「花道は自分で作るものではない。」(原口一博)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20100806-849918/news/20110628-OYT1T00909.htm
今日の夕方、民主党の両院議員総会が開かれた。その場で菅直人首相が改めて自身の退陣時期(実際は退陣の条件)について述べた後、出席した議員との間で質疑が交わされた。上記の言葉はその中で原口一博前総務相が発言した、「退任する総理がなぜ(原子力行政の)方向性を出すのか理解に苦しむ。退陣表明を聞いた時は、条件が付いているとは思わなかった。花道は人が作るもので、自分で作るものではない。総理の言葉は重い。責任を取ってこそ、政治に信頼が取り戻せる」という言葉の一節である。(「読売新聞」2011年6月28日17時56分 )
先の菅内閣不信任案をめぐって原口氏は、反対→賛成→反対、と目まぐるしく変わり、腰の据わらない政治家という批評を浴びた。原口氏に限らず、不信任案が否決されて以降の多くの政治家の言葉の軽さ、玉虫色の文書(「一定のめど」、「新体制」などなど)をもて遊ぶ様に私は嘔吐感を覚えているが、「花道は人が作るもの、自分で作るものではない」という言葉は今の菅首相に献上するのに妙を得ている。
そもそも国会の審議に委ねるべき法案の帰趨を、法案がまだ審議入りしていない段階で時の首相が、「これを通してくれたら辞める」などと言い募るのは、その法案の中身がどうであれ、駄々をこねる子供の類であり、国会を冒涜するものである。菅首相が自然エネルギー買い取り法案の成立に政治家として最後の使命感を持ってあたるというなら、自分の退陣に絡めるのではなく、残された在任期間中、自信を持って与野党に信を問えるよう、関係者と協働して、法案の中身を練り上げ、与野党議員を説得するのが務めである。結果として、在任中に法案の成立に至らないなら、審議の経過を次の内閣に引き継ぐのが菅氏の役目である。
このように考えると、「法案は国民のために国会の審議に委ねるもの、政治家に身を引かせるための花道としてささげるものではない」と言い換えるのが正解である。
もっとも、今、日本の政党・政治家に求められているのは、誰が首相であれ、大震災からの復旧・復興のために処理しなければならないし、その気になればすぐにも処理できる次のような問題を解決する立法なり、行政措置を講じ、人・物・財源の手立てをすることである。
(1)居住と職の復旧のために最優先で取り組むべきがれきの撤去などに要する財源を国の責任で確保し、作業に要する人員を全国の自治体に呼びかけて確保すること。また、ボランティアを志願する若者らが被災地に出向き、滞在するための費用を支給する財源を措置すること。
(2)赤十字や中央募金会に集まった義捐金を速やかに被災地・被災者に配分するよう措置すること。個々の被災者に配分するための居住証明・被災証明に時間がかかることから配分が遅延しているのであれば、義捐金の何割かを至急、仮払いの形ででも被災地自治体に配分し、そこで(1)で指摘した、がれきの撤去費用やボランティア経費に充てることにしてはどうか? 個々の世帯の次元では処理しきれない道路や公共施設周辺の復旧作業の経費に義捐金を充てることは結局は個々の世帯の生活復旧のためのインフラ整備にもつながるはずだからである。
(3)被災補償として一時金を受領したら生活保護からはずれてしまうといった不条理、あるいは仮設住宅に入居したら支援物資の配給を打ち切られるといった不条理を個々の自治体で解消できないなら、国が財源措置を講じて解消すること。
(4)福島原発から漏れた放射能汚染の分布を「同心円」で計るといった非科学的なやり方を改め、放射線汚染図を定期的に公表するとともに、関東圏、甲信越圏などを含む広い範囲の多くの地点で頻度を増やして放射能線量の測定を行い、公表すること。
こうした国の政治に求められる措置は、誰が首相か、どの党とどの党が連立するかしないか、○○対策本部を設置したかしないか、誰を政務官に抜擢したかしないか・・・・に関係なく、きびきびと行うべき課題であり、その気になれば速やかに行える課題であって、政局と絡める話しではない。
姉宅のサンルーム風の部屋に居ついた2匹の野良ネコ
初出:「醍醐聡のブログ」より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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