世界資本主義フォーラムへのご案内

世界資本主義フォーラムの10月例会を下記のように開催しますので、ご参加ください。
◇ 日時:2014年10月11日(土) 14時~17時
◇会 場:立正大学 大崎キャンパス 5号館2階 52E教室
品川区大崎4‐2‐16 (JR五反田駅・大崎駅から徒歩7分)
会場案内(http://www.ris.ac.jp/access/index.html )
入場無料

 ◇テーマは
  1 山田宏明(元毎日新聞記者) 
「イスラム国」とは何か」
概要  世界のメディアをにぎわせている「イスラム国」。今年3月に建国を発表するまではほとんど知られていなかった。イラク戦争とその後の米軍のイラク占領の際に登場したアルカイダ系のイスラム原理主義武装勢力から分派した組織だが、他の武装勢力とは違って、発電所や油田などを接収し、税金を取ったり、銀行を再開するなど、支配地域で国家的活動もしている。イスラムが最初に作った世界帝国であるサラセン帝国の復興を目指している、と主張、コーランを憲法とする「カリフ国家」をイラク、シリア、ヨルダン、トルコの一部に作り上げるという。「民主主義など西洋から流れて来たゴミだ」と激しい反西欧文明の姿勢を見せている。 こうした挑戦的な姿勢に米国とEU諸国は猛反発、米、英、仏は空爆を開始した。

まだまだ謎の多いこのユニークな武装勢力の素顔と背景、今後の見通しなどを探ってみた。

 2 矢沢国光 (世界資本主義フォーラム)

「超金融資本主義」―世界資本主義の発展段階から見た現代資本主義
1 資本主義の世界史的発展段階
 一九九〇年以降の世界資本主義の運動(資本蓄積の様式)は、それまでの「金融資本」の運動とは、あきらかに異なる。「超金融資本」というべきである。

 ◇実体経済と金融の「ずれ」
 資本は「自己増殖する価値の運動」であるが、資本は「姿態転換」――「貨幣の姿態」と「商品の姿態」のあいだの相互転換――をとおして価値増殖する。G―W…P…W’―G’は、資本の姿態転換を表している。企業活動[資本の価値増殖運動]を、生産手段の購入から(生産過程を経て)生産物の販売にいたる一連の企業活動とみるとき、これを「現実資本の運動」と呼ぼう。これは「実体経済」ともいわれる。これにたいして、おなじ企業活動を「G―G’」つまり「貨幣の投入と回収」とみるとき「貨幣資本の運動」と呼ぼう。これは「金融」または「貨幣資本の運動」ともいわれる。「現実資本の運動」と「貨幣資本の運動」とは、おなじ一つの企業活動G―W…P…W’―G’に対する二つの見方であるが、じつは、「価値」――「自己増殖する価値としての資本」というときの「価値」――という点から見ると、おなじではない。「ずれ」があるのだ。

 その「ずれ」はどこからくるのか。一つには、貨幣資本の運動が「信用」によって現実資本の運動を越えて拡張してしまっていることによる。投入された貨幣資本の価値増殖は、生産物の販売 W’―G’が実現してはじめて実現するのであるが、資本主義においては個々の企業が「貨幣資本の投入の限界」を予知する機構をもっていない。投下した貨幣資本(信用貨幣)の回収不能(デフォールト)――その究極の事態としての恐慌――によってはじめてその限界を知ることになる。

 ◇国民通貨相互の価値関係――為替相場――の変動
 貨幣資本と現実資本の運動がずれるもう一つの要因は、貨幣の現実態である国民通貨の価値の変動による。日本の自動車企業が対米輸出するとき、ドル安・円高で収益が減り、ドル高・円安で収益が増える、という事態が起こる。

 ◇循環恐慌から金融資本的「二重化」へへ
「循環恐慌」における一斉の企業リストラを通して、資本は現実資本の運動と貨幣資本の運動の「ずれ」を調整した。「循環恐慌」が産業資本段階の資本の運動法則であった。
 ところが金融資本の段階(一九世紀末以降の帝国主義段階)になると、繊維産業を中心とした産業資本段階とちがって、鉄工業、化学工業など、固定設備の規模が飛躍的に巨大化し、現実資本と貨幣貸本の運動の「ずれ」を、企業の一斉リストラによって調整することはできなくなった。企業の存立基盤たる国民経済そのものの危機をもたらしかねないからである。
 そのため、株式会社形式を利用して、企業の合併・提携をくり返すことによって、深刻な危機をくぐり抜けた。つまり過剰に投資された資本価値を全面的に破壊することによって生ずる深刻な打撃を回避し、かつ、当該産業部門における卓越した市場占有率(独占体の形成)にもとずく優位性が、原材料・労働力の購入や製品販売において利用された。
 これを「現実資本の運動と貨幣資本の運動」という観点から見れば、金融資本にあっては、現実資本の運動と貨幣資本の運動の「ずれ」を(恐慌によって)調整することなく、現実資本の運動と貨幣資本の運動[株式価格の騰落運動]とに二重化する道を選んだといえる。
 ただし、「二重化」は「無関係になる」ことではない。現実資本の運動と貨幣資本の運動は、株式市場をとおして、間接的に連動している。現実資本の運動がよいパフォーマンスを実現すれば、株価は上昇する。株価が上昇すれば、企業は社会的余剰資金を集めてより大なる資本投資が可能となる。

 2 基軸通貨喪失の意味するもの
 国際通貨システムに「基軸通貨」が存在している間は、諸国民通貨の間の価値変動は、限定的であった。19世紀初頭、イギリスが世界の商業・金融センター、世界の工場となり、産業資本主義の世界システムが形成されて以降、1971ニクソンショック・金ドル交換停止までの一五〇年間、世界戦争[1914年~1945年休戦期をはさむ一続きの世界戦争期とみる]の三〇年間を除いて、世界資本主義は「基軸通貨」をもっていた。平時において世界資本主義が基軸通貨を欠くのは、1971ニクソンショックから今日に至る四〇年間が史上初めての経験である。
 ここで「基軸通貨をもつ」とは、各国の国民通貨の通貨価値が基軸通貨(英ポンド、のちに米ドル)との「固定相場」によって「基本的に安定している」ことであり、その結果、世界市場が(通貨ごとにその基軸通貨との交換性の差があり、また、ときに特定の通貨の切り下げがあるにせよ)あたかも単一の通貨によって動いているごとき状態である。
 「平時に基軸通貨を欠く」ことこそ、金融資本主義から超金融資本主義へと移行する背景である。
                                        
 固定相場制から変動相場制への移行は、カネが国境を越えて行き来することを容認すること、いや、行き来することが不可欠になる、ということである。

3 国境を越えたカネの自由な移動
第二次世界大戦後のブレトンウッズ国際通貨体制は、「唯一の経済大国・アメリカ」の国民通貨・ドルに、英仏独日など各国国民通貨が、1ドル=360円のような「固定為替相場制」でリンクする「(金・)ドル本位制」であった。その「固定為替相場制」が維持されるためには、国境を越えたカネの移動[国際資本移動]が政府によって規制される必要がある。なぜなら、(為替変動のリスクがないので)資本移動を規制しなければ、金利差等によって勝手にカネが国境を越えて流出・流入し、アメリカにくらべて脆弱な諸国民経済は、それによって、インフレ、国際収支危機、国債の暴落などの経済的混乱に陥いるからである。
 敗戦国日本だけでなく、かつての基軸通貨国イギリスでも、厳格な為替管理が行われていた。
  国境を越えたカネの移動が1971ドル・金交換停止後飛躍的に増えたのは、固定相場制が崩れて資本移動の規制が無意味になったからだけではない。米英の国家がそれを望み、世界戦略として推し進めたからでもある。英サッチャー保守党政権の政策でじっさいに最も「効果を上げた」のは、「金融ビッグバン」――シティ=国際金融センターの改革によるイギリスの金融立国化――であった。アメリカは、日本や西ドイツの繊維、鉄鋼、自動車の輸出攻勢の前に産業の空洞化に追い込まれていたが、イギリスと軌を一にして「金融立国」に走る。日本は一九八〇年の外為管理法の改正で、内外資金の移動が原則自由化されていたが、橋本内閣(1996-98)は「日本版金融ビッグバン」を強いられる。
 英米両国の「金融立国」路線は奏功し、「金融」はイギリスでGDPの3割?、アメリカでGDPの2割も稼ぐ稼ぎ頭になっている。カネの国境を越えた移動の自由化――これが1971ドル・金交換停止以降の「超金融資本主義」への移行の基盤である。
 米ドルのグローバル信用創造
  1971ドル・金交換停止はまた「ドルのたれ流し」を可能にした、といわれる。国際金融の実務者は「米国を世界の中央銀行に見立てて考えれば、米国の対外資産と負債の両建ての拡大とその構成変化によって国際流動性・ドルの供給増加が実現される」(行天豊雄編著『世界経済は通貨が動かす』PHP研究所2011年 254P)、という。アメリカのドル信用拡張は、あたかもアメリカという中央銀行が欧・日・産油国・中国という市中銀行の資産(じつはアメリカの経常赤字による負債)を買い取って対外貸出を増やすと同時に、欧・日・産油国・中国という市中銀行がアメリカという中央銀行に(米国への債券・株式投資によって)カネを預けるかたちになっている。
 
 ここ20年のあいだに起きた四つの金融経済的事象――①アジア・中南米通貨危機、②米欧日先進国経済バブルとその破綻のくりかえし、③アメリカ発のサブプライム金融危機、④米欧日の中央銀行による金融救済の常態化――は、「国境を越えるカネの自由な移動」と「基軸通貨の地位を放棄したアメリカ中央銀行券・ドルの無制限増発」の二つが組み合わされるとどのような世界経済的混乱が生ずるか、示している。
メキシコの通貨危機もタイの通貨危機も、アメリカ・ドルの過剰と先進国成長型経済の行き詰まりによって行き場を失ったカネが、新興国に大量に流入した結果である。
 
 20世紀末のアメリカは、「経常収支の赤字を資本収支の黒字(外国に対する債務)で賄う」構造になっている。このような国際収支構造はいかにして可能になっているのか。
 第一に、国家の力によって「強いドル」を演出して世界のカネをアメリカに吸引する。その前提として、為替の固定相場制の崩壊と国際資本移動の自由化があることは、すでに見た。
 第二に、アメリカの海外投資は、鉄道・運河・製造業のような実体的産業活動のための証券投資ではなく、金融商品への投資――世界を舞台にした金融ビジネス――である。そしてこの金融ビジネスもまた国家戦略――金融立国――となっており、国家権力の制度的外交的支援によって成り立っている。

 4 「金融」の新しい意味
 リスクを回避するのが従来の金融ビジネス――商業銀行――の前提であったが、一九九〇年以降の金融新ビジネス――投資銀行――は、リスクをカネもうけのタネにする。「商業銀行から投資銀行へ」と、アメリカを震源地として世界の金融業は、雪崩を打って変身していった。一九九九年、投資銀行と商業銀行を制度的に分けてきたグラス・スチーガル法が廃止され、商業銀行の投資銀行化が制度的にも可能になった。
 二〇〇八リーマン金融危機が「サブプライム・ローン」証券の破綻からはじまった。「サブプライム・ローン」は「不動産担保証券」の一部(およそ2割)であり、米住宅価格の「右上がり信仰」に支えられて急成長した。メリル・リンチが本格的に不動産担保証券に参入したのは2003年であった。不動産担保証券にあっては、カネの借り手(不動産の取得者)と貸し手(証券を購入するもの)が切り離される。貸し手には借り手の返済能力などはまったくわからない。
 
 一九九〇年代後半から急拡大して二〇〇六年「サブプライム・ローン」危機、二〇〇八リーマン金融危機で自爆した「新金融ビジネス」の本質は何か。それ以前の金融ビジネスとどうちがうのか。
 それを解く鍵は、新金融ビジネスであつかう「金融派生商品」(金融デリヴァティブ)にある。
 為替相場が固定制から変動制になり、資本の国境を越えた移動が自由化すると、為替相場や金利の変動が常態化する。為替の変動に対して「ヘッジ」する必要が出てくる。ここから一定期間後に決まった価格で為替を売買する「先物」の為替市場が生まれる。さらにヘッジのコストを下げる意味で「1ドルが100円よりドル安になったら(なっても)、手持ちのドルを1ドル=100円で売れる、という権利」が金融商品となって売り出される。権利を行使するかしないかが選択できるから「オプション」という。「オプション」が、為替、株式、債券、商品などあらゆる取引に対して急速に広がった。世界中がカネ余りで、金利が低く、まともな融資・投資する対象がない。金融立国の国家戦略は、ハイリスク・ハイリターンの「カジノ資本主義」(スーザン・ストレンジ『カジノ資本主義』岩波2007)を推進し、大きな収益を上げた。

 ここで重要なのは、金融業の「投資」の対象が、産業や産業基盤(インフラ)ではなく、為替相場の変動、金利の変動、株式・債券価格の変動など――金融デリヴァティブ[金融派生商品]――に移行したことである。株式への投資も、配当目当ての株式保有から株価の変動による収益(キャピタル・ゲイン)目当ての投資に移行している。株式のばあいは、それでも株価の上昇が企業の資産価格を押し上げ、その企業の企業活動の拡張をもたらすという、金融と産業の直接の連関があるが、金融デリヴァティブに対する投資は、まったく産業にたいする投資に結びつかない。
 金融と実体経済の切断――今日の「超金融資本主義」の最大の問題点はここにある。

5 金融と実体経済の切断
金融と実体経済の切断がどのような問題を生むのか。一つの例として「年金基金」を取り上げよう。
 積み立て年金の運用が金融デリヴァティブに対してなされたら、どうなるか。世界の機関投資家は、投資先を「ハイリスク・ハイリターン」の金融デリヴァティブにシフトしつつあり、日本のGPIF(積立年金管理運用独立行政法人)も右にならおうとしている。
 金融デリヴァティブへの投資は、実体経済への投資ではない。そこにいくら収益があろうと、世界にはびこるカネの世界――実体経済から切断された金融の世界――の内部のはなしだ。年金基金の「運用」がもはや実体経済にたいする投資ではなく、金融の世界内部のゲームにすぎないとしたら、日本の277兆円の年金積立金が四〇年後の年金生活者の生活を保障する社会経済を準備するどころか、一瞬のうちに、バブルのついえさるように、消失するリスクを排除できない。

 6 「超金融資本主義」の限界
 産業資本主義の成立をもってなぜ資本主義の世界史的成立と考えた。それは商品経済が生産の組織化をなし得ることを示したからである。(19世紀中葉のイギリスに限定されているが)原材料資源・労働力を諸産業部門へと適切に(産業連関表的に成り立つように)配分し、一つの国民経済の質的量的な編成――さまざまな産業部門への資源配分――を、商品売買とその延長としての金融・実体経済の関係をとおして実現できるようになったからである。
 「超金融資本主義」は、金融(貯蓄と投資)という資本主義に固有の機構がもはや国民経済の編成をなしえないことを最終的に示した。経済制度としての資本主義は、その寿命が尽きたのだ。
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矢沢国光(やざわ くにてる)
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