二十一世紀ノーベル文学賞作品を読む(18 上)

カズオ・イシグロ(イギリス、1954~)の著作に触れ、読書を楽しむ

 カズオ・イシグロは2017年度のノーベル文学賞受賞者で、授賞理由は「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」。その代表作『日の名残り』(早川書房:刊、土屋政雄:訳)の一部を私なりに紹介したい。

 一日目――夜

 夜になりました。私はいま、ソールズベリーの宿に落ち着いております。旅の初日が終わり、まずは満足と言わねばなりますまい。今朝の出立は、予定より一時間近くも遅れてしまいました。荷造りとフォードへの積み込みは、もう八時前にすっかり終わっておりましたが、ミセス・クレメンツと女たちが既に一週間の休暇でお屋敷におらず、これで私が出発すれば、ダーリントン・ホールは今世紀に入って恐らく初めて――いや、もしかしたら築造以来、初めて――無人の館になるという思いが強かったのだと存じます。それはなかなか複雑な思いでございまして、私は後一度だけと決めながら、結局、何度も何度もお屋敷の内部を点検して歩き、すっかり出発を長引かせてしまいました。

 ようやくお屋敷を離れてからも、私の気持ちは名状し難いものでした。走り始めて最初の二十分ほどは、なんの興奮も期待も湧いてこないのです。おそらく、お屋敷からどんどん遠ざかっているのに、周囲には相変わらず、多少なりとも見覚えのある風景が続いていたからなのでしょう。いつもお屋敷内部の仕事に拘束され、外へなど出たこともないように感じておりましたが、やはり長い間には、あれこれの用事で結構外出し、自分で思う以上にお屋敷周辺の地理を知っていたものとみえます。日の光の中をバークシャーとの州境へ向かいながら、私はいつまでも見慣れた風景が展開することに驚いておりました。

 しかし、やがて辺りの様子が変わり、これまでの生活の場から完全に抜け出たことを知りました。船旅をした人は、陸地が見えなくなる瞬間のことをよく口にします。不安と高揚が入り混じった経験だと聞いておりますが、周囲が次第に見知らぬ風景に変わっていった時、私がフォードの中で感じたのも、それに大層近いものだったろうと想像致します。それまで走ってきた道路を逸れ、山沿いにカーブしていく道に出た直後のことでした。左側は急な下り斜面になっているようでしたが、道端に立ち並ぶ樹々と濃く繁った葉に遮られ、眼には見えません。その時、突然のように、ダーリントン・ホールを本当に後にしてきたのだ、という思いが溢れ出てきたのです。あげく、道を間違えているのではないかとか、どこか未開の地に向かって突っ走っているのではないかという不安までが重なり、正直なところ、一瞬、恐怖を覚えたほどでした。私は思わずスピードを落とし、この道でいいのだと自分に言い聞かせながらも、どうしても一度停まって、辺りの様子をうかがわずにはいられませんでした。
 
 ついでに車から降り、しばらく膝を伸ばすことに致しました。外に出てみると、ここはやはり山の中腹であろうという印象を強く受けました。右側には藪や灌木の繁った斜面が立ち上がり、反対側には、木の葉の隙間に遠く畑が見え隠れしておりました。

 もっとよく見える場所はないかと、しばらく、木の葉の隙間を透かしながら道路沿いに歩いたと思います。と、背後に声が聞こえました。その時まで、辺りには私一人だと思い込んでおりましたから、おや、と振り返りますと、道路を少し行った処に脇に入っていく小道があり、急坂となって茂みの中に消えているのが見えました。そして、その場所の目印になっていると思しき大きな岩の上に、痩せた白髪の男が座り、パイプをふかしておりました。いかにも労働者ふうの布の帽子をかぶったその男は、もう一度私に呼びかけました。言葉はよく聞き取れませんでしたが、身振りから察するに、こちらに来いというのでしょう。一瞬、浮浪者かと危ぶみましたが、よく見ると、付近の住人が戸外の空気と夏の日を楽しんでいるふうでもあり、近寄っても害はなかろうと判断致しました。
 
 「どうかなと思いましてね。その・・・旦那の脚は達者ですかい?」。私が近づくと、その男はこんなふうに話しかけてきました。
 「何のことですかな?」
 男は脇道を指し示しました。「登るんなら、丈夫な脚と肺が二つずつ要りますんでね。わしにはもうどっちも無いんで、ここ止まりですが、もうちっとましな体だったら、あの天辺に座ってるところでさ。そりゃあ、いい場所でさ。ベンチなんかもあってね。あれほどの景色の拝める処は、イギリス中捜しても、先ずありませんや」
 
 「そういうことなら、私もここ止まりにした方がよろしいようですな。たった今、自動車旅行を始めたばかりでしてな、これから素晴らしい景色を数多く見られると期待しております。旅が始まったかどうかも判らないうちに最上のものを見てしまっては、竜頭蛇尾ということになりかねません」
 男は私の言うことが判らなかったようです。「イギリス中捜したって、これほどの景色の拝める処はありませんや」

 「そういうことなら、私もここ止まりにした方がよろしいようですな。たった今、自動車旅行を始めたばかりでしてな、これから素晴らしい景色を数多く見られると期待しております。旅が始まったどうかも判らないうちに最上のものを見てしまっては、竜頭蛇尾ということになりかねません」

 男は私の言うことが判らなかったようです。「イギリス中捜したって、これほどの景色の拝める処はありませんや。ま、丈夫な脚と肺が二つずつあれば、ですがね」と、同じことを繰り返し、そしてこう付け加えました。「けど旦那なら、歳の割に丈夫そうだし、登れるでしょうよ。大丈夫でさ。わしだって、調子のいい日にゃ、なんとかなるんですから」

 私は小道を見上げました。確かに急で、そのうえ悪路のように見受けられました。
「登っておかないと後悔しますぜ、旦那。絶対でさ。それに、人間、何が起こるか判りませんや。二年もしてみたら、もう遅すぎた、なんてね」。男はそう言って、なんとも下品な笑い声をたてました。「行けるうちに行っとくのが、利口ってもんでさ」

 いま思えば、あの男はユーモアを込めたつもりだったのかも知れません。つまり、ジョークだったのかも知れません。が、今朝、この言葉を聞いた時は、正直に申し上げてムッと致しました。直ぐにその脇道を登り始めたのは、男の皮肉が如何に的外れであるかを見せつけてやりたい、との思いに駆られたためだったと存じます。