中国の社会体制を何と名づけるか、民主化は、政治治改革はどうなる? 〔書評〕『劉暁波と中国民主化のゆくえ』

〔書評〕矢吹 晋・加藤哲郎・及川淳子著『劉暁波と中国民主化のゆくえ』(¥2200+税)

2010年、ノーベル平和賞を受賞した劉暁波は1955年12月28日 吉林省長春に生まれた。「紅衛兵世代」であり、文革後、大学入試が復活した第一期の大学生「77年入学組」のひとりである。一般に「中国人人権活動家、作家」と紹介されるが、自らは「公共知識分子」と称している。各種の「腐儒」に対して、社会的責任を自覚し行動するインテリを劉暁波はこのように呼ぶ。
「劉暁波」の名が知られるようになったのは、日本人にとっても、あの忌まわしい記憶といえる1989年6月の天安門事件である。この時,米国で研究中であった劉暁波は民主化運動に参加するため帰国し,「龍的伝人」で有名な台湾出身のシンガーソングライター・侯徳健ら3名の若手の知識人とともに「6・2ハンスト宣言」を発している。天安門事件の最終局面の6月4日の早暁、天安門広場で迫りくる凄惨な事態を回避するために劉暁波らは懸命に学生たちの説得に当たった、という。

中国が改革・開放政策を開始してから、すでに30年余りが過ぎた。「世界第二の経済大国」となり、目覚しい躍進を続けている中国であるが、一方で特権層の腐敗、貧富差の拡大などの多くの問題が深刻化している。天安門事件以降の中国は、あたかも日本の60年代から90年代を一挙に駆け抜けているようにも見える。
ふりかえって、2001年の中国のWTO(世界貿易機関)加盟が情報公開、法制度の整備につながり、「人治」から「法治」へと政治システムの転換を促す可能性があると期待されたが、遺憾ながら、中国はそうした民主化の道を選ばなかった。

共産党一党独裁体制下のメディア統制、人権抑圧がいつになったら変わるのか。「法治」と「民主」に向けた政治改革を進めないと、いずれ体制の崩壊を迎えることは明々白々であるにもかかわらず、指導者たちが自らの権力の正当性、党体制の存続に異常なほどの不安と恐怖を抱いていることは、劉暁波のノーベル平和賞受賞に対する中国政府のあまりにも厚顔無恥な対処からも見て取れる。

本書は三部構成である。先ず、劉暁波本人も劉霞夫人も出席できないまま開催されたノーベル賞授賞式で、受賞者による記念スピーチの代わりに読み上げられた「最終陳述――私には敵はいない」が「序章」に収められている。

「私には敵はおらず、憎しみもない。私を監視、逮捕した警察も検察も、判事も誰も敵ではないのだ。私は、自分の境遇を乗り越えて国の発展と社会の変化を見渡し、善意をもって政権の敵意に向き合い、愛で憎しみを溶かすことができる人間でありたいと思う。」
第I部は、激動する現代中国の政治経済の動向を一貫して分析してきた中国研究者の矢吹晋と政治学者の加藤哲郎の対談である。「もともと私は中国は専門ではない」と謙遜する加藤が矢吹から「できるだけ中国の現状と将来を引き出そう」とし、矢吹が丁寧かつ真摯に問い掛けに応じている。司会は花伝社社長・平田勝で、「なぜ劉暁波が国家反逆罪(国家政権転覆扇動罪)に問われたのか、これまで劉暁波の名前ぐらいは知っていたが、いかなる人物なのかよく知らなかった」など、読者目線で、適切な設問をなし対談をもりあげている(60年安保当時、全学連委員長であった平田の、中国とのかかわりや半生を振り返っての「『あとがき』に代えて」も味わい深い)。

本書ができるきっかけは、平田が「劉暁波のノーベル賞受賞を一つの素材として、現代中国を論ずる本を作りたい」と矢吹に提案したことにはじまると書かれているように、劉暁波問題に止まらず、中国の現状分析から中国の民主化の行方、さらには米中関係の今後へと多方面にわたる中国問題が話題となっている。

第Ⅱ部では、劉暁波はなぜ国家反逆罪に問われたか、その全容を理解するために、法廷で行った劉暁波の陳述と弁明、一審二審の判決文、弁護人の陳述の全文が、第Ⅲ部では、劉暁波が国家反逆罪を犯した証拠として罪状に挙げられた六つの文章と、国連の「世界人権宣言」記念日に合わせ、2008年12月9日に、劉暁波が中心となって起草した『08憲章』の全文が、収録されている。

  「中国共産党が転覆させたのは『国民党政権』だけで、中国という『国家』ではなかったのである。ゆえに、中国共産党が1949年に政権を奪取したのは、また一つ『新政権』を樹立したというだけのことで、『建国』とは関係ないのだ。毛沢東も『新政権の父』であるだけで、決して『新中国の父』なのではない。……中国共産党は一貫して『国家・民族・人民』を自然と代表するとして自らを奉っているが、独裁的な強権とその既得利益を守りたいのだ」(「中国共産党の独裁的愛国主義」2005年10月3日)

第I部の「対談」における対談者の総括は、予想したとはいえ、厳しいものである。矢吹は「劉暁波の『非暴力による政治改革』という思想は、1989年6月4日の鎮圧前夜に発表された『ハンスト宣言』以来、見事に一貫している。
しかし、この非暴力の思想が、当面、中国政治の改革にとって直接的に役立つとは考えにくい。市場経済が進む中で、既得利益を享受する集団、階級が政治を壟断し、徒党を増やし、共産党組織を動かしているところが問題の核心なのである。一時的な開発独裁を経て、民主主義社会へという展望が失われたことについては、深刻な見直しが必要だと痛感している。政治改革の展望は限りなく不透明だというのが結論的観察である」といい、中国の民主化に対して「絶望的になっている」自らを露にしている。

「現代中国の社会体制を何と名づけるべきか。《社会帝国主義》や《国家資本主義》という用語があるが、どういう社会科学的な概念でいまの中国をトータルに掴むことが可能なのか、私はまだ確信を持てない」とする加藤は、「中国のグローバルで持続的な経済発展が、劉暁波らの期待する民主化には、むしろさしあたりの障害になっている」とした上で、矢吹同様、「政治改革の見通しについては、悲観的にならざるを得ない」と断じている。
 両者とも、民主制への漸新的移行は展望が見えず、来年に胡錦濤・温家宝体制が終わるが、独裁体制が続く可能性が高い、という危機意識を共有している。
 
平和賞式典で代読された劉暁波の文章の一部を掲げる。
「私の国が自由に表現できる大地であってほしいと思う。私の心は、いつか自由な中国が生まれることへの楽観的な期待に溢れている。いかなる力も自由を求める人間の欲求を阻むことはできず、中国は人権を至上とする法治国家になるはずだ。未来の自由中国の到来に対して楽観に満ちた期待を抱いている。中国はいつかは人権を至上とする法治国になるであろう。」
 
劉暁波の文章は表面上は楽観的と読めるが、内面からは絶望、諦観などが響いてくるように思えてならない。すべての国家・政治機構を共産党がコントロールするという「党政不分」の仕組み及びプロレタリア独裁の理論を放棄しない限り、「民主」や「法治」は実現しがたい。このことを熟知している劉暁波はいつまで耐えられるのか。魯迅を彷彿させる劉暁波の精神は不朽としても、肉体には限りがある。劉暁波の健康が案じられてならない。

江沢民時代の頃、日本の大学で教鞭をとる在日の中国人研究家が「数人の反体制活動家が逮捕される一方で、何億もの国民の自由が拡大している現実もある」と嘯(うそぶ)いて恬(てん)として恥じないのを読んで暗然としたものだが、情況は、その時より、いっそう悪くなっている。隣の国で何が起こっているのか、劉暁波はどのような考えの持ち主で、今、どのような思いで今を生きている(生かされている)のか。劉暁波の基本的な文章が網羅され、中国問題に関する得難い情報及び分析上の視点が率直かつ明快に提供されている本書は、ずしりと重いが、多くの人々に、是非とも手軽に手にとって読んでほしい“一冊の本”である。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載  http://lib21.blog96.fc2.com/

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