先日、全くの偶然から『お茶と同情(Tea and Sympathy)』の戯曲を落手しました。1956年に白水社から刊行されたものです。日本映画では『真昼の暗黒』(今井さん)、『流れる』(成瀬さん)の年ですね。うーんかなり古いですね。
その戯曲の帯には写真が載っていたのですが、そこに映っていたのがデボラ・カーさんとジョン・カーさんではなかったのです。映画『お茶と同情』は1956年の作品ですから、この戯曲が出版されたときには未だ映画は完成していなかったことになります。冒頭に写真数葉が掲載されているのですが、エリア・カザン演出となっています。映画はヴィンセント・ミネリ監督ですから、エリア・カザン演出の舞台劇を後から映画化したということになります。(赤狩りの時のエリア・カザンの行動は唾棄すべきものですが、『草原の輝き』には泣けましたなぁ。もっともそれはウィリアム・インジさんの脚本の力によるところ大ではありますけどね)
『お茶と同情』のあらすじは「学生寮の青年トムは、気の優しい所を“シスター・ボーイ”とからかわれていた。彼は恋愛を経験しようと、一人の女性に手を出そうとしたが失敗、却ってバカにされてしまう。そんな彼に、憧れのローラという舎監が優しく手を差し伸べる……。ブロードウェイで好評を博したドラマを、主役にオリジナル・キャストを配して映画化。」(Yahoo映画より引用)というもので、ブロードウェイの舞台のことは全く知りませんでした。不勉強の極みでございます。(だけど舞台での配役まで知っている方ってとっても少ない気もしますけどね)
舞台ならばデボラ・カーさんとジョン・カーさんでないのも頷けます。それでは、写真には誰が映っていたのでしょう。それは、ジョーン・フォンティーンさんとアンソニー・パーキンスさんのペアでありました。因みにデボラ・カーさんとジョン・カーさんもしっかり舞台でも演じておられる。
筆者は、デボラ・カーさんとジョン・カーさんのぺアとジョーン・フォンティーンさんとアンソニー・パーキンスさんのペアのどちらがお似合いだろうか、と瞬間的に思ったのですが、筆者にとってはこれがなかなかの難問、いや超々難問なんですね、これが。
左:デボラ・カーさんとジョン:カーさん
右:ジョーン・フォンティーンさんとアンソニー・パーキンスさん
ジョン・カーさんはテレビ版の『ペイトンプレイス物語』(日本公開時の映画題名は『青春物語(Peyton Place)』のファウラー検事さんとかありましたが、刑事コロンボ『ホリスター将軍のコレクション』で開幕早々犯人に殺されてしまいサランラップでぐるぐる巻きにされた哀れなダットンさんのイメージが強すぎましてちょっとマイナス(サランラップでぐるぐる巻きなら若干腐敗の進行は遅れますかしら)。だけど『お茶と同情』のシスターボーイの優し気でどことなく寂しげな佇まいはとってもよかったですね。
一方のアンソニー・パーキンスさんは、ヒッチコック監督の『サイコ』のこれまたあまりにも強烈なイメージに付きまとわれて、最期はエイズでお亡くなりになった。これもまた哀れな話しですが、初期のウィリアム・ワイラー監督の『友情ある説得(Friendly Persuasion)』のちょいと弱々しくてナイーブな感じこれまたはとてもいい。(因みにFriendly Persuasionの直訳である『友情ある説得』)は立派過ぎる題名で全くの的外れなことを、どなたかが指摘していましたが本当の意味は忘れてしまいました。)
デボラ・カーさんはなんといっても“英国の薔薇”超大輪の薔薇ですけど別名“炎の貴婦人”とも呼ばれていたそうですね。ほとんどすべての主演作品が代表作みたいでハイレベルなものですからアカデミー賞をゲットできなかったんでしょう。『黒水仙』の修道女さん、『旅路』の内気なお嬢さん、『地上より永遠に』の水着姿が目に浮かびますね。
ジョーン・フォンティーンさんは、『レベッカ』や『断崖』よりも『忘れじの面影』のはかなげで薄幸なきれいなお嬢さんが最高ですね。お姉さんのオリヴィア・デ・ハヴィランドさんとの不仲はつとに有名ですが、Wikipediaにある説明と、川本三郎さんの『アカデミー賞』の記述が真逆になっているので、どっちが本当なのか、それとも両方とも真実だったのか、興味は尽きません。
さて、本サイトではおなじみの“リベラル21”同人で映画にもお詳しい半澤さんや岩垂さん、レニ・リーフェンシュタールさんともお話しをされたことのある惜しくもお亡くなりになった宇波先生、皆さんはどちらがお好みですか。筆者はどっちも観てみたかったと強く感じております。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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