中国の将来の変化と底流で密接につながる客家問題 〔書評〕矢吹晋・藤野彰著『客家と中国革命―「多元的国家」への視座』

〔書評〕矢吹晋・藤野彰著『客家と中国革命―「多元的国家」への視座』  (東方書店、¥2400+税)

客家(はっか)なら誰でも、自らの祖先は中原から来たと「中原」の出自を強調するという。客家とは、中国古代のたび重なる戦乱や天災から逃れるべく、原郷である、中原といわれる黄河中下流域から南方へと彷徨(さまよ)い、移住したという伝承を持つ漢民族の一グループのことで、人口は諸説あるが、中国国内だけでも4000万人を超すといわれる。
客家は自他共に「客家人」などと称するが、「客家」とはそもそも「客而家焉」(客にして家す)の義であり、移住先で先住の漢民族と区別する意味でつけられた他称であった。彼らは漢民族のなかにあって独自の生活様式・風俗習慣を保持し、方言客家語を話しているが、今日、中国においても台湾においても標準中国語の普及が進み、客家語の継承がだんだん難しくなってきているといわれる。

「客家」を切り口として現代中国に迫ろうとした本書は、中国研究者・矢吹晋(すすむ)(1938年、福島県生まれ。東京大学経済学部卒業。中国経済論、現代中国論専攻)とジャーナリスト・藤野彰(1955年、東京都生まれ。78年、早稲田大学政治経済学部卒業。2006年より読売新聞社東京本社編集委員)の共著によるものである。

なぜ今、客家に注目するのか。いや、そもそも、なぜ今、「客家と中国革命」なのか、と問うべきなのかもしれない。1989年の天安門事件の決着のつけ方を見てより、「中国革命」の四文字になんらの希望も光明も見出せない評者にはなおのことその感が強いのである。

現代中国は巨大帝国として発展し続けているが、その内部に多くの矛盾をかかえている。民族問題もその一つである。
漢民族と、漢民族に「同化」した少数民族を総称した「中華民族」という政治的に作られた概念を提唱したのは孫文であった。中国政府は孫文の見解を巧みに継承し、中華人民共和国は漢民族と55の「少数民族」から構成される多民族国家であり、民族紛争は国内問題(国内矛盾)であると一貫して説明している。かくて、チベット民族もウイグル民族も、いつの間にか漢民族を中心とする「中華民族」を構成する一つの少数民族にされてしまった。
今や中国は米国に迫る世界第二の軍事大国となり、主権も領土も一歩たりとも譲らず、国際的な孤立を何とも思わぬ異質な国家と成り果てたのである。
本書は三部構成。
Ⅰ 客家の実像.――歴史と革命の中で(矢吹 晋)
Ⅱ「客家」再発見の旅――革命の故地で考える(藤野彰)
Ⅲ 対論 なぜ今、客家に注目するのか(矢吹晋×藤野彰)
Ⅰ、Ⅱのともに著者の熱情溢れる論考に圧倒されたじろぐ読者には、Ⅲの対論からアプローチするという方法をすすめたい。

横浜市立大学名誉教授で財団法人東洋文庫研究員などを務める矢吹は、1969年、客家である戴國煇(たいこくき)教授とともに香港在住で客家の羅香林教授に会い、「客家という存在」を初めて認識したという。その矢吹は、第Ⅰ部で客家研究史を概観し、客家に関する歴史問題、現状と課題を明らかにしているが、とりわけ、「公刊されているものには『客家』という言葉はまずほとんど出てこない」との指摘には驚かされる。

なぜ中国革命の「正史」から客家が消されたのか、なぜ共産党は「中華民族」なる概念を強調するのかという疑問のおおもとを読者はグリップすることができる。これまでの客家理解とはことなった視点をそこに見出すことができる。
 矢吹は「中国の未来像として連邦国家を構想したい。重層的な国家体制が構築されるのが望ましい。大国中国が『中華民族』という擬似ネーションステートの観念しか持たないとしたら、中国の行方を憂慮せざるを得ない」とかつて司馬遼太郎が主張して中国当局の猛反発を呼んだのと同様の大胆な発言をしている。
 読売新聞社東京本社編集委員で、1990年代の初めから2006年11月までの間、3回も北京特派員として生身の中国を実体験したことのある藤野は、第Ⅱ部で特派員時代の客家地区探訪記という体裁をとりながら、四川省広安に鄧小平の、江西省井岡山に毛沢東の、湖南省瀏陽に悲運の「客家総書記」胡耀邦の、広東省梅州に「客都」が育んだ葉剣英の足跡をたどりつつ、中国革命と客家の抜きがたい係わりを精彩ある描写でもって記している。

洪秀全、黄遵憲、孫文、鄧小平、朱徳、葉剣英、李登輝、リ・クアンユー(李光耀)ら近現代史に名立たる要人が客家出身者であることはよく知られているが、「中国近現代における3つの革命―太平天国革命、辛亥革命、土地革命(ソビエト区革命)のいずれにおいても客家が主役であったこと」、なかんずく、「太平天国革命は客家の革命であった」と藤野は明解に指摘している。藤野はまた、
「客家を抜きに中国革命は語れない。中国革命のハイライトとも称すべき25000華里(1万2500キロメートル)の長征にしても客家抜きには語れない」、にもかかわらず、「共産党史において客家は日陰者の扱いを受けており、それは突き詰めれば、共産党の独善的な歴史観の問題に帰着する」という。  鄧小平の「客家」アイデンティティをめぐる疑問や中国共産党史(指導者の文選などを含む)に客家がほとんど登場しない理由についての推論をなしているくだりは研究者のような精緻さにあふれ読み応えがある。

 「鄧小平の改革開放期になって、毛沢東時代への批判的総括が部分的に始まると、客家問題も解禁され始めた」と藤野は鄧小平の一面をそれなりに評価しているが、その鄧小平に政治生命を絶たれた胡耀邦について、藤野は、「私にとって胡耀邦は最も気になる政治家の一人。1980年代の民主化運動に対する評価見直し問題とからみ、彼の名誉回復問題が共産党政治の行方、特に政治改革の動向を占ううえで重要な注目点として浮上してくる。胡耀邦はすでに亡くなってはいるものの、決して過去の政治家ではない」という。

また、「革命」と「歴史の真実」について、「革命とはいったい何だったのか。本来、歴史はいろいろな視点や角度から考察、検証されるべきものだ。革命は正義であった、正しかったという、共産党史観に代表される観点はもちろんあっていいだろう。しかし、それが唯一絶対のものであり、他の観点からの考察を許容しないとすれば、歴史の事実を歪め、真実を見失うことになりかねない」と言い切っている。まったくもって同感である。

なぜ客家問題に注目しなければいけないのか、という本書執筆の原点となったことについて、著者である矢吹、藤野とともに3人で福建省の客家土楼地区への取材旅行を敢行し、本書のコーディネートをした編集者の朝(あさ)浩之は、「結局のところ、中国の将来的な変化という問題と、底流において密接にリンクしているからだという一点に尽きる。客家問題を一つの突破口に、文化大革命後の中国への欲求不満といったものが解消できるのではと思う」と述べている。
これまでの客家理解については、「かなり誇張されていて事実誤認も多い」とは本文中で再三指摘のあるところであるが、そうした先人の誤謬を糺したうえで、客家を通じて、現代中国を照射した本書は、3人の意図以上に、読者に強烈な印象を残すことになろう。

 最後に。蛇足ながら。本文中に配置された写真のサイズがあまりにも小さい。
一例として。私事になるが、戴國煇氏は評者の恩師である。台湾人の妻と結婚したとき、お世話になった。若き日の写真が掲載されているが、目元、口元まではっきりした戴先生にお目にかかりたかった。せめてもう一回りふた回り大きなサイズで引用できなかったのか、と言いたい。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

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