中国の内戦介入と連邦制への道のり――国内分裂か連邦制かの分岐点――

<中国の分割支配(divide and rule)的手法による内戦介入>
 地元ポータル・サイト「Myanmar Now」が入手したリーク文書から、昨年の「1027作戦」以降の少数民族武装勢力と人民防衛軍の攻勢に対し、中国がいかなる対応策を取ろうとしてきたかが見えてきた。
 昨年の反政府勢力の「1027作戦」が奏功し、戦域は中緬国境のコ―カン地域から、シャン州北東部へと拡大した。しかし8月初旬に戦略的要衝である中継貿易都市ラショーと北東部司令部が、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)によって陥落するや、中国がミャンマー民族民主同盟軍(MNDDA)とタアン解放軍(TNLA)に対して作戦中止するよう警告、本格的な介入を開始した。以下は、リーク文書による中国の介入の詳細である。(Myanmar Now 10/ 8, 2024)
――中国は、もし現軍事政権が崩壊すれば、インド洋へのアクセスを含む自国の地政学的利益が損なわれるのではないかとますます懸念しているようだ。・・・この前例のない脅威の原因である武装集団に圧力をかけるため、中国は、武装集団の支配下にある地域への食糧と燃料の供給を遮断したという。(このことは、MNDDAなりTNLAなりが、武器弾薬から生活必需品にいたるまで、ほとんどすべてを中国の供給に負っていることをしめしているーN)
――この文書は、ミャンマーで最も有力な少数民族武装勢力であるワ州連合軍(UWSA)の指導者と、中国当局者との間で8月27日に中国雲南省で行なわれた会議の詳細を伝えている。

 中国の特別代表である鄧錫軍Deng Xijun氏は、ミンアウンフライン軍事政権に対する北京の支持と、その支配に反対する抵抗勢力に対する断固とした姿勢を繰り返し表明した。・・・同氏は特に、中国は8月にラショーを占領したミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)による同市の支配を認めないことを明言し、撤退を要求した。同氏は、MNDAAがラショーに現在駐留している約2,000人の兵士を撤退させるまで、「5つの遮断戦略five-cuts strategy」を課しており、電気、水道、インターネット、物資の供給を停止し、ココング地域の国境検問所における人員の移動などの制限を継続したという。
 さきにミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)はラショーをコーカン自治区に編入すると発表していたが、中国はこれを認めないとした。9月19日に再発表されたMNDDAの声明では、(1)MNDAAは独立国家を追求するのではなく、自治区を維持する意向である(2)MNDAAは統一政府NUGとのいかなる連携も否定し、マンダレー、タウンジーへの攻撃を行わない(3)中国政府の和平イニシアティブに従い、政治的手段で問題を解決するとしていた。しかし、当然ながら、中国はこれらをいっさい認めず、奪った領土は軍事政権に返還せよといっているのである。
※ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)=ミャンマー北東部シャン州コーカン地区を拠点とする、中国系住民であるコーカン族の武装勢力である。1989年3月11日、彭家声らビルマ共産党(CPB)内部のコーカン族兵士は党中央に叛旗を翻し、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)を創設した。毛沢東主義者の党指導部は中国に亡命、ビルマ共産党は瓦解した。最大の少数民族武装勢力であるワ州連合軍(UWSA)も、同様にビルマ共産党の分派に淵源する。両地域では、通貨は元であり、通用言語は中国語であり、中国の援助なしには経済的軍事的に立ち行かない少数民族地域である。
 そもそも「1027作戦」は、数千億円単位の被害を中国にもたらしているといわれる、国境地帯のネット詐欺拠点へ有効な取り締まりを行わないミャンマー国軍への一種のお灸だったと言われている。いずれにせよ、作戦は中国の容認なしには開始されなかったとみられているが、しかし想定を超えた急速な戦域の拡大に中国はあわてて、途中から火消しに回ったのである。中国にやむなく依存しつつも、少数民族としてのプライド(ナショナリズム)と軍事独裁へのミャンマー国民の抵抗運動への共感から、中国の認知範囲を大幅に超えて進撃したのであろう。それだけ少数民族の自治と自由の潜在的願望は強いのであろう。
 軍事政権は、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)に占領された後、ラショーへの激しい空爆を行なっている。この空爆に使用されている軍用機もまた、ロシア及び中国から供与されたものである。軍事政権をバックアップしつつ、少数民族や、ときに民主派勢力をも手駒にして、国家利益を貫徹しようとする中国の外交姿勢は、植民地支配者の分断統治にますます近似してきている。

ラショーの住民が、9月24日に軍事政権による空爆を受けた建物を調査する。 (AFP)

ジェノサイドの道具。9月に6機追加供与された中国製戦闘機。    イラワジ
 西日本新聞10/11によれば、ミャンマー国軍が空爆激化を中国が支援、9月以降だけで数十人の子供を含む180人超が死亡。トラウマ(心的外傷)など子どもに深刻な影響。国軍が空爆を本格化させたのは、8/14にミンアウンフライン最高司令官が王毅外相と会談して以降である。この会談で王毅外相は軍事政権を支持し、抵抗勢力の攻勢を非難したという。ホロコーストの犠牲者であるユダヤ人国家のイスラエルが、ガザをはじめとする中東地域でジェノサイドの罪を犯すことをなんら意に介しないように、日本軍の焦土作戦の犠牲者であった中国も、ミャンマーでの焦土作戦の手助けをすることをまったく意に介さないのである。過去の民族的被害の記憶とトラウマを、強者に成り上がって弱者に転嫁して心理的に清算する、そういう負のカタルシスがそこには働いているのであろう。
 ところで、イスラエルとミャンマーの関係は意外と深い。国軍は近代装備の実戦的な戦闘集団を有する一方、かなりの規模の人数が、屯田兵制度に似た仕組みに準戦闘集団として組み込まれている。このシステムは人民解放軍から来たと思っていたが、軍人の話を聞くとイスラエルのキブツをモデルにしたという――基地内の軍は「自戦自活」に近く、保育園や小学校などが付属している。また軍関係者が保有する農場では、進んだイスラエルの農業技術が採用されていた。ミャンマ―特別諮問委員会は、2023年1月、イスラエル企業がミャンマー国軍に兵器製造の軍事技術や原材料を供与しているとした。ホロコーストの犠牲は、その代償としてイスラエルに非人道的な特権を与えたと錯覚しているかのごとくである。
 いずれにせよ、いまのところ中国は、なかなか一筋縄ではいかない軍事政権を自分に引き寄せるテコとして使うはずだったミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)とタアン民族解放軍(TNLA)を有効に抑制し得ず、苦慮しているとみられる。逆に言えば、地上戦でぼろ負けする国軍に苛立っているのは想像に難くない。
 中国政府のこの間の動きについて、影の政府NUG幹部は、中国の介入にかかわらず、軍事政権に対する革命は続くだろうと主張した。「近隣諸国は、軍事政権が我が国の問題の根本原因であり、解決策ではないことを理解すべきだ」と、NUGのモーゾーウー外務副大臣は述べたという。「軍が政治に関与している限り、我が国にとって持続可能な解決策を見つけることはできない」と彼は述べ、紛争の一方の当事者に味方することは、ミャンマーとの良好な関係を求めるどの国にとっても「賢明な選択ではない」と付け加えた。
 中国政府の目を曇らせているのは、その覇権主義的野心であろう。覇権主義は自己中心的な国家利益、とりわけ経済的利益の獲得を優先するとともに、その権威主義的国家体制の輸出をももくろむ。旧ソ連と同様に、そこには中国の被侵略国としての過去に起因する被害者意識(西側不信)がある。自国と国境を接する近隣諸国が民主主義体制であっては、自国の安全保障上のバッファーゾーン(緩衝地帯)にはならない。周辺諸国が自国と同様の権威主義体制であってこそ、相手政治指導者のモチベーションが容易に推察でき、枕を高くして眠れるのである。それ故にこそ、たとえごろつき国家(Pariah State)であろうと、ミンアウンフラインの軍事独裁の方が好ましいと思うのである。

<達成は困難だが、連邦制による統一のみが未来を拓く>
 ミャンマー国家の将来像の嚆矢は、1948年1月の独立前年にアウンサン将軍の主導でその枠組みを与えられた、連邦制国家であった。アウンサン亡き後「ビルマ連邦」として独立したものの、間もなくカレン族やシャン族などが分離独立を求めて、ビルマ族政府との内戦状態に陥ってしまった。その後も内戦状態が続き政情不安定が続いたため軍部が抬頭、1962年ネウィン将軍のクーデタによって軍事独裁体制が成立、以後半世紀以上にわたって政治的窒息状態が続いた。2010年代に2008年憲法のもとで、疑似的な文民政府―テインセイン政府とアウンサンスーチー政府―が続いたが、2021年2月1日のミンアウンフライン最高司令官のクーデタによってふたたび軍事独裁へと舞い戻った。
 しかし今回のクーデタ後の情勢は、1988年の反ネウィンの国民総決起が残忍な弾圧によって圧殺されたのとは決定的に違っていた。平和的な抵抗運動が武力弾圧されたため、時を失せずZ世代の若者を先頭に武力抵抗へと転換、これを圧倒的な国民が支持し、後押ししたのである。しかも若者たちは、都会を捨ててタイ国境や中国国境に位置するカレン族やカチン族の根拠地に自ら馳せ、本格的な軍事訓練を受けて人民軍兵士に鍛え上げられていった。以後近代装備を有し高い組織力を有する巨大な国軍と全土で戦い、3年ほどの間に民族武装勢力とともに勝利を重ね、軍事政権の支配地域を全国土の半分以上縮小させるところまできたのである。これはクーデタ前には、ミャンマー内外の関係者のだれもが想像だにしなかったことであった。

2023年9月11日、カレンニ州プルソ郡での最前線での戦闘中、負傷したカレンニ抵抗戦士が医療兵の治療を受けている。(Photo:Free Burma Ranger)――都会育ちにとって、ジャングル内での生活は過酷である。敵はミャンマー国軍だけでなく、恐ろしいマラリア蚊もである。

 この間の内戦の意義は、連続的な軍事的な勝利とともに、反政府勢力の間で将来的な見通しとして、連邦制の民主国家の樹立という機運が醸成されてきたところにある。そのイニシアチブを取ったのは、クーデタで追放されたスーチー政権の要人たちであった。早くも2021年3月には、影の政府NUGの中核をなす連邦議会代表委員会(Committee Representing Pyidaungsu Hluttaw, CRPH)は、新政府の憲法草案にあたる連邦民主主義憲章(the Federal Democracy Charter)を発表し、議論のための共通のプラットフォームを打ち出した。
 しかし、それ以降議論の進捗がほとんど見られないとして、統一政府NUGの怠慢を非難する声もあった。また旧NLD政権を支えていた人々のうち、多くの若者が武力闘争の現場へ去っていった。党是であった非暴力抵抗運動を奉じ、亡命政権を支えている年長者たちのグループとの齟齬もあるという。しかし「ラジオ・フリー・アジア」10/9の報道するところでは、様々な困難はありながらも、統一政府NUGと多くの抵抗勢力の対話は進んでいるという。以下は、RFAの紹介である。
――対話や議論は、オンラインやメーソート(タイ国境の町)での秘密会議で行われている。メーソートには、現在多くの政党の代表者が住んでいるが、そのうちの何人かは未登録のままだ。主な意見の相違点は、連邦制をどう導入するかで、KNUの広報担当パド・ソー・タウ・ニー氏とカレンニー執行評議会議長ク・ウー・レ氏によると、NUGは「トップダウン」の中央集権政府を建設したいのに対し、民族指導者らは、州レベルから権力が生まれ、中央政府を統制するまったく新しい「ボトムアップ」のシステムを望んでいる。

このイラストは、戦いが繰り広げられる中、全国各地でリーダーたちが対面とオンラインの両方で会合する様子を表している。(Rebel Pepper/RFA)

 現在、統一政府(NUG)と軍事面で連携し、かつ政治的な対話を進めているのは、わかっている限りでは、カレン民族同盟(KNU)、カレンニー民族進歩党(KNPP)、カチン独立機構(KIO)、チン民族戦線(CNF)、タアン民族解放軍(TNLA)、そしていくつかの小規模民族グループ、政党、市民社会組織、民主化活動家たちなどであるという。 その他、ラカイン州の大半を制圧したといわれるアラカン軍(AA)は、独立志向が強いものの、民主主義的な連邦国家をめざす点では一致しており、今後開かれた協議の場ができれば、参加する可能性は高いであろう。RFAによれば、NUGのミンザヤルウー副財務大臣は、さまざまな民族グループとの間で軍事・政治協力を概説した予備的合意に達したと述べたという。
 ちなみに、ミャンマーには多数派であるビルマ族のほかに、カレン族、カチン族、カヤー族、チン族、モン族、ラカイン族、シャン族という 7 つの主要な民族が存在する。武装勢力も20前後あると言われる。シャン州には最も多くの武装勢力が存在し、地域支配をめぐって相互に武力衝突することもある。中国の影響力が強く、利害関係も複雑で容易に共通の場に立てる雰囲気はほとんどなかったと言ってよい。しかし「1027作戦」による北部三同胞同盟の戦いは、団結すれば国軍に勝利できるという成功例を世に知らしめた。戦いが進展すれば、国軍や中国の締め付けから脱し、民主的な連邦制国家の創設に参加する意欲も強まる可能性が出てきた。
 シャン州北東部の少数民族集団に対する中国の影響力は圧倒的であるにせよ、「1027作戦」の成功後は、それ以前とは状況に変化がある。中国への従属状態の下での安全確保か、連邦制国家建設への参加と晴れての自治権の獲得か、それほど遠くない将来各民族は態度決定を迫られるであろう。中国も国民に見放された軍事政権を支えることのマイナス、その愚に気づく可能性もある。そのためにもここ当面は、国軍に対する軍事的勝利の拡大は絶対不可欠なのである。
 最後に簡単ながらナショナリズムの問題に触れておく。今日、リベラルなサークル内では、ナショナリズムは時代遅れの廃棄すべき政治概念とみなされることが多い。グローバリゼーションが時代の圧倒的趨勢であるがゆえ、ナショナリズムやアイデンティティ政治は保守反動でしかない云々。しかしナショナリズムが有効か無効かは、時と場合によりけりである。ミャンマーの場合、独立運動を支えたナショナリズムは、ビルマ族――ほとんど同時に仏教徒である――中心主義を意味しており、130以上あるとされる少数民族―これはネウィン国籍法が勝手に決めたことである―を排除するものであった。したがって独立前年、アウンサン将軍がいわゆる「パンロン会議」で連邦政体のもとで少数民族を包括する構想を提示し、少数民族の了解を得て独立=国家主権回復に向かったのは、ミャンマーの歴史にとって画期的なことであった。しかし独立後、主人を失ったビルマ連邦は再びビルマ族と少数民族とに分裂、長い内戦に突入するのである。
 詳細は省くが、半世紀以上にわたる内戦対応の軍事独裁に対し、いま反政府勢力が一致しているのは連邦制にもとづいて近代的な民主国家を打ち建てることである。戦後建国の理念とされたものが、実は少数民族の排斥と多数派ビルマ族=仏教中心主義という狭隘なナショナリズムでしかなかったこと。このことへの反省が一方の側にあり、他方の側も自民族中心主義ethnocentrismとしての閉鎖性や排外性を反省するという、その相互作用から生まれる健全なナショナリズム=国民意識の形成が、反軍事政権との闘いの共同戦線から生まれつつあるのではないか。国民国家(nation state)の統一的な枠組みを構成しつつ、文化的な多様性を保持し続けるという二つの要素の相互承認の機運が育ちつつある。内外両方面へ開かれた国民国家という解放空間のもとで、個々人の尊厳は守られ、個々人は主体的かつ自由に国づくりに参加することが可能になる――軍事独裁の崩壊のあとにこうした未来を思い描くことが、夢ではなくなりつつある。いずれにせよ、こうした歩みの試金石になるのは、国内で最も迫害され抑圧されてきたロヒンギャの扱われ方であろう。

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