二十世紀世界文学の名作に触れる(40) パブロ・ネルーダの『詩集』――20世紀最大のスケールと豊穣さ

 南米チリが生んだ詩人パブロ・ネルーダ(1904~73)は71年、ノーベル文学賞を受けた。
 授賞理由は「一国の大陸の運命と、多くの人々の夢に生気を与える源となった、力強い作品に対して」。「20世紀最大のスケールと豊穣さに恵まれた詩人」と称えられる詩業の精華を『ネルーダ詩集』(海外詩文庫・思潮社刊、田村さと子:訳)を基に、私なりに紹介したい。

★詩集<二十の愛の詩と一つの絶望の歌>から(/ は改行、 //は一行空き)
 ▽『一』 女の肉体 白い丘 白い腿/その身をまかせたおまえの姿は 地球にも似て/おれの荒々しい農夫の肉体は おまえを掘りおこし/大地の底から 息子を躍りださせる//(中略)//おれの女の肉体よ おれはおまえの魅力に囚われつづけるだろう/おれの渇き 途方もない飢え ゆくあてのない道よ/薄暗い川底よ そこでは永遠の渇きがつづき/苦悩が 悲しみがつづいている
 ▽『十五』 (前略)黙っている時のおまえが好きだ うつろなようすで/息絶えたかのように かなたにいて いたいたしくて/そんなときは ひとつのことばと微笑みだけでいい/すると おれは楽しくなる 楽しくなくても楽しくなる
 ▽『二十』 (前略)巨きな夜に耳をかたむけてごらん 女のいないさらに巨きな夜に/すると詩が魂に落ちてくる 草に露がおりるように/おれの愛が女を繋ぎとめられなかったことがどうだっていうのか 星づく夜 そして女はおれの傍にいない//(中略)//もう愛してはいない それはたしかだ いや愛しているのだろう/愛はあれほど短いのに 忘れることがこんなにも長くかかるなんて//(中略)//これが女のために書く最後の詩なんだが

★詩集<大地の住処I>から
 ▽『暁の衰弱』 幸薄い者たちの一日 生気のない一日が覗きこんでいる/冷たく抉るような匂いと その灰色の支配力とともに/音もたてずに いたるところで 暁がしたたっている/それは涙の傍にある 虚空の中の難破船だ//(後略)
 ▽『男やもめのタンゴ』 (前略)海のおおきな風をあげようか 忘却が混じることのない長い夜に/(中略)/いくらでも差し出そう おれの所有するこの影の合唱隊を/(中略)/不思議にも不可分でありながら 失ってしまった実体に呼びかけながら

★詩集<大地の住処II>から
 ▽『Walking Around』  人間であることにうんざりしているところだ/仕立て屋に 映画館に 入ろうとしているところだ/しょんぼりして 得体のしれないようすで 源流の/灰色の水の中を泳いでいるフェルト製の白鳥のように/床屋の匂いはおれをわっと泣かせる/おれは石たち あるいは ウールの安らぎをほしいだけだ(以下略)

★詩集<第三の住処>から
 ▽そのわけをはなそう (前略)だが ある日 すべてが燃えていた/ある朝 大きなかがり火が大地から吹き出して/ひとびとを貪っていた/そのときから 砲火が/弾薬が そのときから/そして そのときから 血が/戦闘機をもち モーロ人(ムーア人:中世南欧のイスラム教徒)たちを雇うならず者たちが/(中略)/空からやってきたのだ/こどもたちを殺すために/通りを こどもたちの血が/ひたすら流れていた こどもたちの血のまま(以下略)

★詩集<おおいなる歌>から
 ▽愛・アメリカ 鬘やジャケット以前に/たくさんの川 動脈の川であった/アンデス山脈だった そこの削り取られた山波の中で/コンドル あるいは雪が静止していたようだった/湿気と茂み まだ名のない雷 惑星の草原だった//(中略)//名のない まだアメリカではない わたしの大地よ/春分の雄蕊 血の槍/おまえの芳香は 根っこからわたしに昇ってきた/わたしが飲んでいた盃にまで/わたしの口もとに まだ生まれていない/ひどくやせた言葉にまで
 ▽マチュピチュ山頂Ⅵ そんなとき わたしは忘れさられていた密林の寧猛な茂みを/かきわけて大地の梯子を登ったのだ/おまえの許まで マチュ・ピチュよ//石また石をよじのぼってゆく空中都市/大地が眠りこんだ衣裳の中に/ついに隠しきれなかった者の住処/おまえの中で 二本の平行線のように/閃光の源と人間の源が/棘ある風にゆれていた//(以下略)
 ▽南の飢え ロタ(チリ南部の地名)炭鉱の炭の中には 嗚咽と/誇りを奪われたチリ人の皺だらけの影が/胸の悲惨な鉱脈をつつき 死に/生き 冷酷な灰の中で うずくまって生まれ/この世がそのようにして始まり/そのようにして終るかのように死んでゆく(以下略)
 ▽樵夫よ めざめよⅣ だが アメリカ合衆国よ/もしもおまえが追随者に武器をもたせて/汚れのない国境を破壊し/シカゴの牛殺しを連れてきて/おれたちの愛する/音楽と秩序を/支配しようとするならば/おれたちは石から 空気から飛び出して/おまえに嚙みついてやる/(中略)/おれたちは飛び出して おまえのパンと水を拒否してやる/おれたちは飛び出して おまえを地獄で焼きつくしてやる(以下略)
 ▽逃亡者Ⅰ 夜更けになって 生活そのものをとおして/涙を紙にとどめ 身をやつしながら/これらの耐えがたい日々をすごしていた/わたしは警察に追われる逃亡犯だった/(中略)/ある人の戸口から ほかの人の戸口へと渡りあるいた/(中略)/あのひとたちは なにものなのか どうして今日/わたしをかくまってくれたのか/今日まで わたしの顔さえ見たこともないのに/なぜ あのひとたちはあのひとたちのドアを開けて/わたしのうたを護ってくれるのだろうか/(以下略)

★詩集『<葡萄と風>から』
 ▽『いつチリへ』:おお チリ 海と 葡萄酒と/雪の ほそ長い花びら/ああ いつ/ああ いつ いつ/ああ いつ/おまえと また めぐり会えるのだろう/(中略)/愛する民衆よ 春になると/おまえたちの耳におれのなまえが響いて/おまえの家の戸口を流れる川のように/おれのことを受け入れてくれるよね//(中略)//ああ 祖国よ 祖国/ああ 祖国 いつ/ああ いつ いつ/いつ/おまえと また めぐり会えるのだろう(後略)

★詩集「<ニクソン殺しの扇動とチリ革命賛歌>から」
 ▽II「ほかの主題はないものと思え」:(前略)ここで問題なのは 生きるか 死ぬかだ/もし この犯罪者を生かしておくと/民衆の苦しみはつづき//大統領は犯罪をおかしつづけるだろう/税関で チリの銅を盗み/ベトナムでなんの罪もない人を切り裂いている//一週間も一日さえも/もう我慢ならない 畜生め/奴が非人間的で残忍このうえないからだ(後略)
 ▽X「吟遊詩人還る」:だからこそ わたしはここにいるのだ おまえといっしょに//帰ってきたのだ 恋する男のように/チリの太陽 風 海にさわりながら/ここを離れることに 戻ってきたことに悩みながら//いつも私の心は チリの黄金のかがやきのグラスのように/チリへの澄み切った頌歌でみちていた//(中略)//私は遠くで お前の太鼓の音をききつけた//そして いてもたってもいられず お前の住処にかけつけた//悲しみに胸ふさがれながら わたしは いま ここにいる 

 ▽XII「わたしはここにとどまる」:わたしは望まない 分断された祖国も//七つのナイフで めった突きにされた祖国も/あたらしく建てられた家のうえに/チリの光が 高くかがやいてほしい/(中略)/いつも金持ちは外国人だった/伯母さんたちとマイアミへ行ってしまえばいい/私はここに留まる この新しい歴史と地理について/労働者たちとうたうために
 ▽XVII「清潔な詩で」;突き刺そう 凶暴なニクソンを/清潔な詩と的を外さないこころで//こうして わたしはニクソンを/倒すことを決意した 正義の銃弾で/わたしの弾丸入れに三行詩をこめた//そして 未来の法廷のために あちこちの扉を開き 国境をこえて/無口で厳格な証人を募った 血まみれの春に斃れていったひとびとを
 ▽XXXIII「あの日から」:あの日から 目を覚ましてみて/世界は見出したのだ/チリを 民衆の勝利を掲げるそのようすを/(中略)/あの頃だった パラルから出てきた/田舎者のひとりの詩人が/ストックホルムで ひとつのほうき星をもらったのは/(中略)/長い闘いと全生命をかけて/ついに勝ちとった民衆の月桂冠として(後略)

初出 :「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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