プーチン・ロシアによるウクライナ侵略で明らかなように、人の心の中には「内なるナチズム」が潜んでいる。物理的に絶対な暴力と向き合った時の「正義」の脆弱性こそ、人間の根底にある「根源悪」の何よりの証明ではないか。イギリスのノーベル文学賞作家ウィリアム・ゴールディングが代表作『蠅の王』の中で提示するのは人の心の奥底に潜む闇の部分だ。
ウィリアム・ゴールディングは1911年、イングランド南西部のコーンウォール州で生まれた。父は学校の教師で、科学的合理主義者であり、SF作家H・G・ウェルズの愛読者でもあった。ウィリアムは少年時代に父の書斎でウェルズを知り、バランタイン(十九世紀の少年冒険小説作家)の『珊瑚島』(1858)などの少年漂流物語やギリシャ文学、特に悲劇などに読み耽った。オックスフォード大学に進み、生物学~イギリス文学を専攻する。
専攻の転換は、父親の無神論に反旗を翻したため。父の教える自然科学や強調する理性では知ることが到底叶わぬ現象に、強い関心を有していた。卒業後は定職に就かず、劇団の仕事などをやっている。39年にソールズベリ市の学校教師となり、少年たちの教育に当たる。
翌年、海軍に入り、巡洋艦その他に乗り組む。ドイツの戦艦ビスマルクの撃沈やノルマンディー上陸作戦等々に参加する。ある時は乗艦が撃沈され、彼は三日間も海上を漂流したという。彼の小説の中で、しばしば戦争が深刻な意味を持っているのは、その体験と結び付けて考えると納得がいく。終戦後の45年、以前に勤務していた学校に復職。その頃からしきりに小説の創作に精力を傾け、作家業に目途がついた61年に教職を辞した。
彼の名を一躍有名にするのが54年に発表した『蠅の王』である。多くの出版社に断られた末に、かの著名な詩人T・S・エリオットが最高責任者を務めるロンドンの出版社が刊行を引き受ける。原稿を読んだに違いないエリオットがどんな感想を持ったか。現代詩人のうちでエリオットほど人間の内なる暗黒を意識していた者はいなかった筈だ。そして、ゴールディングもまた現代の小説家の中で、そうした内なる暗黒を強く意識する者の一人だった。
『蠅の王』は前記した『珊瑚島』のパロディとまでは言えずとも、この少年漂流記を意識して書かれたのは明白だろう。その系譜は、十八世紀のかの『ロビンソン・クルーソー』(ダニエル・デフォー作)や十九世紀の『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ作)に遡ることができよう。これらの有名な小説は、元々は大人のための、それも人生の体験を十分に積んだ大人のための小説でありながら、今日では専ら少年文学として読まれている。
そのような意味合いでは、『蠅の王』も少年文学の一つとして読むことも可能だ。が、先行した少年向け漂流記は、少年たちが力を合わせて生活していく善意の物語に終始するが、『蠅の王』の場合は全く異なる。ある者は内心に巣食う獣性に目覚め、少年たちは激しい内部対立から殺伐陰惨な闘争に駆り立てられていき、痛ましい二人の犠牲者さえ生んでいく。
少年たちが理性的なるものを象徴する「法螺貝」を中心に生活しているうちは、佳かった。彼らは無邪気で、無垢であり得た。だが、やがてじわじわと何かが、子供たちの言葉で言えば「獣」が、大人の言葉でなら「悪」が、彼らの無垢を侵し始めていく。法螺貝を中心に理性的秩序を守っていこうとするラーフやピギー。それに反対するジャックもロジャーも、この「獣」が実は彼らの内面に巣食っている悪であることに気づこうとはしない。
その点への理解が深まれば、『蠅の王』はおよそ少年文学とは縁遠い作品であることが知れる。ジャックたちが屠った豚の首を「暗黒への贈り物」として、外なるものへ捧げるのはそのことを物語っている。ただ、例外はサイモンという子だ。この子だけは内なる悪、内なる暗黒と対決する勇気を持っている。黒蠅のたかっている豚の首は「蠅の王」と呼ばれているが、サイモンがこれと対決する場面はこの作品中で最も重要な個所の一つだろう。
だが、賢明で良心的なサイモンは悲劇的な結末をたどる。突然の落雷や豪雨の下、暗闇の中で「獣」と間違われ、ジャック指揮下の武闘派の少年たちによる棒切れの滅多打ちに遭い、無残な死を遂げる。ラーフの軍師格の思慮深い少年ピギーを待ち受ける運命も同じく非業だ。ジャック派の少年が落下させた大岩に襲われ、40㌳下の岩盤に落下し、惨死する。今や孤立無援のラーフを待ち受ける境涯は残酷だ。ジャックが指揮する少年たちは勢子さながらに嘗てのリーダーを駆り立て、森に放火さえしてじりじり追い詰めていく。
米国のかのモダン・ホラー作家スティーブン・キングは、大人の小説に開眼した作品として、この『蠅の王』を挙げている。従来の児童物に物足りなさを感じていた14歳の時、巡回図書館の女性司書に「子供の本当のところが書いてある物語とは?」と質し、示されたのが『蠅の王』。夢中で読み、戦慄した。「邪悪なところもある子供がありのままに描かれている。世界は善悪がきっかり分かれているものではない。最後まで読んでも明確な答えが出ず、いつまでも心に残り、深く考えさせる物語があると知り、大人の小説に開眼した」と言う。
ゴールディングに戻る。この後55年に、人類の原罪を描く『後継者たち』を発表する。冬が去り、春が来る。首長のマルに率いられた一族は、海辺から山の中へと移動してくる。平和で平穏な季節は過ぎ、そこでは嫉妬や怨恨、野心が渦巻く。そして、川の向こう岸には、彼らに取って代わろうとする新来者の姿があり、彼らの環境と運命は大きく変わっていく。ネアンデルタール人と人類の遭遇と軋轢そして闘争を描く奇想天外な寓話だ。
彼は翌56年には『ビンチャー・マーティン』、64年に『尖塔』、80年に『通過儀礼』などを次々に発表。同年にイギリスの代表的な文学賞のブッカー賞を、83年にはノーベル文学賞をそれぞれ受賞し、93年に81歳で亡くなった。
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