1993年、トニ・モリスンはアフリカ系米国人として初めてノーベル文学賞を受けた。授賞理由は「先見的な力と詩的な重要性によって特徴付けられた小説で、アメリカの現実の重要な側面に生気を与えたこと」。受賞作の小説『ビラヴド』は87年にピュリッツァー賞を受けた代表作だ。ハヤカワepi文庫(吉田廸子:訳)版を基に内容の概略を私なりに紹介したい。
1873年の米国オハイオ州シンシナティ市。124番地は悪意に満ち、赤ん坊の恨みが籠っていた。被害者は母親のセサと彼女の娘デンヴァ―で、祖母のベビー・サックスは死んでいた。セサの息子のハワードとバグラーは頻々と起きる異変に怯え、とうに逃げ出している。覗き込んだだけで鏡が粉々に砕け、ケーキの上に二つの小さな手形が現れたりしたから。
ある日、セサは家の傍で昔馴染みの男ポールDと行き逢う。かつて奴隷として暮らした農園の同僚で、十八年ぶりの再会である。外見はケンタッキーに居た頃と変わりなく、夫のハーレの消息は「何も知らない」と言う。セサは十三歳で農園に買われて来て、思いやりのある農園主ガーナ―の計らいで男奴隷の一人ハーレと夫婦になることができたのだった。
ポールDがセサに招かれて泊まった夜、床板が揺れ、家が縦に揺れだす。ポールDは「この家に手を出すな!とっとと失せろ!」と叫び、突進してくるテーブルの脚を攫み、叫び返した。「彼女はお前が居なくたって苦労の種は充分あるんだ、もう充分なんだ!」。振動の張本人は退散する。たった一人の遊び相手を無くしたデンヴァ―は味気ない思いを味わう。大人の二人は同夜、一線を越える。男からすれば、長きにわたる渇望の末の本願成就と言えた。
祖母のベビー・ザックスの八人の子供たちには六人の父親がいた。「吐き気を催すような人生」と、彼女は呼んだ。男の子だった三番目の子ハーレを手元に置いてもらうのと引き換えに、作業監督と四カ月も番(つが)い続けた。二人の娘は永久歯が生えない前に、遠くに売られていった。その義母の「頼りになる倅」ハーレは、母親を奴隷主から買い取った時の負債を返済するために働き詰めに働いた。ハーレはセサにとって、夫というより、兄に近かった。
セサは娘のデンヴァ―に奴隷主の許からの逃亡行に関し、こんな思い出話を打ち明けた。
――もうすぐオハイオ河という処(松山の尾根)で、襤褸着で浮浪者ふうのエイミーという白人娘とばったり出くわしたのさ。お腹がぺこぺこの私は、躰中が顎と飢えになっていた。その子は私を近くの差し掛け小屋まで連れて行き、腫れ上がった両足に念入りに揉み治療を施してくれ、「死んでるもんが生き返る時は、何だって痛むもんさ」と言ったんだよ。
ある木曜日、セサとデンヴァ―にポールDの三人はサーカス見物に遠出をする。夕方、帰宅すると、黒いドレス姿の若い黒人女性が124番地の庭先に佇んでいる。「咽喉が乾いてる」と訴え、彼女はたて続けにコップで四杯の水を空にした。「名前は?」と問われると、「ビラヴド」と答える。大層低い、ぜいぜいした感触に、三人は互いに顔を見合わせた。
若い黒人の女が当てもなく彷徨っていたら、破滅から逃げ出して、彷徨っているに決まっている。南北戦争の終結から四~五年、ニグロの浮浪者は裏街道を当てもなく放浪していた。居間に招かれたビラヴドは椅子に腰かけたまま、眠り込んでしまう。寝室に案内され、ベッドに崩れるように倒れ込む。女は四日間も眠り続け、デンヴァ―が一心不乱に看護した。
起き上がったビラヴドはセサに付き纏い始め、セサは悪い気がしなかった。ポールDは何か異様な感じを受けたが、食客の身では口を挟めない。無力な黒人の少女を、クー・クラックス・クランの徒輩が徘徊する無法な地へ放り出すのは、論外だった。セサは彼に言った。
――あの娘を食べさせるのは苦労じゃない。(勤め先の)レストランから少し余分に食べ物を持って帰れば済むんだから。
九年前までの124番地は、今とは様子が余程違っていた。セサの義母ベビー・ザックスが愛を、警告を、食べ物を与え、叱り、そして慰めてくれる、陽気で人々のざわめきに満ちた家だった。二つの鍋が竃でぐつぐつ煮え、ランプが一晩中、燈っている。旅人はここで疲れを癒し、伝言はこの家に残された。「全ては、知る量に懸かっている」と彼女は言い、「良きことは、口をつぐむ時を知ることなり」とも言った。ベビー・ザックスは教会を持たない説教師となり、方々の説教壇に立ち、集まった人々に大きな心を開く説教師となったのだ。九年もたった今、驚いたことに、セサは彼女の助けを望んでいた。
(南北戦争後の)1874年現在、白人は未だにやりたい放題だった。町ぐるみでニグロを一掃した処が何カ所もあり、ケンタッキー州だけで一年に八十七件もリンチが行われた。四つの黒人学校が焼け落ち、大人は子供並みに扱われて鞭打たれ、黒人女性は秘密結社のメンバーに強姦された。財産は奪われ、首が折られた。皮膚の焼ける異臭は、胸をむかつかせた。
一方、今から十余年前、セサは子殺しの嫌疑で投獄され、オハイオ州のデラウェア黒人同盟が彼女を絞首刑にしないようにと嘆願書を提出していた。三か月後、乳飲み子のデンヴァ―に離乳食をあてがわねばならなくなり、セサは釈放される。彼女はすぐさま墓石を買いに行き、碑銘を「かけがえなく愛されし者(デイアリー・ビラヴド)」とすることに決めた。
(デンヴァ―に向けたセサの独白)――私の実の母さんは何度もハミ(轡の馬の口に当てる部分)を噛まされたんで、笑ったような顔になった。笑ってない時だって、にっこりしてたんだよ。笑いたくなかった時でも、母さんを笑わしているのは、ハミだって皆が言ってた。私は今いろんな人たちのお陰で、こうして本物の笑顔をつくって笑うことができるんだよ。
(セサに向けたデンヴァ―の独白)――ポールDが来るまでは、ビラヴド姉さんは私の秘密の遊び相手だったのに・・・。私は母さんを愛してるけど、母さんが実の娘を一人殺したことも知ってる。そんなことをした母さんが怖いよ。私はいつもびくびくしてるの。
124番地は静まり返っていた。セサは勤め先から解雇を言い渡され、ビラヴドと遊ぶことに没頭するが、彼女は何をしてもらっても、決して「もういい」とは言わなかった。セサが一生かけて貯めた38ドルの虎の子は、食い扶持や衣裳代に消えていった。べったりの仲だった両人の間柄が険悪化し始める。繰り返し繰り返し「許しておくれ」と懇願する母親に対し、娘の方は「あたいのとこから逃げてく前に、振り向きさえしなかった」と責め立てた。
食料が底をついた時の苦痛は耐え切れなかった。デンヴァ―は何とかするのは自分の責任だ、と分別する。彼女は混血のレディ・ジョーンズ夫人を訪ね、米を少々に卵を四個、少しの茶を分けてもらう。以後、124番地の庭の外れに野菜や肉入りの袋や包みが届けられ、デンヴァーは夫人の許へお礼を述べに行った。夫人はこの少女に聖書を抜粋した詩集を与え、少女はその五十二頁分を残さず読んで暗記してしまう。
デンヴァ―の外部での生活が好転するにつれ、家での生活は悪化する。ビラヴドの体が大きくなるにつれ、セサの体は縮んでいった。デンヴァ―は二人にひたすら仕えた。セサは汚辱まみれ<白人の一団が(近い将来)自分の娘を汚し、投げ捨てる>の成り行きを恐れていた。その弁明をビラヴドは素知らぬ顔で聞き流すのだった。
124番地界隈の女たち三十人がセサとビラヴドの安否を確認しに来訪する。セサの姿を認め、隣に立っているものの姿に恐怖を感じない自分たちに驚いた。<悪魔の子供は賢いな。妊婦に化けていて、炎暑の中で微笑んでいる> その微笑は目も眩むばかりに眩しかった。遅れて到着したポールDは(もう、ここにはビラヴドはいない)と確信する。(みんな悪い夢のように、彼女を忘れた) 時がたてば、痕跡は残らず消えていく。
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