今こそかみしめたい。「日本は77年間、戦争をしなかった」と 終戦記念日に思う 

 きょう8月15日(月)は「終戦記念日」。1945年8月15日に日本が「ポツダム宣言」を受け入れて連合国に無条件降伏し、太平洋戦争が終結しことから、8月15日がそう呼ばれることになったわけだが、終戦当時、私は10歳、国民学校(小学校)4年生だった。それから、77年。私の脳裏には、この間の日本におけるさまざまな出来事が去来し、いずれも忘れ難いが、本日、私の心を満たしている感慨は「この77年間、戦争に行かずにすんだし、そのうえ、日本が戦争を起こしたり、他国の戦争に巻き込まれなくてよかった」という思いだ。

 日本の近代国家としてのスタートは明治維新(1968年)である。それから、今年(2022年)で154年になる。そのちょうど中間点に当たるのが、なんと日本が太平洋戦争で敗北した1945年(昭和20年)だ。したがって、これまでの日本近現代史は、1945年を境に前半の77年と、後半の77年に分けることができる。

 戦争ばかりしていた日本
 ある時、私は「前半の77年」の日本の歴史をたどってみたが、事実を知れば知るほど驚嘆してしまった。なぜなら、この77年間、日本は戦争ばかりしていたからである。
 
 近代国家になった日本の最初の戦争は、1874年(明治7年)の台湾出兵である。1871年(明治4年)、琉球(沖縄の別名)の首里王府に貢ぎ物を納めた宮古の貢納船が宮古に帰島する際、台風に遭って台湾の東海岸に漂着し、乗組員69人のうち水死を免れた66人が山中に迷い込み、54人がパイワン族に首をはねられて死亡した。当時、琉球が日本に帰属するのか清国(中国)に帰属するのかが問題化していた。明治政府は「琉球人民の殺害されしを報復すべきは日本帝国の義務」として、軍隊を台湾に派遣した。

 これに次ぐ戦争は日清戦争である。朝鮮に対する宗主権の維持をはかる清国と、清国を朝鮮から排除して朝鮮を保護下におこうとした日本との武力紛争だった。1894年(明治27年)8月に始まり、9カ月続いた。
 次いで、日露戦争。1904年(明治37年)2月から05年9月まで続いたが、朝鮮及び満州(中国東北部)の支配権をめぐる日本とロシアの戦いであった。
 
 大正時代には、二つの戦争をする。一つは、第1次世界大戦への参戦だ。1914(大正3年)に勃発した同大戦は、植民地再分割をめぐる英独を中心とした帝国主義国同士の戦争で、主戦場はヨーロッパだったが、日本は中国におけるドイツの権益を入手しようとドイツに宣戦を布告し、兵力を山東半島に送り込み、南太平洋の赤道以北のドイツ領を占領する。
 もう一つは、シベリア出兵。1917年(大正6年)、ロシア革命が起き、ソビエト政権が成立する。これを打倒しようと、アメリカ、イギリス、フランスなどの列強がソビエト領内へ侵攻。日本軍も18年(大正7年)8月、シベリアに上陸し、22年(大正11年)10月まで革命勢力と戦った。

 昭和に入ると、戦争、戦争、また戦争である。1931年(昭和6年)に日本が始めた満州事変は1937年(昭和12年)には日中戦争となり、それが、1941年(昭和16年)12月8日からの太平洋戦争につながってゆく。そして、敗戦(1945年8月15日)となる。

 日中戦争から太平洋戦争に至る戦争は「15年戦争」と呼ばれる。「15年戦争」での戦没者は軍人・軍属約230万人、外地で死亡した民間人約30万人、内地の戦災死亡者約50万人、計310万人とされる。戦争相手国の犠牲者は、中国を中心に約2000万人にのぼると言われている。

 要するに、「前半の77年」は、ならしてみると、まるで10余年ごとに戦争に突入しているという印象であった。まさに日本近現代史の前半は、戦争の歴史だったのだ。なぜ、そうなったのか。「日本人は本来、戦争が好きな民族なんだろうか」。そんな思いに襲われたこともあった。

 日本に77年続いてきた平和
 しかるに、後半の77年、つまり太平洋戦争に負けた1945年以降の77年間、日本が自ら戦争を起こすことはなかった。そればかりでない。朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争といった戦争があったが、日本がそれに巻き込まれることはなかった。だから、日本人が戦場で他国の人を殺すということはなかった。もっとも、日本が戦争の一方の当事者である米国に軍事基地を提供し、間接的に戦争に加担するということはあったが。
 私個人についていえば、10歳以降、日本が戦争の当事者になることはなかったから、軍隊に徴用されることはなかった。もし、私がもう少し早く生まれていたら、少年兵や特攻隊員として戦地に送られていたはずだか、私は、「遅れて生まれてきた少年」であったために、戦場に行かずにすんだ。
 
 ともあれ、日本近現代史の前半が「戦争ばかりしていた時代」であったことを考えると、後半がずっと平和な時代であったことは、日本の歴史上、特筆に値することではないか、と私は思う。

 77年間の平和は憲法9条があったから
 大乱が続いた世界で、日本はなぜ77年間も平和を保つことが出来たのだろうか。私は日本国憲法第9条があったからではないか、と考える。
 第9条は、「戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」をうたっている。これは、日本を占領した連合国最高司令官マッカーサーの発案だったとされているが、当時の日本の帝国議会(いまの国会)はこれを受け入れだ。
 当時の日本国民がこの規定を受け入れたのは、「15年戦争」を経験した日本国民の多くが、「もう戦争はもうこりごり」「戦争はイヤだ」「戦争を再び起こすまい」「平和が一番」といった思いに傾いていたからだと思われる。そうした心底からの思いが、その後も日本国民の間で多数を占め、度重なる改憲の動きを押し返してきた、というのがこの77年間の流れだ、と私はみる。

 加えて、敗戦以来、日本国民の間で営々と続けられてきた反戦平和運動、原水爆禁止運動などが果たしてきた役割も見逃せない。こうした運動が、国民の間に「戦争よりも平和を。そのためには、憲法9条を守らなくては」という意識を定着させてきたのは間違いない。
 終戦記念日に当たり、私は切に思う。「今こそ、日本戦後史における憲法9条の意義を語り合う時ではないか」と。

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