中国の「新天下主義」について ―許紀霖『普遍的価値を求める』を読む

著者: 子安宣邦 こやすのぶくに : 大阪大学名誉教授
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「世界に影響を与える大国としての中国が今日実現すべきは、民族と国家の復興という夢だけでなく、民族の精神を世界へと方向転換することだ。中国が再建すべきは一国一民族に適した特殊な文化ではなく、人類にとって普遍的価値を有する文明である。・・・歴史上、中国文明はかつて天下主義であった。今日のグローバル化時代になって、天下主義はいかにして普遍的文明と結びついたコスモポリタニズムに転換していくのか。ここにこそ文明大国が目指すべきものがある。」

許紀霖『普遍的価値を求めてー中国現代思想の新潮流』[1]

 

1 「中国の衝撃」

21世紀的世界に歴然と姿を現しつつある大国中国の衝撃を、溝口雄三が一冊の書『中国の衝撃』[2]をもって示したのは2004年であった。大国中国の衝撃がはっきりと数字をもって示されるのはその数年後2010年である。それに先立つ時期に溝口はすでに現前しつつある「中国の衝撃」という世界史的光景を描き出しているのである。

「もはや旧時代の遺物と思われてきた中華文明圏としての関係構造が、実はある面では持続していたというのみならず、環中国圏という経済関係構造に再編され、周辺諸国を再び周辺化しはじめているという仮説的事実に留意すべきである。とくに明治以来、中国を経済的・軍事的に圧迫し刺激しつづけてきた周辺国・日本─私は敢えて日本を周辺国として位置づけたい─が、今世紀中、早ければ今世紀半ばまでに、これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめていることに気づくべきである。」(「序“中国の衝撃”」)

この言葉は書名以上に私にとって衝撃的であった。衝撃的であるのは、日本を周辺化するその言葉が「中華文明圏」とともに語り出されていることである。日本の周辺化を含めてここで語り出される「中華文明圏」とは「中華帝国的世界」でもあるだろう。21世紀に「大国中国」を語り出すことは、「旧時代の遺物」と思われた「中華文明圏」や「中華帝国」を新たに想起しながら語り出すことになるのである。

ヨーロッパ中心的な立場からする中国とその近代化あるいは社会主義革命についての見方を徹底的に批判する溝口についてはすでに私は語った[3]。ここでは中国の近代化や社会主義革命を徹底して歴史内在的に読む溝口が「中華文明圏」や「中華帝国」をいかに語り出すかを見てみよう。

「それ(イスラム文明圏・子安注)との比較で中華文明圏を考えてみると、まず文明圏の中心である中国は中国大陸から外に出たことがない、つまり文明圏の領域が移動していない、また、古代から他の文明圏との交渉はあったけれど、ローマ文明圏、イスラム文明圏、インド文明圏などとの存亡にかかわるような武力的な対立抗争の歴史はもたなかった。そしてまた、奇妙なことにその周辺に安定した小王朝を並立させ、それらの小王朝すなわち日本・朝鮮・越南(ベトナム)などの王朝は中華王朝の周辺で数百年から千数百年の歴史を持続させているなど、多くの特性を発見できる。・・・中華文明圏の長期安定性は、地勢的に、関係構造的に、内部構造的に、豊かな特性をもつものであることが分かろう。これを単に〈停滞〉とみる見方は決して総合的・多元的な見方ではないことを知るのである。つまり長期安定・連続性のイメージに転ずる。」(5「中国近代の源流」)

このように読んでくればやがて登場するアメリカに次ぐ第二の大国「中国」を迎える観念上の準備は、「中華文明圏」「中華帝国」の概念的再構成を通じて溝口によってすでになされたと見ることができる。現代中国における中国の歴史上の自己認識に溝口が与えた影響について確かにいうことはできないが、中国社会科学研究院名誉教授の称号をもつ溝口の及ぼした影響は決して小さいものではないと私は思っている。ついでにいえば柄谷の「帝国」論は北京の清華大学で講義(2012年)したこともあって、台湾を含む中国語圏に大きな影響を与えている。アジアをめぐるわれわれの言説はすでに一国的ではないことを理解すべきだろう。

 

2 「国」と「天下」

21世紀の「大国中国」についての溝口の問題提起の先駆性についていってきたが、「天下」「天下主義」についてはどうなのか。溝口は『方法としての中国』[4]で明末清初の思想家顧炎武の「国を保つは其の君其の臣、肉食者これを謀る。天下を保つは匹夫の賤もともにこれに責あり」(『日知録』)という有名な言句を引きながら、こういっている。この「一句は清末から民国期にかけて革命的青年に愛唱されもしたが、国=朝廷の命運は君臣ら肉食の支配者集団にまかせよう、ただ天下の存亡については匹夫の賤たる民の肩にもかかることだというこの言は、国と天下に対する民のそれぞれのかかわりようを的確に述べたものである」と。「国」をこえる「天下」の概念は近代ヨーロッパの国家概念の導入まで中国にはっきり存在してきたと溝口はいう。ちなみに溝口はヨーロッパ国家概念の「導入」ではなく「侵入」といっている。興味ある重要な一節なのでそのすべてを引いておこう。

「国が亡びても民は亡びないが、天下が亡びれば民も亡ぶ。その亡天下とは仁義が廃たれ人が相食む、つまり人間がその自然的状態(儒家は仁義を人間的自然とする)を喪失した状態である。であるがゆえに、国より天下が優位するというのである。(国が政治概念であるのに対し、天下が道徳概念であることに留意)。こういう歴史風土のなかにヨーロッパの「国家」が侵入し、それと対抗するために、中国は否応なく同型の国家と国民を創出せざるを得なくさせられた。天下は国家に、生民は国民にそれぞれ包摂されずにはいられなかったのである。」(4「天下と国家、生民と国民」)

中国における近代の「国民国家」としての国家形成は「天下—生民」概念を自らのうちに包摂することによって消滅させたと溝口はいっているのである。そのことをいったのは『方法としての中国』(1989年刊)においてである。だがそれから10余年を経た2004年の『中国の衝撃』では「天下—生民」概念は甦りをみせている。その甦りを溝口は二千年来の脱皮を外敵に襲われながら苦闘しながら遂げていく大蛇に譬えて説いていく。

「荒野に身を曝させられた大蛇が、養生どころか次々と猛獣に狙われ、身を食いちぎられ、のたうちまわる、という悲痛な状況であった。

ただし、ここで留意すべきことは、悲惨な状況にもかかわらず歴代王朝によって継承されてきた「天」の統治理念(民以食為天、均貧富、万物得其所[5])は、例えば清末の大同思想、孫文の民生主義(四億人の豊衣豊食)、またその後の社会主義理念として、構造式を変えながらも、基本的には依然として継承されつづけた。それは、統治理念としての天が、実は民の声である、ということを反映している。中国においては、天の統治理念は、本来的に社会主義的であり、社会主義の名目いかんにかかわらず天(相互扶助)の理念は、中国の人民の総体的生存にとって軽々しくは破棄できないものである。

はたして王朝体制を脱皮した大蛇は、人民共和国の社会主義国家という姿で回生した。」(5「中国近代の源流」)

「天」の統治理念に立つ「天下主義」は現代中国の国家的形成過程で失われたのではない。それは中国の独自的社会主義国家の建設過程を貫き、いま世界の大国として登場する中国はそれを体現しているというのである。私はいま溝口の『中国の衝撃』にこの新たな「天下主義」の主張を確認した上で、許紀霖氏による新「天下主義」の主張に移ろう。

 

3 新「天下主義」と世界・歴史認識

世界的大国となった中国は普遍的価値をもった文明国に相応しい「天下主義」をもつべきことを許氏はいう。冒頭に掲げた言葉をもう一度ここに引いておこう。

「世界に影響を与える大国としての中国が今日実現すべきは、民族と国家の復興という夢だけでなく、民族の精神を世界へと方向転換することだ。中国が再建すべきは一国一民族に適した特殊な文化ではなく、人類にとって普遍的価値を有する文明である。・・・歴史上、中国文明はかつて天下主義であった。今日のグローバル化時代になって、天下主義はいかにして普遍的文明と結びついたコスモポリタニズムに転換していくのか。ここにこそ文明大国が目指すべきものがある。」(第三章 「新天下主義と中国の内外秩序」)

この許氏の言葉は「天下主義」をめぐる溝口との位相の違いを見せている。「天」という理念に基づく「天下主義」が中華文明と中華帝国に担われたものであることは両者に共通していても、現代中国における「天下主義」については全く異なっている。溝口は世界史的普遍としてのヨーロッパ的近代化に対して中国の独自的な近代化をいう。溝口は「天」の統治理念に基づく「天下主義」が歴史の血脈として伝えられ、21世紀の社会主義中国に実現されているとみる。だからこの中華的天下主義はヨーロッパ近代の国民国家主義的な世界原理に対して革新性をもつとされるのである。そう考えると許氏の新たな「天下主義」の主張がもつ歴史的・思想的位相があらためて見えてくる。許氏にとって20世紀来の大国中国の国家的形成過程は「天下主義」を国家主義に包摂して失ってしまった近代的国民国家の形成過程である。だからいま、すなわち「世界に影響を与える大国として」中国が形成を遂げたいま、見失われた「天下主義」の新たな再構成が求められているのである。ここには現代中国をめぐる溝口とは異なる世界認識、歴史認識がある。

「中国の目指すべきものが、国民国家の建設に留まるのでは無く、グローバルな問題に対して重大な影響を及ぼす文明大国の再建であるとするならば、わずかな言行であれ、やることなすことすべて普遍的な文明を出発点にすべきである。・・・「これは中国の特殊な国情である」、「これは中国の主権であり、他人にとやかく言わせない」といような、いつもの言い方で自己弁護をしてはならず、普遍的な文明の基準で世界を説得し、自身の合理性を証明しなければならない。」(第三章 新天下主義と中国の内外秩序)

許氏は大なる国民国家の建設にとどまる現代中国の国家中心主義を繰り返し批判する。中国の歴史的独自性をいう歴史主義は「一歩一歩相対主義からニヒリズムへと滑り落ちていき、最後には国家主義の底知れぬ深遠へと落ち込むのである」(第七章 普遍的文明か中国的価値か)と、現代世界における国民国家がナショナリズムの絶望的な主張に陥る危険を思わせるような言葉をも記すのである。許氏は現代中国もまた国民国家至上主義という近代の世界的原理の共有者であり、あるいはその大なる実現者とみているのである。現代世界で大きな支配力、影響力をもって存立する大国中国が近代の国家至上主義とは別の原理によってなると考える方がむしろ異常であることを私は許氏のこれらの言葉によって教えられたように思った。このことはポスト・モダンの近代批判からなる私の著書が次々に中国で翻訳刊行されていく事態を私自身正しく理解していなかったことにも関連する。私の著書の中国での翻訳は〈日本近代批判〉あるいは〈日本ナショナリズム批判〉という主題によると思っていたが、むしろ〈ポスト・モダンの近代批判〉という歴史的・思想的な方法意識の中国における共感・共有からなされていることではないかと思うようになった。その見方を一層強くさせたのは許氏のこの書である。

許氏はいま中国の大国化を促してきた近代的国民国家至上主義の転換をいうのである。彼はそれを中国の新しい「天下主義」としていうのだ。「真に根本的な解決を図るためには、国民国家の意識を相殺するような考え方が必要だ。こうした考え方を、わたしは新天下主義と名付けた。」(第三章 新天下主義と中国の内外秩序)だがこの革新はなぜ「新天下主義」をもっていわれるのか。「新天下主義」とはいかなる転換であるのか。

 

4 なぜ「天下主義」なのか

「新天下主義」はどのように語られるのか。東アジア世界の普遍的な、すなわち新天下主義的な再構成にむけて許氏はこう語っている。

「新天下主義は、歴史を継承するとともに超克するという、新しい普遍性の考え方である。それは、帝国の伝統から発展しているために、同一性および普遍性をもつ文化的な特徴を有すると同時に、帝国の中心化とヒエラルキー化を除去し、内部の多様な宗教、多様な体制、多様な文化を擁護する。それはむしろ脱帝国化した帝国の復活、すなわち内部の平等な、民族と国家を超えた共同体と言ったほうがよい。」(第三章 新天下主義と中国の内外秩序)

これを読んで私は「新天下主義」とは「天下主義」の再語りであることを免れないのではないかと強く思った。「脱帝国化した帝国の復活」といっているように「新天下主義」は「天下主義」であるかぎり、「帝国」の再語りとなることを免れないのではないか。「新天下主義は中国古代の歴史の智慧に由来し、また、伝統的な天下主義の止揚によって、脱中心、脱ヒエラルキー化を求め、平等に共に享受することを核心として、普遍的な文明を基礎に新たな普遍性を構築しよう試みるものであり、いわば「分かち合う普遍性」である」というように「新天下主義」は己れへと止揚さるべき「帝国」と「天下主義」とを不可避の形でもっている。「新天下主義」とは「帝国」と「天下主義」との再語りであるのだ。上に続く許氏の文章はそのことを端的に示すものである。長いがその全文を引いておこう。「新天下主義」は「帝国」と「天下主義」をどのように追想し、どのように止揚するのか。

「歴史上の天下主義は帝国の統治様式をその制度的肉体としてきた。伝統的な帝国の統治様式をその制度的肉体としてきた。伝統的な帝国は、同質化や一体化を追求する近代の国民国家とは異なり、その内部には多様な宗教と統治システムが存在し、その外部秩序は朝貢システムを中心とする互恵と分かち合いの国際貿易、政治・倫理の複合的なネットワークであった。この伝統的な帝国の天下主義という智慧が今日に与える啓示は、こういうことである。単一で統合された国民国家の思考方法では、国内の辺境問題と民族問題を解消することはできず、対外的にも周辺国家との主権をめぐる紛争を緩和することもできない。国民国家の同一的な思考の外に、帝国の柔軟性に富んだ多様性と重層的なシステムを補充することで.バランスを取るべきである。」

許氏はこれを「天下主義」の止揚という。だがここに見るのは中華的「天下主義」と「帝国」の想起であり、それらの21世紀的世界での再構成ではないのか。止揚とはこのことだといえば、「新天下主義」とは歴史の新たな段階での中華的「天下主義」と中華「帝国」の再構成にすぎないということになるのではないか。私のこの疑いは現代中国を社会主義的国家と見る溝口らにおいても、新たな国家理念の構成にあたって〈一体多元〉的な中華帝国の「帝国」概念が想起されていることによって一層強まるのである。すでにのべたように柄谷行人の『世界史の構造』(2010)における「帝国」概念は、この書の中国語訳と北京・清華大学での柄谷の講義(2013)を通じて中国における「帝国」概念の再構成に大きな影響を与えた。許氏自身は否定しても、「新天下主義」の構成はこの新たな「帝国」概念の中国における流布と不可分だと思われる。

「新天下主義」が国民国家至上主義的中国の批判とその国家理念の真の普遍化を目指して掲げられるものであるならば、その旗幟は「天下主義」であってはならないし、いかなる意味でも「帝国」を想起するものであってはならない。〈東アジア世界〉の〈一体多元〉的共同体としての再構成は、その中核的国家中国それ自体の〈一体多元〉的国家としての存立なくしては不可能である。〈一体多元〉的共同体としての〈東アジア世界〉を導く旗幟は「新天下主義」ではない。

私は「新天下主義」の構成に当たって許氏が世界文明としての成立期すなわち「枢軸時代」に向ける許氏の視線を貴重なものだと思っている。「枢軸時代」とはヤスパースが「この世界史の軸は、はっきりいって紀元前500年頃、800年から200年の間に発生した精神的過程にあると思われる。そこには最も深い歴史の切れ目がある。われわれが今日に至るまで、そのような人間として生きてきたところの人間が発生した」[6]というその時代である。「この時代には、驚くべき事件が集中的に起こった。シナでは孔子と老子が生まれ、シナ哲学のあらゆる方向が発生し」た。そしてインドで、イランで、パレスチナで、ギリシャで「この時代に基本的範疇が生み出されたが、それらを身につけてわれわれは今日まで思惟しているのである。また世界宗教の萌芽が生み出されたが、それに基づいて人間は今日まで生きてきたのである。あらゆる意味で、普遍的なものに迫る歩みが、行なわれたのである」とヤスパースはいう。この人類の枢軸時代をはるかに顧みながら許氏はこういうのである。

「中国文明の普遍性は、全人類的視野の上でのみ打ちたてられ、中国の特殊な価値や利益に基づくのではない。中国文明は歴史的には天下主義であったが、今日のグローバル化の時代に至って、その天下主義がいかにして普遍的文明と結びついたコスモポリタニズムへと変形しうるのか。これが文明大国の目指すべき目標である。」(第七章 普遍的文明か中国的価値か)

人類の枢軸時代を顧みながら許氏はなお「天下主義」の変形による普遍化をいうのである。だが現代中国の普遍化はむしろ「天下主義」と「帝国」の廃棄によってのみ導かれるのではないか。

 

[1] 許紀霖『普遍的価値を求めてー中国現代思想の新潮流』中島隆博・王前監訳、法政大学出版局、2020.

[2]溝口雄三『中国の衝撃』東京大学出版会、2004.

[3]私は『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社、2012)で溝口の『方法として中国』と『中国の衝撃』を中心に語っている。

[4]溝口『方法としての中国』東京大学出版会、1989.

[5] 天の統治理念としてのこの三句は溝口によってこう意訳されている。「民は天賦の生存権をもつこと」「天(統治者)の配分が民の分に応じて公正であること」「すべての生存が調和的に保証されるということ」(『中国の衝撃』4「歴史の中の中国革命」)。

[6]ヤスパース『歴史の起源と目標』重田英世訳(世界の大思想Ⅱ—12、河出書房)。

初出:「子安訳邦のブログ・思想いの仕事場からのメッセージ」2020.10.30より許可を得て転載

http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/84281039.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1142:201101〕