今どきの中学生が出会う短歌~国語教科書に登場の歌人たち、その作品は(3)

 各社の中学校国語の二年生の教科書を中心に調査した結果であり、わかる範囲で、一年・二年生教科書にも触れている。二年生教科書の短歌の収録状況は以下の手順で示している。短歌作品の作者は、作品に続いて(  )で示し、さらに、前回2016年版の収録教科書の調査結果を(  )内で示している。さらに⇒によって、2025年版の収録 結果を、三省堂、教育出版、光村、東京書籍の順で収録状況を記した。新しく収録したものは緑のマーカーで示している。ややわかりにくい整理になってしまったが、お気づきの点は、よろしくご教示くださるようお願いする次第です。

 東京書籍『新編新しい国語2』

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 全体で8単元に分かれているが、各単元の扉の一頁に、目次とつぎの短歌一首とそれをイメージする写真が載せられている。表紙裏の谷川俊太郎の詩「未来へ」の裏に「扉の短歌八首」として、一頁にまとめられている。この頁の写真は小さいが、扉では、半分くらい占める。歌のイメージとしては分かり易い写真か(前半4首が上段、右から、後半4首が下段)

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1.桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり(東書)⇒東京書籍

2.さみしくて見にきたひとの気持ちなど海はしつこく尋ねはしない(杉崎恒夫)⇒東京書籍*新

3.よく晴れた夏をゆったり曲がってくバスすみずみまで蝉の声(岡野大嗣)⇒東京書籍しん*新

4.幸福と呼ばれるものの輪郭よ君の自転車のきれいなターン(服部真理子)⇒東京書籍しん*新

5.距離を置く作戦実行中ですが月がきれいで話がしたい(千原こはぎ)⇒東京書籍しん*新

6.君待つと我が恋ひをれば我がやどの簾動かし秋の風吹く(額田王)(⇒東京書籍三年生)

7.ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちくる涙は(穂村弘)(東書)⇒東京書籍

8.卒業生の最後の一人が門を出て二歩バックしてまた出ていった(千葉聡)(東書)⇒東京書籍

 道浦母都子「短歌を楽しむ」は、書下ろしの短文であるがつぎの三首を鑑賞している。編集者の意向もあったのだろうが、書き手自身の作品が登場していない。その方が説得力があるように思うのだが、これまでの三省堂の俵、教育出版の穂村、光村の栗木での鑑賞文では、自作を登場させているが、なんだかなと、どこか抵抗があったのであるが。   

・金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に(東書)⇒東京書籍

・海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり(東書・光村)⇒光村、東京書籍

・観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(東書・学図・三省堂・教育・光村) ⇒三省堂・教育・光村、東京書籍     

 次の五首のうち、茂吉の晩年の作品以外の子規、牧水、啄木の作品が全四社、上記エッセイに登場した、栗木の全四社、俵の「寒いね」の三社収録作品は、いわゆる「教科書短歌」の定番ともいえよう。茂吉と晶子は、収録作品が一首に集中しないところがさすがと興味深い。

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「短歌五首」

・くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(正岡子規)(学図・東書・三省堂・光村)⇒三省堂・教育・光  村、東京書籍

・最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片(斉藤茂吉)(東書)⇒東京書籍

・白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(若山牧水)(東書・三省堂・教育・光村)⇒三省堂、教育、光村、東京書籍

・不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心(石川啄木)(東書・学図・三省堂・光村)⇒三省堂、教育、光村、東京書籍

・「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(俵万智)(東書・三省堂・教育)⇒三省堂、光村、東京書籍

  なお、単元8「描写を味わう」で、これも定番の太宰治「走れメロス」に続いて「短歌から始まる物語」と題する章があって、「物語を創作するための出発点として、詩歌や絵画などの作品から想像を広げていくやり方がある」として、気に入った短歌一首から想像を膨らませて、短歌の要素を整理して「物語を創作しよう」というものである。現代の生徒たちにどのように受け止められているのか、知りたいと思った。

 2016年版と比べて、気になったことの一つに、2025年版の教育出版の3年生の教科書に、佐佐木幸綱「古典の歌、現代の歌」が見当たらなかったことである。そこには、正田篠枝(1910~1965)と竹山広(1920~2010)のそれぞれ広島と長崎の被爆者歌人の作品が掲載されていたのである。

・太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり(正田篠枝) 

・死屍いくつうち越こし見て瓦礫より立つ陽炎に入りてゆきたり(竹山広)

 正田の短歌は、今年の8月6日、広島の平和記念式典での挨拶の折、最後に引用されたことで、話題になった。1947年12月にGHQの検閲厳しい中、発行された私家版『さんげ』からの一首である。後、平凡社から出版された『耳鳴り 原爆歌人の手記)』(1962年11月)の中に収録された。1971年平和公園内の「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれている。アメリカの核の傘の下、核保有国と持たない国との橋渡しをするとか、核兵器禁止条約締結国会議にオブザーバーとしての参加にも慎重な石破首相に引用された正田さんはあの世でどんな思いで聞いただろう。竹山さんの「核兵器廃絶を見ずわれは死なむその兆しさへ見るなくて死ぬ(『空の空』 )の悔しさも、若い人たちにはぜひ伝えたいものである。

 それにしても、「短歌甲子園」などの入選作などを見ていると、これまで見てきたような、収録数が多い歌人、収録が集中している短歌作品との乖離が大きく、もはや「古典」の部類になっているのではないか、と思ってしまう。そして、いまの短歌ブームを支えている世代のあまりにも細部の気づきだったり、ただただ難解だったり、性愛にこだわっていたりする短歌に出会うと、私は、戸惑ってしまうことも多い。自分が詠んできた短歌って何だったのだろうと、脱力感が大きい昨今である。

初出:「内野光子のブログ」2025.9.3より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/09/post-aeeff9.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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