以下の文章は、私が出詠している短歌雑誌『ポトナム』2月号に「歌壇時評」として書いたものです。
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昨年の歌壇は、岡井隆追悼と新型ウイルスCOVIT-19で暮れた感がある。「歌壇」とは遠い「番外地」にいる私だが、年末に刊行される二つの年鑑には目を通すようにしてきた。が、短歌総合誌の世界だけが「歌壇」であるかのような、そして自誌読者獲得のための編集、誌面構成が目立ち、残念にも思えるのだった。短歌を詠み続けている人たち、短歌史を学んでいる人たち、短歌を読むのを楽しみにしている人たちなど短歌を愛好してやまない人たちが短歌を支えてきたことを忘れてはならないだろう。
年鑑恒例の一年を振り返っての座談会では、『角川短歌年鑑』が「コロナ禍における〈座〉の在り方を考える」(佐佐木幸綱・松平盟子・吉川宏志・大井学・山田航)であり、『短歌研究年鑑』の「二〇二〇年歌壇展望座談会」(佐佐木幸綱・三枝昻之・栗木京子・小島ゆかり・穂村弘)でも、最初の話題は、歌人たちの「コロナ禍」体験であった。いずれも、座談会出席者の個人的な、あるいは自身の率いる結社での「コロナ禍」体験などが語られているのだが、若干の不安と不便を感じながらも、新しい体験を楽しんでいるかのような様子も伺えた。「未来志向」も大事だが、今回のCOVIT—19感染拡大と対策の不備やそれに伴う差別による被害は、国民の暮らしや短歌作品に影を落としていることにも目を配って欲しかった。
昨年の後半は、岡井隆追悼に寄せられたいくつかの文章を読むことになるが、その多くの執筆者は、自身と岡井との出会いやその後の個人的な近しい関係を誇らしげに語り、人柄や偉大な業績を称えるのだった。「お別れ会」でのスピーチではないのだから、冷静に、筋道立てた、岡井の作品や生涯を振り返って欲しかったとも思う。
さらに昨年は、塚本邦雄生誕一〇〇年、前川佐美雄没後三〇年でもあったので、特集も組まれたなか、私は、鳥取大学の岡村知子准教授らをはじめとする研究者と遺族関係者の尽力で出版された『杉原一司歌集』『杉原一司メトード歌文集』(杉原一司歌集刊行会 二〇二〇年三月)に注目した。没後七〇年にあたる杉原一司(一九二六~一九五〇)は、鳥取県立商業高校卒業後、地元の小学校国民学校に勤務、太平洋戦争末期に応召もした。同僚を通じて『日本歌人』の前川佐美雄を知り、彼の家は、前川の家族の疎開先にもなった。前川の仲介で知り合った塚本邦雄とは、『日本歌人』の後継誌『オレンジ』(一〇月創刊号、一九四六年一一月)で出会い、一九四九年八月には、杉原、塚本が中心になって『メトード』創刊に至るが、一九五〇年、二三歳で病死する。その杉原の歌集が、今回初めてまとめて読めるようになったのである。
また、『日本歌人』の「前川佐美雄没後三十年」特集(二〇二〇年七月)で「前川佐美雄を読むために」を寄稿している石原深予は「前川佐美雄編集『日本歌人』目次集(戦前期)」(石原深予編刊 二〇一〇年二月)を私家版で公表していたが、入手しにくいものだった。この目次集は、斎藤史が『日本歌人』の同人であったので、拙著『斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代』(一葉社 二〇二〇年一月)の執筆の折には、大いに利用させていただいた。二〇二〇年二月には、その増補・修正版がネット上で公開されている。
上記、杉原一司の歌集、『日本歌人』目次集は、作品の初出検索や作品鑑賞・歌人・短歌史研究には欠かせない基本的な資料となろう。こうした資料の作成への熱意と努力に敬意を表すると同時に、いわゆる「歌壇」は、こうした営為にも、もっと光を当てるべきではないのかと思うのだった。(『ポトナム』2021年2月号 所収)
初出:「内野光子のブログ」2021.2.1より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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