事件を見る視角──先週の新聞から(17)

著者: 脇野町善造 わきのまちぜんぞう : ちきゅう座会員
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西はモロッコから東はイランまで、マグレブから中近東まで、アラブ世界は、油ではなく、「反政府」の大衆運動の火の海にある。こんなこときに「世界金融」の話をしていてどうするのかと自問せざるを得ない。しかし、「亭主(女房)の葬式の日でも女房(亭主)は飯を食い、用をたす」のだと考え、報告を続けることにしたい。

十字軍を西ヨーロッパの側から見た場合とアラブの側から見た場合とでは見方がまるで違う。しかし、西ヨーロッパもアラブも当事者である。本当はそのどちらでもないアジアからの目が一番冷静・客観的な目になるはずなのだが、アジアから見た「十字軍」というのは聞いたことがない。十字軍の影響はアジアには全くなかったからなのだろうか。それとも他に理由があるのだろうか。専門家の話を聞きたいものである。

2月16日のZeit-onlineはアメリカの財政赤字の話を話題にしている。アメリカの財政赤字は、ドイツを含めたヨーロッパに影響をもたらさないわけがない。Zeitによれば、アメリカの財政赤字問題の深刻さはギリシャに匹敵するか、それ以上である。その理由は四つある。一つはアメリカの圧倒的な経済力である。第二は、最も重要な世界通貨(Weltwährung)であるドルの信頼性がアメリカの金融政策にかかっているということである。第三に、金融危機はたんなる引き金のようなもので、アメリカ経済の構造的問題は解決していない。四番目に、アメリカにギリシャと違って、誰からも助けてもらえない。

実に端的な指摘である。しかし、これだけなら、アメリカの中からも指摘できるかもしれない。Zeitの指摘が興味深いのはここからである。Zeitはアメリカの民主党も共和党も、現実を覆い隠そうとしているという。オバマ大統領は、2021年までに財政赤字を国内総生産の3%にまで縮減するとしているが、それは向こう10年間、年率3.9%という高い成長率を達成することが前提になる。そんな高い成長が実現すると一体誰が信じようか。一方、共和党は、社会保障費と対外援助の「浪費」を止めるだけでよいとする。それも幻想にすぎない。新たな財源なしでは財政を建てなおすことは出来ない。─Zeitはそう指摘する。

さらにこうした(おとぎ話のような)ことが主張される理由として、Zeitは来年(2012年)が選挙の年であることを挙げる。相手を批判するだけで、票を失うという恐れから、本当に必要な政策を提示できないでいる。言いかえれば、票欲しさに詐欺を働いているようなものである。これもそのとおりであろう。

ヨーロッパやドイツの問題になると、Zeitにもときとして理解しがたい解釈が載ることがあるが、大西洋を挟んで遠くからアメリカを見るとなると、これだけ冷静沈着に発言できるものなのかと妙に感心する。事件をどういう観点で見るかということの重要性がこのことからだけでもわかる気がする。

その思いは、2月14日のNew York Times に掲載されたクルークマン教授の論文と比較すると、一層強くなる。教授は歳出削減を掲げた共和党の政策を罵り、「未来を先食いする」ものだと批判する。反面、オバマ大統領の政策に対しては、満足のゆくものではないにしろ、共和党の政策よりはまだましであると擁護する。賢明なクルークマン教授にしても、自国の政策となると、(教授自身も投票権を有していることからも)「右も左も皆駄目だ」と切って捨てるわけにはいかず、相対的によりましな政策に一定の評価を与えざるをえないのかもしれない。ただ、いかにオバマ大統領の方が「よりまし」であるとはいえ、その政策が結局Zeitの指摘するような「おとぎ話」のようなものであれば、判断根拠は、「現実離れ」の程度という恐ろしいものになってしまう。「今度の宝くじで俺は多分1千万円はあたるが、1億円は無理だ」と考える方が、「俺は絶対3億円あたる」と思い込むより「まし」だとはいえないであろう。

2月19日にパリでG20中央銀行総裁、財務相会議が開かれた。アラブ諸国の大衆反乱の影に隠れて、あまり注目を集めることはなかったが、この会議の報道のされ方も新聞によって随分と差があった。差は中国との交渉を巡るものである。

会議が始まる前から中国と他の諸国との間には、ザラザラとしたものがあった。2月17日のWall Street Journal(WSJ) は、会議の主催国フランスのサルコジ大統領が会議の議題に為替政策をとりあげることについて中国政府を説得したが失敗したことを報じている。中国は自国の為替政策が国際会議の場で論じられることを強硬に拒んだ。中国はある時は、今も自国は「周辺国」の一つだと自己弁護するかと思えば、逆に「世界はわが国を中心にして廻るべきだ」という傲慢さを振りかざすときもある。そのどちらになるかは、その時々の都合である。しかし、そのことは国際政治や国際経済においては至極当たり前のことであって、そこでは中国だけでなく、あらゆる国が「国益」を盾にご都合主義的に行動する。だからといって、中国のこうした行動を「当たり前のこと」だとして淡々と伝えていいということにはならない。それをどのように伝えるかは報道の視角に関わってくる。前々便(第15号)で、2月4日のブリュッセルでのEU首脳会議の報道を巡って、日経に腹を立ててしまったが、パリの会議の結末についての2月20日の朝日新聞の報道には、ただただ呆れかえるのみであった。朝日新聞が「中国の回し者である」と思ったことは一度もないが、この事件の報道に関してだけは、「これは中国政府の意向を慮って書いたようなものではないか」という印象だけが残った。記事では「今回のG20財務相会議では指標を何にするかで、ぎりぎりまで調整が続いた」とされているだけで、「ぎりぎりまでの調整」なるものが一体どういう類のものであったかは記事からはまるでわからない。

パリの会議が、各国経済の「ゆがみ度合い」を測る指標を巡っていかに紛糾したかは、2月19日のWSJを読めばよくわかる。指標にどのような数値を持ちこむかついて激論が交わされ、会議は決裂寸前まで行った。会議は、「白熱し」、「消耗し」、「言葉の投げつけあい」となった、とある。最大の争点は「ゆがみ度合い」の指標に為替レートを加えるかどうかであった。何度協議しても、中国の答えは「ノー」である。中国は自国の為替レートの問題を国際会議の議題にすることさえ頑なに拒んでいるのであるから、それを「ゆがみ度合い」の指標の一つにすることに同意するはずがない。やっと最後に、どうとでも読めるような、日本流に言えば「玉虫色」の合意案が作られた。それがどういう代物であるかも、WSJを読めばわかる。WSJは合意文書の全文を掲げている。たった53語のこの妥協的合意であるが、たしかにどうとでも読めるものである。こんな合意でも、「ないよりはまし」ということなのであろうが、WSJの冷ややかな眼差しが文章の背後から透けて見えるような記事である。

無条件にWSJの肩を持つわけでは決してないが、パリの会議のとげとげしさ、合意の困難さとその弱さは、朝日新聞の記事からはほとんど伝わってこない。「ぎりぎりまで調整が続いた」と書くことで事実は伝えたことになるのかもしれないが、その背景や実態を伝えることにおいて、朝日新聞の視角はWSJのそれと著しく違っている。
(2011/02/23)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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