気候変動の激しさに、科学の進歩と地球に暮らす生きもののことが、今まで以上に気になる。最近読んだ本の、既に亡くなられた学者が書いていることが心に響いたので、オッペンハイマーの映画をも思い出しながら、あらためてメモした。三宅泰雄氏の『原子力と科学者』は、年数を経て茶色く焼けてしまっているが、文庫本で軽く、3.11以降いつも私の手元にある大事な本である。
梅津濟美著『文明を問い直す ―市民の立場より―』
(20241011 1979年出版の復刻版 エイチエス株式会社)
梅津濟美(1917~1996)山形県生まれ 英文学者 名古屋大学名誉教授 1989年『ブレイク全著作』で日本翻訳文化賞を受賞した
P201 大学を語る より抜粋
自然科学者が実験室で研究に没頭している時は、その専門分野のいわゆる真理のことしか考えないという。なるほどそうなんでしょうけれど、その研究成果はというと、先を争って世間に発表されて、結局は世間という場で利用されることにならざるを得ない。
アインシュタインの導き出したE=mc2 という式が、原爆や水爆ができる基礎の理論を提供したということは、自然科学者自らが認めていることなんですが、その理論が世間という場で利用されて原爆が出来てしまうと、彼はその使用を止めさせることができなかった。この歴史的事実は、いまさらのように我々に教えたのですね。
専門研究などというものは、その成果が成果自体としては如何に画期的なものであっても、結局それがそこで利用されるに決まっている世間というもの、つまり世間を構成している人間というもの、それを勘定に入れないでは、本来肯定し得ないものであったということを。
人間とはどういうものなのか。そのいわば実力はどの程度のものなのかということが、あらためて切実な人類の問題となってきたのです。
それを考えるのが、教養部というところであるというのが僕の考えです。
三宅泰雄著『原子力と科学者』(1976年 新日本出版社)
三宅泰雄(1908~1990)岡山県生まれ 地球化学者 東京教育大学教授
日本学術会議会員として原子力問題特別委員会委員長を務めた。1954年から気象研究所におい
てフォールアウトの測定に関わり、核廃絶や全面禁止のために活躍した
第一部 原子力と科学者
P75 悪魔的な一瞬
世の中には、核兵器の抑止による平和を信じている人もある。いうま
でもなく、これは双方の理性、とまでいわずとも、打算、かけひきの余裕
の存在を前提としている。すでに原爆の日本への投下によって、証明され
ているように、戦争の理性破壊の現実をみてきたものは、核兵器の抑止力
に、疑いをさしはさまぬわけにはゆかない。
人間は歴史はじまって以来、たびかさなる戦争をしてきた。いまもなお、
世界のどこかで、戦争がおこなわれている。しかし、戦争という政治行為
は、第二次世界大戦をさかいに、まったく質的に異なるものとなった。い
ま、おこなわれ、また、これからおこなわれようとする戦争のすべては、
核戦争の潜在的な引金作用をもつからである。・・・略・・・・
私たちは1954年のビキニ事件から、ほぼ20年余にわたって、環境の
放射能汚染を追跡する仕事にたずさわってきた。・・・私たちは、放射能
汚染の研究を通じ、くりかえし原子兵器や原子力の本質を、日夜考えてき
た。・・・・・私は、それなのに、原子力の「平和利用」の仕事にもたず
さわっている。私は、私がたずさわってきた原子力を、ちがう面からみた
いと思ったからである。しかし、時がたつにつれ、私が放射能汚染の研究
からえた事実が、原子力の真実であるという考えを、ますます強めたに
すぎない。・・・・・
むかし、まだ核分裂などの発見されるまえに、オットー・ハーン・・・
たちの分研究論文によみふけった若いころの自分を思い出す。・・・それに
よって、どんなにはげまされ、自然の微妙さに魅せられたことか。これらの
研究が、すべて、核兵器をつくりあげるもとになったことを考えると、私は、
慄然としないわけにはゆかない。
原子力の平和利用を素朴に信じ、それを推進しようとしている善意の人々の
明るい顔、自信にみちた口調に接するたびに、私の気持ちは、むしろ深みにし
ずんでゆく。先輩の科学者たちの研究と、思想に内在する大きい矛盾、われめ、
不可解と暗黒が私をとりまいている。
私には、おそろしい。世界中の楽天家たちの仕事の結果が、一瞬にして、
人類の制御から逸脱していくありさまが、私には予見できる。
P79 地球人として
・・・・・・ヒトは、みずからをはぐくんだ自然を、ようしゃなく、うちこ
わし、他の生物をほろぼし、ヒト同士でころしあっている。いまだかって、こ
んな凶暴で、邪悪な動物が地球上にすんだためしはない。・・・
人間はみずから、ホモサピエンスとよぶ。サピエンスとは、かしこいという
意味である。ほんとうに、かしこくあるためには、宇宙・核時代のかれは、ホ
モ・テルリス(地球人)としての自覚にめざめねばならない。
世界中の人々の、現在と将来の最大の課題は、おたがいにホモ・テルリスの
共通な立場で、人類のつぎの0.1秒が、ともに、しあわせにつづくようなみち
を、さがしもとめることではなかろうか。・・・・・・・・
2024/10/17
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion13925:241024〕