(2022年5月25日)
バイデンが駆け足で韓・日と訪問し、一昨日(5月23日)帰米した。日本に残していったのが防衛費増額の宿題。同日の両首脳共同会見で、岸田は「日本の防衛費の増額を確保する決意」を表明してこの宿題を抱え込んだ。
「聞き耳」自慢の岸田ではなかったか。まずは国民の声を聞き、国民に提案して、国民から政府方針転換と負担増の了承を得るべきが当然だろう。それを他国の首脳に「決意表明する」など、完全に順序が間違っている。この人の耳は、アメリカの腹の中や、右翼のつぶやきを聞き取るようにできているのだ。
「わたしからは、日本の防衛力を抜本的に強化し、その裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保する決意を表明し、バイデン大統領からは、これに対する強い支持をいただいた」って? 主権を持つ国の首脳としては、なんとも情けなく、みっともない記者会見での発言。
ところが、右翼陣営や自民党・維新からは、批判の声は聞かれない。むしろ、歓迎して「防衛費の相当な増額」とは倍増だという威勢のよい声が上がっている。
2月24日のウクライナショックは、大きかった。一時は、「ウクライナよ正義のために果敢に闘え」「ウクライナに軍事的・非軍事的支援を」という声一色となった。「不正な侵略には戦わざるを得ない」「それ見たことか、非軍事での防衛など絵空事だ」「独立国家に自衛力は不可欠だ」「強国との強力な軍事同盟あっての平和ではないか」と護憲派が矢面に立たされた。これに乗じて、「敵基地攻撃能力」(反撃能力)だの、攻撃対象を拡大せよだのという火事場泥棒的防衛力増強論が大手を振る事態。
3か月経って、世論は少し落ち着きを取り戻しつつある。が、この岸田の「防衛費の相当な増額」決意に、野党もきちんと批判し得ていない。これで、大丈夫だろうか。
既に事実上の与党となっている国民民主は「防衛費の相当な増額」に事実上容認の立場。自民よりも右のポーズをとることで世論の受けを狙っているポピュリスト維新は、今や改憲・軍拡路線の尖兵。「積極防衛能力」の整備を唱い、具体策として防衛費の国内総生産(GDP)比2%への増額を主張している。
問題は、立憲民主党である。これまでの経緯からは当然に「防衛費増額に反対」と声を上げるのかと思ったら、どうもそうではない。泉健太党首は、24日、「『昨今の安保環境で言えば(防衛費は)増えることになる』と首相の方針に理解を示し、『参院選の争点にならない』との見解まで示した」「立憲民主党は必要な防衛費は整備すべきだと考えている」と強調。「防衛費がその結果として前年を上回ることは十分あり得る」とし、防衛費増額は「必要だ」とも明言した、と報じられている。
どうなっちゃんだ、立憲民主党。ウクライナショックの深い傷が未だ癒えていないごとくである。
元来が、平和主義(パシフィズム)という言葉には軟弱な印象がつきまとう。とりわけ今は、プーチン・ロシアの非道が際だって、「不正な侵略には、断固戦うべし」という論調が優勢である。この論調に後押しされる形での防衛費増強論が大手を振っている。「我が国だって、凶悪な隣国から、いつ不正な侵略を受けないとも限らない。これに備えた軍備増強なければ、枕を高くして眠れないではないか」。立憲民主党も、威勢のよいこの論調に抗しがたいと考えているのだろうか。
平和主義者は、今こそ敢然と非戦論を掲げなければならない。軍事的な抑止力論や、軍事的均衡による平和論が、際限のない軍拡競争の負のスパイラルに陥るという歴史的教訓の到達点が「9条」に結実している。「9条の精神」は、「軍備で平和は生まれない」「軍拡は戦争を招く」ことを教えている。
軍備増強・防衛費増額論には、「断固NO!」の世論を形成したいものと思う。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.5.25より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=19212
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion12067:220526〕