二つの書評で、拙著に触れていただきました

二つの書評で、拙著に触れていただきました

 二つ前の当ブログ記事にありますように、2月27日の「諜報研究会」で報告された中根誠氏の新著『プレス・コードの影―短歌雑誌の検閲』(短歌研究社)の書評が出ました(中西亮太「占領下の検閲」『現代短歌新聞』2021年3月5日)。評者、中西氏は、GHQの検閲文書「プランゲ文庫」における短歌雑誌について、網羅的に、総合的に調査・研究に挑んだ、画期的な書として評価していました。占領期の短歌の検閲についての研究史を概観する中で、1970年代の拙著などにも言及されていて、思わず、当時のことを思い出した次第です(「占領期における言論統制」『ポトナム』1973年9月)。プランゲの読み方も「プランジ」などと表記していた時代でした。中西氏の文献渉猟と検証は、相変わらず緻密なので、身を質される思いがするのです。

中西亮太「占領したの検閲」『現代短歌新聞』2021年3月5日
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昨年末に出版された、今井正和氏の歌論集『猛獣を宿す歌人達』(コールサック社)では、歌壇時評の部の「今問われているもの―ひとつの論争を通して」において、2016年『ポトナム』誌上の私の歌壇時評を端緒として『うた新聞』紙上で、吉川宏志氏との間で交わされた<論争>を紹介、問題提起をしていました。また、同書においての書評の部では、「表現者の覚悟を問う―内野光子の斎藤史『朱天』研究に寄せて」として、拙著『斎藤史 『朱天』から『うたのゆくへ』の時代』(一葉社 2019年)を紹介、斎藤史の戦時下の作品もさらけ出すと言いながら、削除や改作をしていたという指摘を紹介、「表現者の覚悟」を問うものでした。

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この今井氏の新著の書評を、イギリス在住の渡辺幸一氏が書かれているのを目にしました(「イギリス通信~『猛獣を宿す歌人達』を読む」『くれない』2021年3月)。この書を「短歌の世界に注意深く目を配り、他の歌人があまりとりあげない事柄を丁寧に論じている」として評価していました。そのなかで、上記、私の発言や拙著にかかわる時評と書評にも言及してくださいました。

渡辺幸一「イギリス通信(22)『猛獣を宿す歌人達』を読む」『くれない』2021年3月
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中西さん、今井さん、渡辺さん、ありがとうございました。細々と書き綴っている私には、大いなる励みとなりました。

初出:「内野光子のブログ」2021.3.11より許可を得て転載

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2021/03/post-4e6866.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

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