中村哲・伊藤淳(伊藤律の次男)さんの偲ぶ会

国境なき医師団の活動家として著名な中村哲さんが先日内戦に巻き込まれて亡くなりました。感動的な彼の活動と死を惜しむ声と驚きは極めて大きなものがありました。郷里の福岡では昨日お別れ会が開催されました。たまたま私は中村さんの父親達が戦前の暗い時代(軍国主義的な)に福岡で共に活動していた椎野悦朗さんや西田信春などの足跡を調べ、また講演してきました。前回の明治大学での「解明されたゾルゲ事件の端緒──日本共産党元顧問真栄田(松本)三益の疑惑を追って」の中に登場する西田信春の虐殺(拷問死)は中村哲の父親たちが検挙された翌年に九州の組織の再建のために派遣されてスバイによって売られて殺されたのです。中村哲の母親の父に当たる人物は火野葦平です。この人物に就いては『偽りの烙印』の「青柳喜久代という人」(154頁)のなかで、彼女の兄喜兵衛は火野葦平が主宰する「九州文学」の挿絵などを書いていたこと。火野葦平の「花と竜」には実名で登場します。青柳の伯母にあたる人が北林トモです。『偽りの烙印』はゾルゲ事件の端緒が伊藤律によるものとする松本清張や共産党の主張の反論のため書かれ、これと30年間も闘ってきました。中村哲の生涯は決して他人ごととは思えないような感情を持っています。そんなことに重ねて昨年伊藤律の次男淳さんが食道ガンで死去しました。その1ヶ月ほど前に私は共産党大会で伊藤律の名誉を回復してもらうためにゾルゲ事件の端緒説を含めて書きたい、というので大量の資料を彼に渡しましたが、ガンは予想を越えて急テンポで終末を迎えました。私が見舞いに行ったときは最早これ以上の作業は無理、と判断して引き揚げましたが、その状況を聞いた岐阜県の井沢さんが上京の折りに見舞いの電話を入れたときには死んだ直後で私と中田、井沢さんらの3人で焼き場で最後のお別れをしました。以上の経過により各位には連絡することもないまま新年を迎えてしまいました。伊藤淳さんの偲ぶ会は3月ころ(彼岸前後)伊藤家の墓参りと偲ぶ会(八王子で)を行いたいと思いますが、TBS報道特集の髙世仁さんに中村哲さんについての全般的なニュースを、渡部は中村さんの思想的な背景と歴史について及び伊藤淳さんの死去について報告します)なお由井さん、合沢さんも以前に明治大学で中村さんを呼んで500人の集会(現代史研究会)をもち、50万圓位のカンパを集めたそうです。中村哲・伊藤淳さんの偲ぶ会を以下により開催します。予約のために参加可能な方はご連絡ください。

1月24日(金曜日)、5時から三鷹「魚民」 (電話=0422-36-72889 ・集合=中央線三鷹駅改札5時10分前、遅れて参加の方は連絡ください。