スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(ベラルーシ、1948~)『ボタン穴から見た戦争』――白ロシアの子供たちの証言』「はじめに」続き
今日では、この子供たちがあの悲劇の日の最後の目撃者です。この子たちで終わりです!
しかも、その人たちは子どもの記憶より四十年以上年上なのです。ですから、その頃を思い出してと言っても、たやすいことではありませんでした。あの頃の状態、子供の感覚で感じた具体的な感じを追体験しなければならなかったからです。それは不可能なことかとも思われました。しかし驚くべきことが起きました。すっかり髪の白くなってしまった女の人の中で、「おかあちゃんを穴に埋めないで。きっと眼を覚ますから、また一緒に先へ行くんだから」(カーチャ・シェぺレーヴィチ、当時四歳)と兵士に懇願している小さな女の子が突然顔をのぞかせました。
幸いなことに、こういう記憶力から身を守るすべはないのです。そうでなかったら、私たちはどういう人間になってしまうでしょうか?過去を忘れてしまう人は悪を生みます。そして悪意以外の何も生みません。
大人の記憶というものが模様を描いて、体験した過去を立体的に描くとすれば、子供時代の記憶は最も強烈で悲劇的な瞬間をつかみ出して、大人が描いた模様に割り込んできます。具体的なところが抜けてしまうこともあります。
「底の深いドイツ軍のヘルメットは憶えているけど、顔は憶えていない。恐ろしさはいつも黒い色だったみたい」(エーリャ・グルジナ、当時七歳)。それでいて、一方では、全く正確にその時の気持ちを伝えています。「戦争中感じたことは何もかも、九九の暗算表と同じように、収容所で手に付けられた番号のように、頭に焼き付いているよ。引っ剥がそうと思えば、生皮も一緒だ……」(イワン・カーヴルス、当時十歳)。
また、こうも言っています。「不思議に思うんだが、あの頃、大人だった人たちが憶えていることと僕が憶えていることは違うんだ。パルチザンだった人たちが集まる時に、大人たちに何か話すと、「そうだったな」と聞いているんだが、忘れてる。ところが、僕は憶えている。子供だったから。子供の時に戦争に遭ってパルチザンに入って、精神的なショックを体験したから。
初めて爆弾が落ちるのを見た時、僕はもう僕ではなくて、別の人になってしまった。少なくとも、僕の中で「子供」は消えてしまった。未だ生きていたとしても、誰か違う人が脇から見ていた」(ワーシャ・アスタショーノク、当時十歳)。
なんと的確な表現でしょうか。「僕の中で『子供』は生きていたけれど、誰か違う人が脇から見ていた』……死に隣合わせ、いつでも人殺しが行われるという中で、子供たちは大人びて利口になりましたが、それは子供らしさでもなく、人間らしさでさえありません。
「子供の心の傷は死そのものの恐怖より深いことがあった」こんな例があります。「ドイツ人のお百姓の家に住んでいたの。あたしが破けた薄いワンピースを着ているのを見て、こう言ったわ。『お前の胸はいつになりゃ突き出すんだい?早く大きくなれよ。うちの男どもがよく働くようにな』。あたしは奥様が説明してくれて初めてその人が何をしたかったのか判って、夜になって首を吊ろうとしたわ……』(リューバ・イリイナ、当時十一歳)
他にもあります。「何もかも自分は憶えている。母は戦後に『お前が憶えている筈ないよ。誰かに聞いたんだろ』と言って信じていなかったが、爆弾が破裂する様子をちゃんと憶えている。その時、私は兄にしがみついていた。『死にたくないよう!死にたくないよう!『死ぬのが怖かった。もっとも、その歳で死のことなんか何も判っていたわけじゃない』(ワーシャ・ハレフスキイ、当時四歳)
恐らく、四十年前のあの時だったら、子供たちはこんな話し方をしなかったでしょう。同じ内容だったかも知れませんが、違う話し方だったでしょう。なぜなら、その頃なら子供の話し方だったでしょうが、今ではかつて幼児だったり、十代の子供だった人が思い出話をするのですから。今、この本の語り手となる人たちと、その人たちのお話に出て来る男の子や女の子たちの間には、それぞれの人の全人生という時間的隔たりがあります。かつての姿を思い出させてくれるのは奇跡的に残っている写真だけで、写真のない人たちは残念そうにこう言います。「パルチザン部隊には、カメラマンがいなかったから、自分がどんな子だったか想像できない。どんなだったのか、知りたいものだ」(ヴォロージャ・ラエフスキイ、当時十三歳)
時がたち、かつての子供たちは変わってしまいましたが、それぞれが持つ過去との関係はより完成したものに、より複雑なものになりました。変わったのは記憶していることを伝える形式であって、体験の内容そのものではありません。だからこそ既に大人になってしまった人々であっても、その人たちが語ることは真の記録としての意味があるのです。別の危惧もありました。子供時代のことを物語る時に、それを飾り立てて理想化することがよくあるのです。この本の語り手たちは、その心配も要りませんでした。惨状や恐怖を飾り立てたり、理想化することなど出来ないじゃありませんか。
誰がこの本の主人公なのか、という質問にはこう答えましょう。「焼き尽くされ、一斉射撃を浴びた子供時代、爆弾や弾丸、飢餓や恐怖、父親を失うことによっても、死に追いやられたあの子供時代です」と。参考までに、白ロシアの孤児院には一九四五年には二万六千人の孤児がいました。別の数字もあります。第二次世界大戦で千三百万人の子供が死んでいます。
そのうち何人がロシアの子供たちで、何人が白ロシアの子供たちか。ポーランドの子供やフランスの子供たちは何人だったか、誰が言えるでしょう?世界の住人である子供たちが亡くなったのです。
初出:「リベラル21」2025.09.22より許可を得て転載
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