丸山眞男「超国家主義の論理と心理」を読む
「かくて我らは私生活の間にも天皇に帰一し、国家に奉仕するの念を忘れてはならぬ」(臣民の道)といっているが、こうしたイデオロギーはなにも全体主義の流行と共に現われ来たったわけではなく、日本の国家構造そのものに内在していた。
丸山眞男「超国家主義の論理と心理」
1 「超国家主義の論理と心理」
「超国家主義」は昭和日本のファシズムや全体主義を意味する概念として使われている。たとえば「現代日本思想大系」(筑摩書房)には橋川文三の編集・解説からなる『超国家主義』(第31巻)の巻がある。それは『アジア主義』(第9巻)『ナショナリズム』(第4巻)とは別に立てられた昭和ファシズムとその代表的言説を編集する巻だと考えられる。ところでその巻の編者である橋川はその解説で「日本の近代史においては、たとえばドイツもしくはイタリアに見られるような、明確なファシズム革命というものがなく、いわばなしくずしの超国家主義化が進行したために、その政治的要因として、一般の右翼思想・国家主義思想から区別された超国家主義的契機を、それとしてとり出すことが特別に困難である」といっている。橋川はここで丸山眞男が「どこからファッショ時代になったかはっきりいえない」と日本ファシズムの「漸進的な性格」[1]をいう言葉を引いていっている。私がここで注意したいのは「超国家主義」という日本ファシズムの特性がドイツやイタリアのそれとの区からいわれることである。こうした「超国家主義」としての日本ファシズムの特質化は丸山によるものである。
「超国家主義」という概念を戦後日本に定着させたのは、敗戦の翌年に発表された丸山の論文「超国家主義の論理と心理」[2]であるだろう。この論文は戦後日本の思想的言論世界にもっとも大きな影響力をもったものだといっていい。戦後20年に当たって『中央公論』(1964年10月号)が「戦後日本を創った代表論文」という特集をやっている。猪木正道・臼井吉見らの選考委員が18篇の論文を選んでいるが、圧倒的多数の票をもって第一位に選ばれたのは丸山のこの「超国家主義」論文であった。ところで丸山はその論文をこう書き出している。
「日本国民を永きにわたって隷従的境涯に押しつけ、また世界に対して今次の戦争を駆りたてたところのイデオロギー的要因は連合国によって超国家主義とか極端国家主義とかいう名で漠然と呼ばれているが、その実体はどのようなものであるかという事についてはまだ十分に究明されていないようである。いま主として問題になっているのはそうした超国家主義の社会的・経済的背景であって、超国家主義の思想構造乃至心理的基盤の分析は我が国でも外国でも本格的に取り上げられていないかに見える。」
丸山は「超国家主義」とは日本を戦争に駆りたてたところのイデオロギー的要因に連合国が仮に名づけた呼び方だというのである。そうだとすれば「超国家主義」は日本のファッシズムなり全体主義をいう概念としてすでにあった概念ではないことになる。むしろ「超国家主義」は丸山のする分析的認識作業、すなわちその「思想構造乃至心理的基盤の分析」作業を通じてはじめて日本の独自的なファシズム、あるいは日本的特性をもったファシズムを指す概念として成立したと考えられるのである。「超国家主義」とは、だから丸山のこの論文が構成する日本ファシズムの概念である。だが丸山自身はこの論文以降、「日本ファシズム」といって「超国家主義」をいうことをあまりしていないように思われる。だが「超国家主義」は丸山のこの論文による概念構成とともに、日本ファシズムの代名詞として一人歩きしている。
では丸山はどのように「超国家主義」を日本的ファシズム概念として構成していったのか。丸山がいましようとしているのは「超国家主義」の「思想構造乃至心理的基盤の分析」である。もしこの論文によって「超国家主義」概念が構成されたとするならば、その概念は「思想構造乃至心理的基盤の分析」を通じて構成されたものだということである。これは見逃してはいけない大事なことだ。丸山はこの分析、すなわち「思想構造乃至心理的基盤」の分析はあまりなされていないという。というのは、この問題が「あまりに簡単であるからともいえるし、また逆にあまりに複雑であるからともいえる」からだといっている。あまりに簡単であるというのは、「それが概念的組織をもたず、「八紘一宇」とか「天業恢弘」とかいったいわば叫喚的なスローガンの形で現れているために、真面目に取り上げるに値しないように考えられるから」だというのである。
丸山がここでこちらの「八紘一宇」といった簡単すぎる叫喚的なスローガンに対置しながら、あちらのナチズム・ファシズム運動を代表するものとして挙げるものは何か。「例えばナチス・ドイツがともかく『我が闘争』や『二十世紀の神話』の如き世界観的体系を持っていた」ことを丸山はいうのである。ここに見るのは丸山の政治学的言説に、その言説構成を可能にするものとして終始つきまとう図式的な東西の対比的思考である。なぜ丸山はヒトラーの『我が闘争』やローゼンベルクの『二十世紀の神話』に対置するのに北一輝の『日本改造法案』や大川周明の『日本二千六百年史』をもってせずに、「八紘一宇」や「天業恢弘」といった叫喚的スローガンをもってするのか。ここで『我が闘争』や『二十世紀の神話』に対置するのに北や大川の著作をもってすることの適否が問われることではない。問題なのは『我が闘争』をもつか、もたないから日本ファシズムの特質を導いていく丸山の政治学的分析のあり方である。
「超国家主義」概念を構成していく丸山の日本ファシズムをめぐる分析視角は、『我が闘争』の有る無しを問うような東西の対比的分析視角である。この東西の対比的分析視角は問われるものの特質を予め規定してしまっているように思われる。
「国民の心的傾向なり行動なりを一定の溝に流し込むところの心理的な強制力が問題なのである。それはなまじ明白な理論的な構成を持たず、思想的系譜も種々雑多であるだけにその全貌の把握はなかなか困難である。是が為には「八紘一宇」的スローガンを頭からデマゴギーときめてかからずに、そうした諸々の断片的な表現やその現実の発現形態を通じて底にひそむ共通の論理を探り当てる事が必要である。」(傍点は子安)
『我が闘争』をもたないわがファシズム、すんわち「超国家主義」という概念はこのように「思想構造乃至心理的基盤」の分析を通じて構成されるのである。
2 『我が闘争』はここには無い
一般にはファシズムという政治イデオロギーを備えた政治的、思想的運動体系が組織的宣伝と大衆教育を通じてファショ的という同調的心理を大衆の間に作り出していく。こうして時代と社会とは全体主義的に再編成されていくのである。たしかにそこには時代と社会のファショ化を主導するイデオロギーがあり、そのイデオロギーを担う主体と組織と運動とがある。だが日本ファシズムには『我が闘争』はないと丸山はいうのである。『我が闘争』がここにはないと丸山がいうとき、それは何を意味するのか。
『我が闘争』が日本ファシズムにはないということは、最初に引いた橋川の「解説」がいうように、日本ファシズムには「始まり」がないことを意味している。「始まり」がないとは、始まりを画する宣言といった言語的表明がないということである。言語的表明がないということは、始まりを告げるような確信的な表明主体がないということである。このように丸山が日本ファシズムには『我が闘争』はないということは、私が上に「ここには時代と社会のファショ化を主導するイデオロギーがあり、そのイデオロギーを担う主体と組織と運動とがある」といったファシズム運動の一般形としては日本ファシズムを見ないことを意味する。丸山は日本ファシズムをファシズムの特異形として見るのである。「超国家主義」とはこの特異形としての日本ファシズムをいうのである。この特異形としての日本ファシズムを叙述する丸山の論文「超国家主義の論理と心理」は、この日本ファシズムという特異形、あるいはむしろ奇形に対して嫌悪感を含んだサチールをしばしば浴びせかける。「慎ましやかな内面性もなければ、むき出しの権力性もない。すべてが騒々しいが、同時にすべてが小心翼々としている。この意味に於いて、東条英機氏は日本的政治のシンボルと言い得る。」
日本ファシズムには始まりもなければ、始まりを告げる言葉も主体もない。では何があるのか。ここにあるのは日本的特異形としての国家、すなわち天皇制的国家があるのである。ここでは国家の存立そのものが、「国民の心的傾向なり行動なりを一定の溝に流し込むところの心理的な強制力」をともなったものとして、あるいはそうした心理的な強制力をたえず生み出す権威的源泉としてあるのである。日本ファシズムの特異性とは日本的国家の特異性である。日本ファシズムはこの日本的国家と国家主義の特異性が生み出すものとして「超国家主義」=極端な国家主義といわれるのである。
3 〈国体論的国家〉
丸山は特異形としての日本的国家を、例によって東西の対比的視角による特質化をもってしている。いま西の〈国家類型〉が丸山によってどのように構成されるかを見てみよう。
「ヨーロッパ近代国家はカール・シュミットがいうように、中性国家(Ein neutraler Staat)たることに一つの大きな特色がある。換言すれば、それは真理とか道徳とかの内容的価値に関しては中立的立場をとり、そうした価値の選択と判断はもっぱら他の社会的集団(例えば教会)乃至は個人の良心に委ね、国家主権の基礎をば、かかる内容的価値から捨象された純粋に形式的な法機構の上に置いているのである。」
丸山はここで〈中性国家〉を近代国家の理念型として記述しているのではない。西側・ヨーロッパの近代国家を〈中性国家〉として特質化し、記述しているのである。この記述はすでに虚構である。この〈中性国家〉の記述は、その反対側に〈反・中性国家〉を導くための虚構である。東西の対比的視角による東の国家・社会の特質化的記述は虚構の記述となることを免れない。私はカール・シュミットを呼び出してする丸山の〈中性国家〉の理念型的記述を読みながら、『日本政治思想史研究』で丸山が構成する荻生徂徠の〈作為的社会〉像の記述を思い起こした。「超国家主義の論理と心理」のこの一節を読みながら、あたかも『日本政治思想史研究』の徂徠論の一節を読んでいるかのような錯覚を私はおぼえた。制作主体を前提にもった〈作為的社会〉としてヨーロッパ近代社会像を理念型的に構築し、それを徂徠の〈先王の道〉をめぐる儒家的政治思想に読み入れ、近代に先駆する徂徠の〈作為的社会〉像を丸山はでっち上げ的に構築し、記述するのである。こうしてわれわれが『日本政治思想史研究』に読まされるのは、徂徠の〈作為的社会〉像を江戸に置き忘れて近代化する日本国家社会の前近代的な国家社会構成と思惟様式の持続である。
明治の啓蒙期にヨーロッパ〈近代〉の虚構的理念型的構成が意味をもったのは、近代化の教えとしてであった。福沢の『文明論之概略』などはそのもっとも良質な例であろう。だが近代先進国家米英との総力戦に敗れた1946年の戦後日本にとって、ーー総力戦を戦いうるということは日本もまた近代先進国家であったことを意味するーーヨーロッパ〈近代〉の虚構的理念型化の言説はなお教えとしての意味をもっていたのだろうか。それは福沢を唯一の師とする丸山による再度の、そして真正の近代化の教説なのか。それともこれは丸山による西欧近代の対極像としての前近代国家日本の呪詛をこめた否定的再構築の言説であるのか。
丸山はヨーロッパにおける近代〈中性国家〉の形成過程を、「(政治と宗教との間の熾烈な確執は)かくして形式と内容、外部と内部、公的なものと私的なものという形で妥協が行われ、思想信仰道徳の問題は「私事」としてその主観的内部が保証され、公権力は技術的性格を持った法体系の中に吸収されたのである」と記述していく。ヨーロッパ近代の〈中性国家〉の丸山における理念型的成立とともに、あるいはその成立を前提にしてはじめて〈反・中性国家〉としての日本的国家が記述されることになる。丸山による日本的国家の記述を見よう。
「日本は明治以後の近代国家の形成過程に於て嘗てこのような国家主権の技術的、中立的性格を表明しようとしなかった。その結果、日本の国家主義は内容的価値の実体たることにどこまでも自己の支配根拠を置こうとした。」
「そうして第一回帝国議会の召集を目前に控えて教育勅語が発布されたことは、日本国家が倫理的実体としての価値内容の独占的決定者たることの公然たる宣言であったといっていい。」
「国家が「国体」に於て真善美の内容的価値を占有するところには、学問も芸術もそうした価値的実体への依存よりほかに存立し得ないことは当然である。しかもその依存は決して外部的依存ではなく、むしろ内部的なそれなのである。」
〈中性国家〉の対極に構成されてくるのは、価値的な実体としての国家である。この価値的実体としての国家である。この価値的実体としての国家とは、19世紀終わりの東アジアで国家の自立的存立をかけた日本が国家に与えていった無二の国家性である。この無二の国家性を天皇と国家と国民の同時的成立をいう創成神話をもって修飾し、それを「国体」として日本の近代国家存立の理念的基盤としていったのである。
私がいいたいのは丸山がいう「価値的実体」としての国家、あるいは「国体」論的国家とは明治日本が創りだした国家だということである。それは決して近代日本に成立する国家が自ずから備える性格ではない。福沢は『文明論之概略』で明治初年の国民は〈中性国家〉をとるか、〈国体論的国家〉をとるかの重大な選択を迫られていることをいっている。1875年の福沢において〈中性国家〉はなお可能な国民の選択肢であった。だが1946年の丸山にとって〈中性国家〉は近代日本における〈国体論的国家〉の運命的な肥大を呪詛を以て描き出すための虚構の理念型である。丸山は日本国家の国体論的存立を日本の近代国家の特異性としてとらえ、国体論的国家主義の過剰の展開を〈超国家主義〉として記述していった。
〈超国家主義〉が日本的全体主義であるのは、それが〈国体論的国家〉への国民の身体的、精神的統合を強制し、あるいは内部からうながす国家主義的支配の体系であるからであろう。ここで丸山の〈超国家主義〉的支配の分析の特異性は、〈国体論的国家〉の存立そのものが生み出す、国民の支配—服従の特異な心理過程の分析的な記述にある。丸山は国民の支配—服従の心理過程を陸軍内務班に象徴的に見ながら有名な「抑圧の移譲」という権力支配のあり方を描き出す。
「さて又、こうした自由な主体意識が存せず各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして、より上級の者(従って究極的価値に近いもの)の存在によって規定されていることからして、独裁観念にかわって抑圧の移譲による精神的均衡の保持とでもいうべき現象が発生する。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲して行く事によって全体のバランスが保持されている体系である。」
この「抑圧の移譲」という支配—服従の体系は天皇制国家の支配—服従の体系にほかならない。
「天皇を中心とし、それからのさまざまの距離に於て万民が翼賛するという事態を一つの同心円で表現するならば、その中心は点ではなくして実はこれを垂直に貫く一つの縦軸にほかならぬ。そうして中心からの価値の無限の流出は、縦軸の無限性(天壌無窮の皇運)によって担保されているのである。」
丸山の「超国家主義の論理と心理」への人びとの称賛は、ほとんどこれらの天皇制国家の支配—服従の社会心理学的な記述への称賛に行きつく。人びとは争ってこれを引用し、この引用をもって日本ファシズムへの追及を止めてしまった。そのとき人びとは丸山とともに日本ファシズムを隠蔽し、見逃してしまったことに気付かない。
4 日本ファシズムには始まりがある
日本ファシズムには始まりがないと丸山はいう。彼はこれを日本ファシズムには『我が闘争』がないといういい方でしていた。丸山という現代日本の代表的知識人のこの臭みのあるいい方は、二つのことを意味している。一つには日本ファシズムを〈国体論的国家主義〉の始まりのない漸進的な過激化としてとらえることである。二つには丸山の日本ファシズムの記述は日本的特異性の記述に終始することである。この二つは日本ファシズムを丸山が〈超国家主義〉として概念構成することの両面である。
丸山は日本ファシズムを〈超国家主義〉として概念構成することによって、すなわち日本ファシズムを〈国体論的国家論〉の問題に還元してしまって、1930年における世界史的全体主義の成立の問題から切り離してしまう。ドイツ・ナチズムは丸山において日本ファシズムの特異性を暴き出す理念型になってしまう。これは丸山政治学の根底的な間違いである。
日本ファシズムを世界史的全体主義との関連の中で見るならば、日本ファシズムは昭和ファシズムとして成立した時期をはっきりともつことになる。その時期とは1931(昭和6)年の満州事変が起こった時期である。総力戦を可能にする日本の全体主義的体制下がこの事変とともに始まったのである。全体主義化する昭和日本のただ中に生まれた私はもとよりこの変化を知ることはなかった。だが丸山たちの世代は満州事変とともに始まる日本の体制的変化に気付いたはずである。にもかかわらず丸山は敗戦の翌年に日本ファシズムを始まりのない〈超国家主義〉として、ファシズムの日本的特異型として記述した。「超国家主義の論理と心理」は大きな評価をえた。だがこの論文の成功とともに日本ファシズムをその張本人どもとともにわれわれは見逃してしまったのである。
われわれはいま安倍と日本会議に日本ファシズムの21世紀的再生を見ている。これは世界的に見て他に例をみない事態である。
なぜ我々は世界に例を見ない戦前ファシズムの再生復活を許してしまったのか。私は慙愧の思いで戦後過程を振り返っている。われわれは日本ファシズムを見逃してきたのではないか。丸山の「超国家主義の論理と心理」はこの見逃しの一因をなしているのではないか。
[1] 丸山眞男「日本ファシズムの思想と運動」『増補版 現代政治の思想と行動』未来社、1964.
[2] 丸山の「超国家主義の論理と心理」は敗戦の翌年(1946年)の『世界』の5月号に掲載された。私がいま見ているのは上掲『増補版 現代政治の思想と行動』所収のものである。
初出:「子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ-」2016.02.02より許可を得て転載
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/53937267.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study703:160203〕