英国の哲学者バートランド・ラッセル(1872~1970)は平和運動と関わった人間には馴染み深い。核兵器廃絶や米国のベトナム戦争反対などの活動を果敢に展開。89歳の身で核兵器反対の座り込みを指揮し、警察に七日間拘留された。58歳の時の啓蒙的な著述『幸福論』は当時のベストセラーで今日にまで至るロングセラー。1950年にノーベル文学賞を受けた碩学のこの論述の骨子を、岩波文庫版(訳:安藤貞雄)を基に私なりに紹介してみたい。
第一部 不幸の原因
第一章 「何が人々を不幸にするのか」――第一部の総論。普通の日常的な不幸は、大部分、間違った世界観・間違った道徳・間違った生活習慣による。著者の目的は、こういう不幸に対し、一つの治療法を提案することだ。
第二章 「バイロン風の不幸」――己の不幸は宇宙の本質のせいだとし、不幸こそが教養ある人のとるべき唯一の態度だとする悲観論的な考えは誤りだ。勇気をもって現代的なものの見方を受け入れ、諸々の迷信を薄暗い隠れ場所から引き出し、根絶やしにすること。
第三章 「競争」――幸福の主な原因として、競争に勝つことが強調されすぎ、それが不幸の原因になっている。これに対する治療法は、バランスのとれた人生の理想の中に、健全で静かな楽しみの果たす役割を認めることである。
第四章 『退屈と興奮』――現代人は退屈を恐れ、興奮を追求している。幸福な生活は大部分、多少とも単調な生活に耐え、静かな生活を送ることだ。現代の都市住民が悩んでいる退屈は、彼らが大地の生から切り離されていることと深く関係している。
第五章 「疲れ」――大部分の現代人は、神経をすり減らす生活を送っていて、その神経の疲れは主に心配に起因する。そういう心配は、よりよい人生観を持ち、精神の訓練をすることで避けられる。例えば、相当難しいトピックについての記述。可能な限りの集中力を以て数時間~数日考え、以後は<この仕事を地下で続けよ>と無意識に命ずる。何か月か経ち、そのトピックに意識的に戻ってみると、その仕事は既に終わっている、とラッセルは言う。
第六章 「妬み」――心配事に次ぎ、妬みが不幸の最も強い原因になっている。己よりも幸運だと思う人々との比較をやめれば、妬みから逃れることができる。文明人は、自己を超越することを学び、そうすることで宇宙の自由を獲得するべきだ。
第七章 「罪の意識」――罪の意識は、良い人生の源泉になるどころか、人を不幸にし、劣等感を抱かせ、人間関係において幸福を味わえなくする。この意識から解放されるためには、調和のとれた性格を作り上げねばならない。
第八章 「被害妄想」――この情念は、いつも自分の美点を余りにも誇大視することから生じる。自己欺瞞に基づく満足は、おしなべて堅実なものではない。真実がどんなに不愉快なものであろうと、それに直面し、それに慣れ、自分の生活を築き上げねばならない。
第九章 「世評に対する怯え」――世評に対する恐れは、他の全ての恐れの念と同様に、抑圧的で、人としての成長を妨げるものだ。この種の恐れが強く残っている時には、真の幸福を成り立たせている精神の自由を獲得することが不可能になる。
第二部 幸福をもたらすもの
第十章 「幸福はそれでも可能か」――第二部の総論。幸福の秘訣は、「あなたの興味をできる限り幅広くせよ」「あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できる限り友好的なものにせよ」ということ。
第十一章 「熱意」――幸福な人を特徴づけるのは熱意だ。人生への熱意があれば、外界への自然な興味が湧き、人生が楽しくなる。男女の別なく、熱意こそが幸福と健康の秘訣だ。
第十二章 「愛情」――熱意の欠如の主因は、自分は愛されていないという感情。自我の牢獄を脱した人の特徴は、本物の愛情を持ち得ること。愛情を受け取るだけでは十分ではなく、受け取られた愛情は与える愛情を開放しなければならない。両者が同量に存在する場合に限って、愛情は最上の可能性を達成する。
第十三章 「家族」――両親の子供への愛情と子供の両親への愛情は、幸福の最大の源の一つになるはずだが、そうなっていない。現代、親である喜びを満喫するには、子供の人格に対する尊敬の念を深く感じられる親にして両親にして初めて可能。従来、自己犠牲的と称される母親は、概して我が子に対し異常に利己的だ。専門的な技術を身につけた女性は、母親になっても、自身のためにも、社会のためにも、自由にこの技術を行使し続けるべきだ。
第十四章 「仕事」――建設的な仕事から得られる満足は、人生がもたらす最大の満足の一つだ。首尾一貫した目的は、幸福な人生のほとんど不可欠な条件であり、それは主に仕事において具現化される。
第十五章 「私心のない興味」――それは、人生の根底を成している中心的な興味ではなく、その人の余暇を満たし、真剣な関心事のもたらす緊張を解きほぐしてくれる二次的な興味だ。不幸な時によく耐えるためには、普段から幅広い興味を養っておくのが賢明だ。
第十六章 「努力と諦め」――中庸というのは面白くない教義だが、多くの事柄において真実の教義だ。中庸は、特に、努力と諦めとのバランスに関して必要だ。必要なのは、人事を尽くして天命を待つ、という態度。諦めには二種類ある。一つは、絶望に根差すもの。もう一つは不屈の希望に根差し、個人的な目的が人類のためのより大きな希望の一部である場合には、たとえ挫折したとしても完全な敗北ではない。
第十七章 「幸福な人」――本書のまとめの章。「幸福な人」とは、己の人格が分裂してもいないし、世間と対立してもいない。自分は宇宙の市民だと感じ、宇宙の差し出すスペクトルと、宇宙が与える喜びとを存分に享受する。また、自分の後に来る子孫と自分とは別個の存在だとは感じないので、死を思って悩むこともない。このように、生命の流れと深く本能的に結合しているところに、最も大きな歓喜が見出されるのだ。
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