スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(ベラルーシ、1948~)の人となり
沼野充義氏(スラブ文学、東大名誉教授)は『ボタン穴から見た戦争』(岩波書店:刊)の巻末の解説でアレクシエーヴィチの人となりについて、こう記す。
彼女は旧ソ連圏の普通の「小さな人々」を対象に、長年地道なインタビューを重ね、それを本にまとめてきた。これらの著作から立ち上がってくるのは、まさに何百、何千人もの、苦しみ、愛し、生きて、死んだ人たちの声である。その壮大な合唱は、読む者を――いや、聴く者を――圧倒する。ノーベル賞委員会は授賞理由として、彼女の「多声的な著作」が「現代の苦悩と勇気の記念碑」になっていることを挙げた。
この授賞は、二つの意味で画期的なものだった。第一に、ベラルーシの作家が賞を受けるのは史上初めてのことだ。アレクシエーヴィチは1948年に旧ソ連のウクライナに生まれた。父親はベラルーシ人、母親はウクライナ人。ベラルーシ国立大学ジャーナリズム学科に学び、卒業後はベラルーシでジャーナリストとして仕事を始めた。そして2000年代初頭から十年余り、ルカシェンコ政権の迫害を逃れて半ば亡命するように外国に出て西側を転々としていたものの、2010年代初頭には祖国に戻り、現在は首都ミンスクに住んでいる。
しかし、執筆に使うのはロシア語である。こうして見ると、多民族国家ソ連ならではの複雑な出自だが、旧ソ連ではこれは――特にウクライナ、ベラルーシ、ロシアは言語的にも、民族的にも互いに近いので――ごく普通のことだった。その意味でアレクシエーヴィチは、ベラルーシ人であると同時に、崩壊してしまった巨大なユートピア実験の場、多民族国家ソ連でなければ生み出されなかったという意味でソ連人でもあり、さらに言えば、国境を超える「ロシア語によって書かれた文学」を共通の家とする住人でもある。
もう一つ画期的だったのは、これが「ジャーナリスト」への授賞であった、ということだ。ノーベル賞委員会は、彼女に賞を贈ることによって、重要な一歩を踏み出した。文学は面白おかしい架空の物語や華麗な詩だけではない、アレクシエーヴィチがジャーナリストとして書いてきた「記録」(ドキュメンタリー)もまた本物の文学なのだという見識を示すことによって、既成の文学の枠組みを広げたからである。
アレクシエーヴィチはこれまでの自分の著作を全てまとめて、「ユートピアの声」五部作を成すものとしている。順番に振り返っておこう。
その名前を一躍知らしめることになった最初の著作は、第二次世界大戦に従軍したソ連の女性兵士たちに取材した『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳、岩波現代文庫所収)。1983年に書かれたものだが、単行本として世に出るまでには二年かかった。著者はこの本でソ連女性の栄誉を汚したとか、英雄的に闘ったソ連人を侮辱する軟弱な平和主義者だとか、体制側から散々非難されたが、折しも当時展開し始めた「ペレストロイカ」の波の中で社会に歓迎され、数年の間に二百万もの読者を獲得した。
どうしてこの本にそれほど大きな社会的反響があったかというと、ソ連では百万人を超える女性たちが兵士として男と同じように戦場で戦い、悲惨な経験をしたにもかかわらず、戦後になるとそのことが忘れられ、戦争の勝利は専ら男たちの手柄とされ(「男たちが女たちから勝利を盗んだ」)、かつて前線で戦った女たちはむしろその過去を隠して生きなければならなかったからだ。
二冊目の著作である『ボタン穴から見た戦争(原題『亜鉛の少年たち』では、過去の戦争から現代の戦争に視線を転じて、1970年代末から80年代末のソ連の「アフガニスタン侵攻」を主題にした。ここでもアレクシエーヴィチは、アフガン帰還兵や、この戦争で息子を失った母などとのインタビューを通じて、戦争の残虐な実態を生々しく再現すると共に、それが「正義のための戦争」などではなかったことを明らかにしたが、出版後、帰還兵や母親から訴えられる事態になった。こういった人たちは一旦取材に応じたものの、その後、彼女が書いたものを読んで、侮辱されたと感じたのだという。
次の作品『死に魅入られた人々』(原著1993年)は更に取材が困難な対象を扱った。1991年のソ連崩壊後、価値観の拠り所を失って自殺を考えた人々である。実際この時期に、ソ連では自殺者が急増した。この著作のかなりの部分は改稿の上、後に『セカンドハンドの時代』に取り込まれることになった。
そして国際的に最も大きな反響を呼んだのが、その次の『チェルノブイリの祈り』(原著1997年)である。ここでアレクシエーヴィチは原発事故を題材としながら、事故の原因の究明や責任の糾弾には向かわず、あくまでも被災者に寄り添い、ひたすら「人々の気持ちを再現」しようと努める。著者が静かで決然たる眼差しで見つめ続けるのは、惨事そのものというよりは――あたかも第三次世界大戦を経て、地上の全てが別の次元に入ってしまったかのような――事故後の世界で、苦しみ続ける人々の姿だった。アレクシエーヴィチは事故後十年をかけて、この本をまとめた。だとすれば、日本でも福島について本格的な本が書かれるのは、まだこれから先のことだろう。日本のジャーナリストたちよ、粘り強く彼女に続いてほしい。福島は未だ終わっていない。
初出:「リベラル21」2025.09.24より許可を得て転載
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