今こそゴフマン理論の出動を~蔵田氏の「匿名投稿」への回答に触発されて

まず最初に断っておきたいのは、私の投稿は“ブルマン!だよね”というちゃんとしたペンネームによるもので、通常は「匿名とは」「考えにくい」(大爆

 

それはさておき、その件の蔵田の回答なのだが、「中間まとめ」で「スクリーニング」という言表がされなくなったのだから、当局はスクリーニング説を撤回したのだという超絶的読解が、蔵田氏の主張のすべての前提におかれていて、流石は重厚・難解を持って鳴る「ゴフマン理論」研究の大家、私のような凡庸な頭脳では決して思いもつかない所作、眼から鱗の思いを強く致した次第。

もちろん凡庸な私としてはスクリーニング説と過剰診断説とは表裏一体のものと考えているので、過剰診断説が維持されている限り、スクリーニング説は言表されていなくても当然前提として置かれているものと惰性的に解釈していた。スクリーニングによって一網打尽、従前であれば一生発病せずに他の原因で死亡してしまい顕在化しなかった病変まで洗いざらい検出して、当該の疾病に罹患していると診断するのが、過剰診断だからだ。スクリーニングと過剰診断は一連の契機であるわけで、切り離すことは出来ない、と凡庸な頭脳は憶断していたということになる。それはそうだろう、「切り離し」は蕎麦屋に入って「大盛り、蕎麦なしでね!」みたいな注文するのとそれは変わりなく見えるのだ。ナンセンスの極み、うーんシュールだなぁ。

だから、当然蔵田氏のようにスクリーニングだけが撤回されて、過剰診断だけが残されれば「ジレンマ」が生じているのだと、超絶的読解がなされるのもある意味極至当ではあろう。うんこれは目から鱗ですよ、実に。ただし「大盛り、蕎麦なしね」的な至当さではあるが。要は、スクリーニング説が撤回されてしまうと、小児甲状腺がんが「真に」多発していることに直ちにつながるにも拘らず、「過剰診断」を維持するのは「ジレンマ」はおろか「ナンセンスの極み」とみなされても致し方なかろう。だがこれは「スクリーニング」という言表がなくなったからそれが「撤回された」のだというゴフマン理論研究の大家蔵田氏のみが初めてなしうる「超絶的読解」で、そうでない私のような凡庸で形式論理の囚われ人には到底思いもつかなければ、理解も不可能な所作以外の何物でもない。

 

ところで蔵田氏の超絶的読解の主張するように「ジレンマ」はおろか「ナンセンスの極み」を県民健康調査検討委員会(以下当局)が公式に認めてしまったとなると、体制側はどのような挙措に出るだろうか。普通は直ちに「反論」を「御用学者」あたりを総動員して「政府広報」とかに掲載されるはずだが、「中間まとめ」が公表されてから既に2カ月経過したのにもかかわらず、その気配はまるでない。大体にして「過剰診断説」の先頭を切っている渋谷健司がこの委員会に介入しているのにこんなヘタレ報告が提出されるのを座視しているものだろうか。体制側としては当局の座長の長瀧の運営ではまだらっこしいとばかりに、「最終刺客」として送り込まれたのが、東大医学部公衆保健担当の渋谷であったのではないのか。さらに言えば「中間まとめ」に言う過剰診断説を唱えているのが渋谷その人なのだ。その渋谷が「真に多発」だが「過剰診断」だと超絶ナンセンスをやらかしている。こりゃ渋谷は介入作業から即刻召喚だろうし、東大教授の座も危うくされること必定とならないか。現実はそんな話は一向聞かないというわけだが。

しかもこのままこの「公式見解」を放置プレーしていると時を待たずして福島県小児甲状腺がん訴訟団が結成され政府並びに東電に対する莫大な損害賠償を請求する動きにつながるだろう。であるのにだ、なにも体制側の動きがまったく見えてこない。いや実に不可解ですな、凡庸頭脳にとっては。加えて言えば、反原発派のリアクションも蔵田氏とその周辺を除くと今一つはっきりしない。一体どうなっているのだ??

 

とこんなことどもに思いを巡らしているうちに、ふと「スクリーニング」の原義は何なのかと思い立って調べてみると、「被曝線量に基準を設けて」という表現に行きあたった。例えば「5mSv」以上の被曝者を対象にある検査をする、ということがスクリーニングの核心にあるのである。では福島県の小児甲状腺がん検査はスクリーニングに当たるのかというと、線量の基準がなくて、ただ「事故当時福島在住の0歳から18歳までの人を対象」というのがあるだけで元々スクリーニングでも何でもないのが分かった次第。この言葉は慣用的に当局者たちも使っていたのだが、恐らく渋谷に強く批判されて引っ込めたのだろう。要はスクリーニングにすら当たらない、それ以上の一網打尽検査だからだ。そう凡庸的な読解をしてみると、この「中間まとめ」は体制側の意思をより強く反映したしろモノに見えてくる。

因みに渋谷はハフィントンポストの自ブログでは、福島県健康調査を徹底的に批判して「まったく無意味だからやめてしまえ」とまで主張している「過激」小児甲状腺がん増加否定論者得あることを申し添えておく。

 

ここまでの議論を一言で要約すれば、当局は「決して小児甲状腺がんが増えてはいない」というこれまでの見解を維持している、が私の読解であって、蔵田氏は「スクリ―ング」の言表がなくなったからというただの一点を持って「増えたと認めた」という超絶読解を開陳されていると。

 

大体にして「増えた」と言うには、時系列的に対象を観察する観察体系が同一のものとして維持されていることが、大前提にあるのだが、福島のケースはまったくそうなっていないのは異論の余地のないところ。つまり「原理的に」「増えた」は証明できない。

甲状腺がんの多発をめぐる議論は多岐にわたって基本線が見えにくい面もあるから今いったことを次のような例で噛み砕いて見よう。

あるところに、水源Aがあって周囲の住人たちが飲用に井戸を介して用いていた。当局(!)は水質管理のため定期的に50倍率の顕微鏡で微生物を観察していた。顕微鏡下では1cm3あたりミジンコが10個、ゾウリムシが2個、大腸菌が100個安定的に観察できていた。ところがこの水源Aの近接して大規模集合住宅が最近建設され住人も圧倒的に増えて来たことを踏まえて、当局は500倍率の最新の顕微鏡導入して、検査を行ったところ、ミジンコ、ゾウリムシは今まで通りで変化ないのだが、大腸菌の方はこれまで観察されたのよりずっと小さな種がなんと1cm3あたり2万個いるのが分かった。

これは以前からいたのだろうか、それとも最近になって何らかの理由で激増したのか。

増えたとするには、この500倍率の顕微鏡で過去の水を調べないといけないわけだが、残念ながら過去に時間を戻すことは出来ないので、増えたのかそうでないのかは「原理的に」判定することは出来ない。そこで傍証的にいくつかの手を使って、推定を行うことになる。

一つには、この水源Aと水脈を同じくする20キロほど離れたしかも周りに大規模住宅の建設などない水源Bの水をこの500倍率の顕微鏡で観察するとどうなのか。それからこの小型大腸菌種が増加するとほぼ比例して、ミジンコも増える傾向があるということが「これまでの科学的知見として」立証されている、としようか。水源Bの観察結果もAとほぼ同じでかつミジンコの数に増加が見られないという結果が得られたとすると、「増加したとは考えにくい」という結論が導かれる。あくまで「考えにくい」であって「増加した」という可能性を否定しきることは出来ないと併せて結論付けるしかないのである。といのも水源Bを比較対象としたり、ミジンコの数を比較したりというのはどこまで行っても傍証の域を出ないからである。水源Bも何らかの理由で小型大腸菌が増えている可能性も否定しきれないし、ミジンコとの関係も同様だからだが確率統計的にそれはかなり低いだろうと判定しているからこういう言い方が出てくるわけだ。

 

福島の場合はどうだろうか。比較の対象群は青森・山梨・長崎で同様な検査を行ったデータがあり福島とほぼ同様の傾向にあることが分かっているが、サンプル数が5000人弱と傍証としては頑健とは言えない。そこで比較対象として妥当なサンプル数例えば10万人とかで検査をすると、ほぼ「増えたと考えるのが妥当」なのかそうでないのかの判断がつくはずだが、それは実施されていないしこれからもされることはないだろう。

なのであとは「これまでの科学的知見」が引き合いに出されて、それがチェルノブイリの経験であることは論をまたないだろう。

 

だが実は一つだけ「増えた」を立証する経路が存在するのである。3.11以前ではもちろん甲状腺がんに関する超音波エコーを用いた集団検診は行われておらず、発症者とは声がかすれるなどの自覚症状が出てからのものでしかない。つまり「声がかすれる」という観測基準を現時点で当てはめたならどうなのか。そうした自覚症状の人の数が有意に増えているなら「増えていると考えられる」となるのではないか。しかし管見の限りではそういう事実は出ていないようである。福島では健康調査が行われているから自覚症状のある人も調査の順番を待っているのだろうか。自覚症状が出るのは相当後期であるのにそんな行動をとるものだろうか。それから放射能ブルームはまさか県境で止まってそれを超えなかったというわけではないだろうから、例えば北関東で自覚症状を訴えている人が多発しているのだろうか。蔵田氏はそういうこともよく実地に調査されるべきであろう。

 

それはともかくとして、どうだろうか、蔵田氏はいまこそチェルノブイリの経験として当局が依拠する数々の論拠をゴフマン理論を用いて粉砕すべき時ではないのか。

たとえば、6歳以下の甲状腺がん発症者分布の著しい差異をどう説明するのか。チェルノブイリでは6歳以下の分布がそれ以上よりはるかに比重が高いが、福島ではほぼ皆無でかつ18歳まで年齢を経るほど増加しているように見える。対象年齢の上限をもっと上げればもっと増えて行くのではないか?

チェルノブイリでは甲状腺へのヨウ素蓄積の進んでいない幼児に牧草を介してミルクに要素131が濃縮されたものが摂取されたことで、多発につながったという食物連鎖説が極めて有力な見解となっている。福島では何が起きたのか?

ちきゅう座でも活発に報告されている田中一郎氏などは、幼児に対して室内への退避勧告が出されたから被曝を避けられたのだと穿った見解を述べられているが、室内であっても遮蔽率に従う被曝が避けられないのだし、大体にして食物連鎖説には全く反論になっていない。

ゴフマン理論でぜひとも福島での甲状腺がん多発の機序を明らかにしていただきたいものである。

それからもっと重要なのは、蔵田氏が当局が「増えた」と認めたと読解するならばただちに福島の現地に飛んで、ご自説を全存在をかけて説いて回り、人々を政府並びに東電に対する損害賠償請求の流れに引き入れるべきであろう。そのためにもゴフマン理論による分析が明確になされていることが要請されるのである。

 

そうそう最後に蔵田氏にだけ重要な事実をお知らせしよう。去る秘密の情報源からの話なのだが、実は福島県では高齢者の前立腺がんが50%以上の人に見つかっているという。これも大変な事態が起きていることを強く示唆しているのではないか。小児甲状腺がんだけを取り上げるのは逆差別となりかねない。

蔵田氏に対する期待は極めて重大なものであること、これを何にもまして強調しておきたい。

2015年7月11日

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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