二十世紀文学の名作に触れる(44) フォークナーの『サンクチュアリ』――世にも恐ろしい暗黒の物語

 米国南部ミシシッピ州生まれの作家フォークナー(1897~1962)は1950年、ノーベル文学賞を受けた。表題の作品『サンクチュアリ』は31年に著された小説で、それまで無名だった彼の名を一躍有名にした出世作でもある。サンクチュアリは「聖所」「逃げ込み場所」などの意だが、本作(新潮文庫、訳・加島祥造)では「隠れ家」を指す。作者自身が「想像しうる限りの最も恐ろしい物語」と注釈する内容は極めて陰惨かつ扇情的で、詳しい紹介を憚りたくなるほどだ。米国南部社会のかつての暗黒面を知るには格好の作品、と言えよう。

 春の午後、ミシシッピ州の田舎町の外れで、二人の男がばったり出くわす。一人はひょろ高く痩せぎす、くたびれた服装で書物を抱える弁護士のホレス・ベンボウで、妻を捨てて故郷へ帰る途中の身だ。もう一人は小柄で黒服姿、ピストルを所持する(禁酒令下の)密造酒製造グループ首領のポパイ。ホレスはポパイに導かれ、廃屋同然の農園屋敷へ向かう。
 この屋敷は密造酒造り一味の汚れた根城で、貧乏白人グッドウインとその妻ルービー、ぐずな下っ端手下のトミーらが同居していた。ホレスは怪しげな一同と何となく夕食を共にする。実を言うと、ポパイは生来の性的不能者で、かつ酒を受け付けない体質と来ていた。

 数日後、町の名門判事の十七歳の娘テンプル・ドレイクとボーイフレンドの乗る車がポパイの仕掛けた横倒しの木に乗り上げ、故障。両人は屋敷内に連れ込まれる。アル中気味のボーイフレンドは振る舞い酒に酔いしれダウン。トミーが娘の見張りに立つが、ポパイは野良犬を扱うようにピストルで射殺。テンプルの性器をトウモロコシの穂軸で突いて凌辱する。

 トミーの死体発見をグッドウインが警察に通知するが、なんと通知した本人が容疑者として逮捕されてしまう。彼は元騎兵隊軍曹で、フランス戦線をはじめマニラやメキシコにも居た男。不正義に気づき、弁護を引き受けたホレスに対し、グッドウインは怯え顔で言う。
 ――俺はシロだが、そう言ったら(ポパイが)只では済まない。
 グッドウインから密造ウイスキーを買っていた町の連中は一転、彼の非難攻撃に回った。

 グッドウインが連行された日、刑務所には黒人の殺人犯が入っていた――彼は妻の咽喉を剃刀で搔き切って殺したのだった。囚人は夕方、決まって窓に寄りかかり、歌を唄った。そして、「もう一日だよう!そしたら、一巻のおしめえだよう!」と、ぼやいた。「うるせえな、あの野郎」と舌打ちしたグッドウインは呟く。「俺は奴の運を笑える立場じゃねえな」

 一方、ポパイはテンプルを車に乗せてメンフィス市に入り、丘の麓の路地に面した三階建ての娼館に乗り付ける。館の女主人の口癖は「うちは、警察とはツーツーの仲だよ」。彼女と懇意なポパイはテンプルを館に預け、不能な自分の身代わり役として長身の二枚目レッドを彼女に宛がう。女主人は親しい女友達に、こうぼやいた。
 ――女中の話では、(レッドとテンプルの)二人は二匹の蛇みたいに素っ裸でさ、そしてポパイはベッドの足元にかじり付いて――いななくような変な声さえ出してた、とさ。

 ある日、テンプルは隙を見て館を抜け出そうとするが、表にはポパイの車が待ち構え、無理やり街中のダンスホールに連れ込まれる。ホールにはたまたまレッドが居合わせ、テンプルは隙をついて別室でレッドと二人きりになり、「一緒に逃げよう」と持ち掛ける。が、当のレッドをポパイはあっさり射殺してしまう。レッドを弔う葬儀場では、質の良くない会葬者たちが密造酒にすっかり酔っ払って大騒ぎし、あおりで死体が棺から転がり出る一幕も。

 グッドウインの無罪立証を図るホレスはルービーを保護しようとするが、彼女を不浄視する町の連中は彼を非難した。彼は手づるを利用してテンプルと秘かに対面~証言を得ようとするが、彼女は錯乱していて、真実立証は遠のく。裁判初日の夜、ホレスはグッドウインの監房を訪問。ちょうど妻のルービーと赤子も居合わせ、ホレスは彼女に翌日の法廷での証言の練習をさせる。グッドウインと赤子は眠ってしまい、二人は夜中まで予行を重ねる。

 ルービーは弁護費用を払う金がないからと自分の体をホレスに提供しようとして、彼を呆れさせる。「情けないなあ! 君たち愚かなる女性たちは・・・」。鼻白んだホレスに、ルービーは過去にも同じ方法で二度も連れ合いを刑務所から出した経験を語り始める。男らしい夫と暮らしていくため、自分がどんなに命懸けで生きてきたか、感傷や自己憐憫を抜きに彼女は淡々と語っていく。

 ホレスは勝訴を確信するが、二日目に不意にテンプルが登場し、雲行きが一変する。検察側は犯罪現場で発見された証拠物件として、黒褐色に染まった玉蜀黍の穂軸を提出。ひどく青ざめて答弁も定かでない彼女は検事に誘導されるまま、グッドウインに犯された、と証言してしまう。哀れにも有罪を宣告された彼は当夜、街の連中に留置場から引き出され、火焙りのリンチに処される。テンプルは老齢の父ドレイク判事に引き取られ、町を発っていく。

 数か月後、ポパイは母親に会うため故郷フロリダ州ペンサコーラ市に向かう途中、隣のアラバマ州バーミンガムで警官殺しの咎で逮捕される。毎夏、彼は母に会いに行っていた。彼女はポパイを妊娠後まもなく夫が家から出奔してしまい、産まれた子は以後不幸な生い立ちを辿る。小鳥や子猫を切り刻むという残虐な行いにより、少年感化院に送られたのだ。

 警官殺しは事実無根だったが、その時刻に彼は別の町で他の男を殺している。彼は抗弁を拒み、有罪が確定。犬のように首を吊られ、果てる。酒も女も知らぬままの儚い生涯だった。
 テンプルと老いた父親はパリのリュクサンブール公園に居た。彼女は不服そうで悲しげな顔をし、傍らの音楽堂では青空色の制服を着た軍楽隊が豊穣な悲しい音響を奏でていた。

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