二十世紀文学の名作に触れる(34) ナディン・ゴーディマの『バーガーの娘』――南アの人種差別に挑んだ意欲作

 南アフリカの作家ナディン・ゴーディマは1991年、女性作家としては二十五年ぶりにノーベル文学賞を受けた。授賞理由は「その壮大な叙事詩が『アルフレッド・ノーベルの言葉』に即した人文主義にとって重要な利益であったこと」。アフリカ出身の女性としては初の受賞で、悪名高いアパルトヘイトに絡む内容ゆえに、母国では一時発禁処分も受けた。みすず書房版(訳:福島富士男、1996年刊)の二冊本を基に、私なりに内容の概略を紹介したい。

 ヨハネスブルク刑務所の門の前に押し寄せた人々の中に、十四歳の少女ローザ・バーガー
の姿がある。始まったばかりの生理の痛みに耐えながら、少女は差し入れの緑色のキルト(防寒用の上着)と湯たんぽをお腹に押し当てていた。母親が拘禁された折の出来事である。その後、白人活動家の両親が共に逮捕されてしまい、ローザは弟と共に田舎の親戚に預けられる。

 父のライオネル・バーガーは法廷で、大略こう意見陳述していた。
 ――私を苦しめたのは、人間に隷属を強い、人間を辱める行為でした。その野蛮な行為に、私はただ加担していた。この恐ろしい矛盾は、この国の白人たち全てが抱えている矛盾なのです。彼らは正義の神を崇拝しながら、その一方で肌の色を理由に差別を行います。人の子イエス・キリストの憐みをしきりに口にする一方で、同じ土地で共に暮らす黒い肌の人々を人間として認めない。この矛盾によって、私が生きていく根拠が真っ二つに裂かれていた。

 ――私の先祖のブール人たちは大移動を行い、農耕を基盤とした共和国を創りました。彼らは投げ槍による抵抗をマスケット銃によって抑え込み、銃の力によってこの地に太古から暮らしていた部族社会の人々を隷属させてしまった。白人が作り出したこの社会は、資本主義的生産様式と封建的社会形態の根源的な矛盾を覆い隠し、それを正当化しようとしてきました。人種差別がやがて招くに違いない悲劇に、私は背を向けることはできません。
 二時間近くに及んだ陳述を彼はこう締めくくった。
――私が本当の意味で有罪になるとすれば、それは私がこの国の人種差別を根絶させるために何もしなかったとされて、この裁判で無罪になる時です。

 ローザたちの方に話を戻す。土曜日の昼下がり、田舎町のホテルのベランダは白人の客たちが占め、外の通りでは黒人の若者たちが白人客の投げ捨てるタバコの吸い殻を拾っていた。十六歳のローザは政治犯の婚約者となり、刑務所に面会に行く。狂おしいまでに政治犯の青年を恋していたから。
 やがて、母が病死する。その後、父ライオネル・バーガーは終身刑となり、ローザが二十三歳の時に獄中で病死した。獄中で瘦せ細っていく父は、大勢の聴衆を前に熱弁を揮った誰もが知る勇者ではなかった。獄中での弱々しい父の姿は、ローザしか知らないものだった。

 ローザはスウェーデン人のジャーナリストとレンタカーで旅をし、恋愛関係になる。ライオネルが死んで一年、ローザは黒人居住区に出入りしていた。白人の都市の背後に控える巨大な裏庭。穴ぼこだらけのまま放置された道路。二部屋しかない小さな住居が雑多な安物でごった返す。会合では、黒人中心の論客らがこんな具合に熱い討議を交わしていた。

 ――黒人だってことは、白人のやり方が黒人にとって最良の道だと信じ込むのを、もう黒人の側から拒絶するってことなんだ。
 <黒人のための階級闘争ではないんだ。人種闘争なんだ。未だにこんな抑圧を受けているのは、第一に黒人が黒人として団結してこなかったからだ。団結しようとする度に、それこそ人種差別的だと批判されたからだ。ANC(南アフリカ民族会議:反人種主義・非暴力主義を掲げる南アの中道左派政党の略称)はその批判をまともに受け入れてしまった。>
 ――我々の解放は黒人意識と切り離すことはできない。自分たちの存在に意識的になれば、もう奴隷ではいられなくなるからだ。

 ローザの自由を求める逃避行が始まる。(ささやかな自分だけの自由が欲しい。誰もが父や母のような活動家としての人生を私に求めている。)だが、ローザは自分だけの私的な人生を求めて南アを脱出する。二十七歳の彼女はパリを経由し、南仏ニースへ赴く。そこには父の最初の妻カーチャがひっそりと生きており、ローザは彼女の許でしばらく暮らした。

 まもなく、ローザは村のレストランで偶々同席したフランス人ベルナール・シャバリエと親しくなる。妻子ある学校教師で、博士論文を書き上げるためヴァカンスを利用して村に滞在していた。二人は英語とフランス語で会話を交わし、彼は論文の内容に関し「ラテン的なものの衰退」をテーマにするつもりだと打ち明け、その概略をこう説明した。
――フランス人の気質とか思考とかから、ラテン的なものを源とする力がどんどん衰退していくってことなんだ。フランス人の生活は益々アングロサクソン的に傾き、アメリカ的な発想に規定されてきてる。欧州共同市場とか、オタン(北大西洋条約機構)は関係あるね。
 
 二人はうまが合い、逢引きを重ね、熱い官能の日々を過ごす。二人で好んで釣りに出かけ、村の美術館へ絵を見に行ったりした。二人の間では隠し立てはなかった。ベルナールは単純明快に言った。「僕は妻や子供に混じって生活してる。一緒に暮らしてる訳じゃないんだ」
 二人に家はなかったが、彼は彼女とほとんど一緒に暮らしていた。彼はこう言った。「できるんだったら、君と結婚するだろう」。ローザが少しも反応しなかったので、彼は少し気分を害した。いま彼女を生かしているのは、彼が口にした他の言葉なのだ。

 論文の調査という名目で、二人はコルシカ島へ三泊四日の小旅行をし、二人っきりでいる喜びを味わった。二人はロンドンでも共同生活を送ろうと計画。ローザはパリに赴いたベルナールより一足先にロンドンへ行く。が、彼の地で出会ったのは、その男ではなく、その昔ローザの家で姉弟のように暮らしていた黒人の青年バーシーだった。ローザは彼に痛罵される。父の重圧に屈したこと、それに反発してヨーロッパに逃れたこと、「全てが白人の思い上がりだ」と。そして、ベルナールはとどのつまり、ロンドンには姿を現さなかった。

 ローザは秋晴れの爽やかな光に溢れるロンドンを後にして、南アに帰国する。そして、南ア最大の黒人居住区ソウェトの病院で働き始め、まもなく父と同じように刑務所の独房にたどり着くこととなる。ローザは自分が属すべき場所に戻ってきた。南ア~パリ~ニース~ロンドン~南アという軌跡を辿ることで、南アこそローザが帰属する場所だ、とくっきりと見えてくる。そして、亡霊のように付きまとっていたヨーロッパが点景となって消えていく。

 1977年10月19日。かつてないほど沢山の人が拘禁され、逮捕され、多くの団体と唯一の黒人新聞が禁止された。捉えられたのは殆どが黒人だった。数は少ないが白人も拘禁され、逮捕され、自宅軟禁となる。バーガーの娘もその中にいた。彼女ははっきりした嫌疑もなく拘禁された。国側はローザが他の有力女性リーダーと共謀し、コミュニズム及び(乃至は)ANCアフリカ民族会議を助ける陰謀を企てたとして告訴したいらしい。当局はいろいろと彼女のことを調べていたが、ヨーロッパ在留時については今イチ明確ではないようだった。

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