二十世紀文学の名作に触れる(30) ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』――読者を仰天させる新奇な物語(下)

 1941年秋、ドイツ軍はモスクワ西方の戦線でロシア軍を相手に泥沼に落ち込んだ。十七歳の僕オスカルもまた、視界不明でもがいていた。そんな僕に「世界市民」の看板を掛けさせるよう導く教師たる小人の道化者べブラ師が立ち現れる。彼は(第三)帝国宣伝省と親しく、ゲッペルスやゲーリングといったナチスの成り上がり者の私室に出入りしていた。

 翌々年六月、オスカルは小人のべブラたち慰問団とドイツ軍の基地などを慰問するため、丸一年の旅に出る。シュトルプ~シュテッティン~ベルリン・・・と各地を巡業。一行のマドンナのロスヴィータと僕は恋仲になるが、彼女は連合軍の艦砲射撃に遭って亡くなる。
 オスカルはダンツィヒに戻り、やけくそのように歌った。夜道で歌い、明かりの漏れている屋根裏部屋とか街灯とか何やかやを、うっぷん晴らしにぶっ壊した。45年1月、ソ連軍がダンツィヒに侵攻。七百年かかって造られてきた街は、たった三日で灰に帰した。

ソ連兵三人が父マツェラートを地下室で尋問し、挙動不審(ナチスの党員章を隠そうとして)の廉で即座に射殺してしまう。その葬儀の日、オスカルはそろそろ寿命のブリキの太鼓を棺の中に投げ入れた。二十一歳になる僕は完全な孤児になり、(義母なのか愛人か)一つ年上の未亡人マリーアと(弟なのか倅か)クルト坊やに対する責任だけが残った。

 墓地の砂が棺や太鼓の上に積もるにつれ、僕もまた成長を始めた。それは先ず、鼻からの激しい出血で示され、全身がきしみ、ざわつき、ぽきぽき音を立てるので、それと分かった。その後、僕はマリーア母子と一緒に西方のシュトルブ行の貨車に乗る。マリーアの姉を頼りデュッセルドルフへ引っ越すためだ。道中で激しい痛みと共に成長を再開し、僅か94㌢だった僕の身長は10㌢近く伸びていた。痛みを伴う身長の伸びは、その後も続く。

 時は戦後の46年に移る。故郷を離れ、異郷のデュッセルドルフで暮らすオスカルは忌避していた父親と同じ商売ともいうべき闇屋商売から出発。傍ら美術修業を志し、彫刻の勉強を開始。それが縁で美術学校のヌード・モデルにスカウトされ、僕をモデルにして描かれた絵画が評判を呼ぶ。機嫌を損ねたマリーアといさかいが起き、僕らは別居するに至る。

 引っ越し先でオスカルはフルートが吹けるクレップと親しい仲になり、ギタリストのショレを見つけ、三人でジャズ・バンドを結成する。僕らはライン川沿いの野原を好んでジャズの曲目の練習に励み。楽団名を『ザ・ライン・リバー・スリー』と名乗った。
 僕たちはラインの岸辺で「タイガーラグ」を演奏中、野鳥を撃ちに来ていた旧市街の店の主シュム―と知り合う。彼は近くで思いにふけっていた妻を呼び寄せ、もう一曲を所望。
僕らが「ハイ・ソサイエティ」を披露すると、この妻女は「(うちの)酒場に欲しい、って言ってたのが見つかった!」と叫び、僕らはシュムーが営む「玉ねぎ酒場」に就職がかなう。夜九時から朝二時まで演奏、一人一晩十四・五マルクの条件で折り合いがついた。

 通りから見える「玉ねぎ酒場」は、多くのお馴染みの新奇な酒場にそっくり。贅沢なインテリアで、値段が割高。真っ赤なドアを入り、階段をどんどん下り、地下にあるナイトクラブに案内される。主人直々に客を出迎え、大層なジェスチュアを添える。客筋はビジネスマン・医者・弁護士・芸術家・舞台人・ジャーナリスト・映画人・著名スポーツ選手・州政府や市役所の高官たち。一言で言うなら当今、インテリと称される人々だ。

 店名の通り、客の全員に玉ねぎ一個ずつと豚や魚の形をした板切れ一枚に台所ナイフ一挺ずつが配布される。客たちは恭々しく受け取り、店主シュムーの合図一下、一斉に玉ねぎの皮むきにかかる。一枚、二枚、三枚・・・板切れの上で涙にむせながら、ひたすら玉ねぎが刻まれていく。どうしてだ?玉ねぎ酒場ならではの趣向だから。当たり前のサービスが所望なら、そういう向きの店へ行けばいいのだ。僕はこの酒場でのバンドを辞めた後、太鼓の演奏でレコードを出し、多額の収入を得る。その金でマリーアに商店を開かせた。

 オスカルは民衆大学の講座に出たり、「橋」と呼ばれていたイギリス文化センターに入り浸り、カトリック教徒とプロテスタント教徒と共に国民全員の戦争責任をめぐって議論した。いまコトをつついておけば、既に済ませたことになり、後に問題が持ち上がった時、良心のやましさを感じないでいられる。そんなふうに考えた人たちみんなと同じように、自分も共同責任を感じたものだ。

 僕オスカルは月に一度、市立病院のイルデル教授の許を訪ねた。教授が僕の症例を興味深いケースと見ていたからだ。看護婦たちは僕を歓迎した。僕の背中のコブに対して子供っぽい、悪意のないいたずらを仕掛ける。何か美味しいものを用意し、果てしのない、こんがらかった病院の内輪話をしてくれた。看護婦の白衣に包まれた二十人から三十人の娘たちの間で、オスカルは熱望される唯一人の男性だった。

 ある日、オスカルが借り犬を連れて家の近所を散歩中、犬が指輪を着けた女性の切断された薬指をくわえて持ってくる。これは後に分かるが、オスカルが秘かに心を寄せていた市立病院の看護婦ドロテーアのものだった。この様子をじっと見ていた近所の住人ヴィトラールが一件を警察に通報。オスカルは殺人の嫌疑をかけられ、逃亡するが、逮捕されてしまう。オスカルは精神障害と診断され、精神病院に収容される。彼は自身の幼少時からの記憶と過去を看護人に対し毎日三~四時間、僕のブリキの太鼓に語らせることとなる。

 僕オスカルが三十歳の誕生日を迎えたその日、殺人事件の真犯人が見つかり、僕は釈放される。看護婦べアーテが(医師ヴェルナーをめぐる三角関係の鞘当てから)嫉妬に駆られ、僕の看護婦(大事な)ドロテーアを殺害したというのだ。マリーアは三十本のローソク付きのケーキを持ってきて、こう言った。
 ――もう、三十だわ、オスカル。そろそろ真っ当な人間になるころよ。

 僕は内心秘かに呟く。(僕は無罪となって街頭に放り出され、列車や市電の中で、あの不吉な歌の文句を突き付けられるのだ。黒い料理女<僕の潜在意識の中での外的脅威の象徴>はいるのかい?いるいる!)

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