中国擁護のわけ その20-香港デモ暴徒青年に歌があるように,我々には我々の歌がある

次の記事を読んだ;「国歌を歌うのはあなた一人じゃない」香港市民が中国国歌斉唱するイベント(人民網日本語版 2019年09月16日)http://j.people.com.cn/n3/2019/0916/c94638-9614947.html

>香港地区の牛頭角にあるショッピングモールで中国国歌を斉唱したため、黒ずくめの男に襲われた香港地区の教師・李さんを支援するイベントが行われた。新華網が伝えた。(編集TG)

香港の人民は,暴力デモ青年に対して中国人であるから中国国歌を歌ったのであろう。

『香港に栄光あれ』と『Rule,Britania(ブリテン人よ支配せよ)』や『星条旗よ永遠なれ』を唄ったそうだが,旧宗主国賛歌と歌「香港に栄光あれ」がどう一致するのか分からない。

反戦歌・詩であれ,人民の声が現れている以上,格調高くても低くても文学的であるかないかはその主張に関係がない。香港を支配した側を讃える歌を歌った香港の暴徒にとって自由とは「支配する自由,および支配される自由」なのであろうか。E・フロムの『自由からの逃走』なのか。どうか。

目には目を。栄光あれに対しては中国国歌を歌った中国人。どちらを応援すればいいのであろう。しかし小生の立場は明らかである。なぜなら加藤哲郎先生ご指摘のように『祖父たちが償おうとしなかった罪を、孫(子供)の世代が引き受ける』ためでもある。高市早苗与党議員は「さきの戦争に責任はない」と言ったが「子供・孫世代は間接の責任がある(文芸評論家故・加藤周一)」。小生もまた子どもの端くれとして中国批判が多い中で中国を擁護する責務があろう。なぜならアヘン戦争で清国に多大な悲劇をもたらしたのは植民地主義であり,西洋諸国及び日本であるからである。重慶・成都爆撃など日本軍の無差別爆撃,あるいは丸太実験にもつながる中国侵略。そういうことの責任は,孫世代に直接の責任はないが,侵略の清算を何らかの形で示す必要があると考えるからである。

暴徒デモ青年は「自由」とか「自治」とか「民主主義」を唱えているが,1997年の返還までそれらは香港にあったのであろうか。突如出てきた三種の神器。それらを叫べば全世界が応援しくれるだろうと思うのは間違い。

英国香港庁時代に香港の人々に三種の神器はなかった。銃剣で圧政を強いられていたのだ。ブリタニア人によって。

おわりに次の記事を紹介したい:『新疆をめぐり2つの国際勢力のぶつかり』。

>事の発端は、7月10日に22か国(後に24か国)の大使が連名で国連人権高等弁務官に宛てた書簡で、中国の新疆のウイグル族及びその他少数民族の人権状況に「懸念を表明」し、現地の職業技能教育訓練センター(略称「職業訓練センター」)の閉鎖を中国に呼びかけたことだ。

7月12日、37か国(後に50か国に増加)の駐ジュネーブ大使が国連に宛てた書簡で、人権分野での中国の卓越した業績を高く評価し、新疆を再び安全にし、全ての民族の基本的権利が保障されているとして職業訓練センターの設置などのテロ・過激化防止措置を称賛した。

://j.people.com.cn/n3/2019/0910/c94474-9613739.html

この件は事実が確認できる。疑う方は確認して頂きたい。前者は非ムスリム諸国だそうだ。今は収まった新疆ウィグル自治区の暴動も香港の暴動も根は同じであろう。