-これは1928年を上回る、甚だしい階級社会」の出現である。

「かつてのアメリカンドリームの時代には、政府が様々な規制やルールを定め、所得の比較的に平等な配分を保証しようとしていた。商業銀行の資金が投資銀行に流れるのを禁止するグラス・スティーガル法はその象徴-この規制により投機の行き過ぎや過剰競争は規制され、社会を安定させるための様々な機関・制度が存在する国であった。『中産階層の大国』としてのアメリカは、こういう『公共の利益』を守る機関によって守られてきた」(p.9)…「しかし、これらの消費者・労働者・投資家を守るための規制措置や規制機関は、この30年間に『新自由主義』の圧力でつぶされた。『公共の利益』を維持していたシステムのほとんどが大企業によって乗っ取られ、企業利益を上げるためのビジネスの分野に変化した。…『アメリカは終わった』」(p.10)のである。

この章の締めとして、経済構造から読み取れる両国の関係について、次の結論部のみを紹介して次に移りたい。

「現存のチャイメリカ経済構造とは、『相互に所得不平等inequalityを競う体制』でもある」(p.15)。

「中国当局はアメリカの覇権を批判し、アメリカのグローバリズムやその他の規制から自由な独立の経済圏を主張しながら、実際にやっている政策は日本以上の対米追随である(ゴシックは評者)」(p.36)。

 

3.日本の進路

日本の外交の誤りについては、既に指摘してきた。アメリカは決して中国とは戦争しない(できない)し、日米安保条約は国内向けには反抗分子鎮圧として作用するであろうが、対中国向けには逆効果である。

さて、このところ絶えず問題にされるのが、尖閣列島を含む島嶼問題である。矢吹はアメリカの立場として次の文書を紹介している。

2005年に作られた「日米同盟-未来のための変革と再編」には、「島嶼部への侵略は日本が対処する」「日米安保の対象範囲内にはあるけれども、日米安保の課題ではない」と書かれている。また、ペンタゴンの年次報告書によれば「ここは紛争地域disputed territoriesだ」、そして「(米国は)どちらにも与しない」と述べられている。つまり「我関せず焉」である。

それでは島嶼問題に関する日中の見解の相違はどこにあるのか、またそれはいかなる解決を求めるべきなのかをみてみたい。

2010年の尖閣事件(漁船拿捕)に際して、中国側から示されたのは、「中国の『領海法第二条』(1992年から施行)」であるが、ここには「これは中国のものだ」とはっきり書かれている。日本もこれを「固有の領土」という。「領土問題は確実に存在している」(p.96)のである。

その上で、日中両国の外交上の違いは次の点に顕著にみられる。

中国は、「『争いの存在』を認め、その争いは平和的交渉を通じて解決すべきだと主張する。ところが日本は、尖閣諸島について『争いの存在』を認めていない。中国の立場は、日本の実効支配にただちに実力で挑戦するものではなく、中国が主権を主張している事実を認めよというにとどまる(陳健元大使)」(p.73)。

つまり、利害の対立(紛争)が存在することを認めたうえで、どう解決すべきかの協議を呼びかける(中国)のに対して、ひたすら自己主張のみを繰り返す(日本)こととの決定的な違いが両国外交の相違である。

矢吹によれば、中国にはそれが「核心利益」かどうか、という査定があるという。例えば、こうだ。

「(中国は)『チベット自治区、台湾省、新疆ウィグル自治区についての「独立」は絶対認めない。それは核心利益だ』と明言。しかし、南シナ海や尖閣については、核心利益に入れていない。『入れよう』という軍部の強行派はいる。穏健派と強硬派が『核心利益の対象・範囲』を巡って綱引き権力闘争をしている」(p.97)。

話し合いによる解決以外に外交の道はないのではないのかというのが、ここでの矢吹の主張である。そして、島嶼問題に関する米中間の話は、見せかけの緊張に反して、実際にはすでに出来上がっているのではないかとの見方も示唆している。

「米中軍事協力の進展は不可避であり、もう後戻りはできない。ペンタゴン年次報告書は2011年中に中国が国産空母の建造に着手する可能性があることも指摘し、中国海軍が小笠原諸島と米領グアムを結ぶ第二島嶼線を超える西太平洋まで作戦行動を拡大する動きも指摘している。つまり台湾を含む第一島嶼線は既にあっさりと超えられたのだ。沖縄の米海兵隊のグアム移転は、中国海軍とミサイルの精度を見据えてのことだ。今や沖縄からの米軍撤退さえも想定内のはずだ」(p.59)

こうしてみると、改めて、なぜ今「日米安保」なのかが問われざるを得ない。ここでは少し本書から離れて、『沖縄と日米安保』(塩川喜信編「ちきゅう座ブックレット」社会評論社2010)所収の鈴木顕介(元共同通信記者)論文「アメリカの世界戦略と日本」を参考にしながら簡単にまとめてみたい。鈴木がこの論文の資料としているのは、米国国家情報評議会(NIC)が2008年11月に発表した「2025年の世界動向」や2010年2月1日に公表された「2010年・4年ごとの国防政策見直し(QDR)」などである。これによると、「日米安保条約」に寄せる米国の考えは、次の二点に絞られる。第一は、米国の世界戦略の一環として日本をアメリカの前線基地とすることにある。

「日本に対しては、米軍の長期駐留を確実にし、米国の最西端の領土、グアムを地域の安全保障活動のハブにする、日米間の再編ロードマップ協定の履行を求める」「アメリカの世界戦略の基本は、同盟国、パートナー国をアメリカの軍事戦略に組み込んで、軍事戦略上一体化することにある」(同書p.72)

第二は、日本に米軍駐留の資金負担をさせることにある。日本の負担は、すでに全世界に駐留する米軍の駐留費の4分の1にもなっている(同書p.83)。

先にみた矢吹の「日米同盟」批判を勘案する時、この事実をどう見るべきかは自ずから明らかではないだろうか。「アメリカの尻馬に乗って振り回される愚かな日本外交」という指摘は、今や世界中の識者からも聞こえてくるのである。

この批評では扱えなかったのであるが、この本の後半で、「日中国交正常化問題」が詳細に論じられている。田中角栄・大平正芳対周恩来・毛沢東の会見とやり取りを中心に論じられているのであるが、ここでも日本の外務省官僚は、肝心の資料は残さず、また中国語を解さない上級官僚が交渉の内容を公式文章化するという、とんでもない間違い、外交上の致命的なミスをやらかしている。矢吹の怒りは推して知るべしである。舌足らずの論評になったが、この辺の事情については直接本書にあたって頂きたいと思う。

参考文献:矢吹晋著『尖閣問題の核心』(花伝社2013)

矢吹晋著『習近平の夢』(花伝社2017.6月24日出版予定)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study860:170618〕