私は、今猛烈に怒っている。怒りの直接の相手は、岩手県の水産行政だ。そして、この県の姑息なやり方に加担しあるいは傍観する諸勢力にもである。このやり口は、おそらくは岩手県政だけではない。この遅れた国日本、形だけの民主主義国日本の行政の水準。私はそれに腹を立てているのだ。
以前お伝えしたとおり、浜の一揆に立ち上がった100人の原告の中から、二人が岩手県海区漁業調整委員に立候補して見事に当選した。漁業調整委員会とは、漁業の民主化を標榜する漁業法の中心に位置する目玉の制度だ。漁民代表の合議によって「漁業調整」を司る機関である。漁業調整とは錯綜する漁民相互の利害を、あるべき公平な秩序に導こうという漁業法の中心概念である。法は、漁業調整の具体的基準を定めず、漁業調整の手続を定めた。それが、漁民を有権者とする選挙で選出された漁業調整委員会である。この合議機関によって、漁民自身による民主的漁業秩序の確立が法の期待するところ。
岩手県海区漁業調整委員会は、岩手県の沿岸全域についての漁業調整を任務とする組織。「漁業者が選挙で選ぶ漁民委員」が9人、「知事が選任する学識経験委員、公益代表委員」が6人、計15人をもって組織されている。任期は4年間。
戦後民主々義は、お任せ民主々義を排して、中央集権ではない、地域の合議制による身近な民主々義を理想とした。公選制だった教育委員会がその典型だが、残念ながらその理想は長く続かなかった。農業委員も農民自身農政を進める上で貴重な存在だったが、その公選制は最近途絶えた。漁民の選挙による海区漁業調整委員会は、制度としては生き残っているが、形骸化著しい。結局は県政の提案を全部鵜呑みにするだけの委員会になり下がっている。民主的味付けのアリバイ装置といって大きな間違いではない。
その形骸化された海区漁業調整委員会に、ホンモノの民主々義の理念を吹き込もうという二人が委員に加わったのだ。あらためて、第21期となる委員会メンバー15人を見てみよう。
漁民委員 大井 誠治(宮古漁業協同組合代表理事組合長)
〃 大船渡市漁業協同組合(代表理事組合長:岩脇洋一)
〃 菅野 修一
〃 久慈市漁業協同組合(代表理事組合長:皀健一郎)
〃 藏 德平
〃 小川原 泉(釜石東部漁業協同組合代表理事組合長)
〃 原子内辰巳(種市南漁業協同組合代表理事組合長)
〃 前川 健吾(普代村漁業協同組合代表理事組合長)
〃 吉浜漁業協同組合(代表理事組合長:庄司尚男)
学識経験委員 菅野 信弘 北里大学海洋生命科学部教授
〃 熊谷 正樹 岩手県立宮古水産高等学校校長
〃 斎藤千加子 岩手県立大学総合政策学部教授
〃 宮本ともみ 岩手大学人文社会科学部教授
公益代表委員 小田 祐士 野田村村長
〃 平野 公三 大槌町町長
漁民委員のうち肩書のない漁民は、藏德平・菅野修一の二人だけ。あと7人は、漁協か漁協組合長が委員なのだ。
21期新委員での第1回委員会(通算396回)が一昨日(8月24日)午後1時30分盛岡で開かれた。選挙後の新委員会。国会なら、院の構成が第一の任務となる。その第1号議案は、当然に「会長・会長代理の選任」とされた。
浜の一揆の二人は、次のように決めていた。
「藏德平さんが会長,菅野修一さんが会長代理に立候補する」「立候補にあたっては決意表明をする。『これまでは、県の水産行政を追認するためだけの海区漁業調整委員会だった。それは、漁連や漁協、有力者の利益を代理する海区漁業調整委員会だったということ」「これからは、零細漁民一人ひとりの意見に耳を傾け、その利益を擁護する海区漁業調整委員会にしたい』といった旨を述べる」
仮に、2対13で敗れたとしても、意思表明することに意義がある。ところが、現実にはこうならなかった。立候補の機会が奪われたのだ。奪ったのは、紺野由夫岩手県水産部長だ。
第1号議案上程前に、農林水産部長が仮議長となった。
仮議長が、「1号議案 会長・会長代理の選任」を上程し、選出方法がはかられた。
これに対して、小川原泉委員(釜石東部漁協組合長)から「推薦による選出」という声があがった。
ここまでは慣例のとおり。「推薦による選出で異議なし」とされて、「では推薦による選出といたします」となり、予め県が用意した人事案がシャンシャンと通るばず…。
今回はシャンシャンとはならなかった。菅野修一委員から、異議が出た。「立候補による選出」が提案されたのだ。民主的な合議制組織において、民主的手続で代表を選ぼうという局面である。「立候補による選出」の提案があった以上は、選挙をすべきがあまりに当然ではないか。小学校の学級委員会でも、議長は「では、学級委員に立候補する方は申し出てください」というはずだ。
ところが、そうはならなかった。何を考えてのことか真意はよく分からないが、菅野信弘・学識経験委員から「自薦他薦どちらでも」という発言が続いた。おそらくは、自薦の立候補者だけでなく、他薦の候補者も投票対象とすべきだという意味だったのであろう。
ここで、仮議長(農林水産部長)は奇想天外の議事運営をする。
「推薦と立候補のどちらで選出するか、挙手で採決します」というのだ。「立候補による選挙で会長と代理をきめよう」という藏德平・菅野修一グループは、少数派として挙手採決に敗れることになった。そして、「推薦」で、県漁連会長でもある大井誠治委員(宮古漁協組合長)が、前期に引き続いて会長職におさまった。
信じがたい議事運営ではないか。「推薦」は「会長に立候補者がない場合のやむを得ない措置」に決まっている。立候補による選任との意見が出された以上は、立候補を受け付け、選挙を行わねばならない。大切なのは、立候補者が述べる立候補の抱負の弁である。あるいは他薦の理由である。民主主義とは、熟議に基づく組織運営の原則ではないか。農林水産部長は、この大切な民主々義の熟議の機会を潰したのだ。
民主的な組織においては、誰もが平等に選挙権も被選挙権ももっている。複数立候補者についての自薦他薦の弁に耳を傾けて、しかる後に各々の投票行動があるのが正常なのだ。岩手県の農林水産部長は多数決をもってしても奪うことのできない、藏・菅野両委員の立候補の権利を奪ったことになる。猛省を求めたい。
ことは、極めて象徴的である。県の水産行政と県漁連体制との蜜月ぶりをよく表している。一般漁民には、立候補の機会も与えたくないのだ。海区漁業調整委員会が形だけの民主々義で、内実の空っぽなことをよく示している。
民主々義の感覚が狂っている。挙手による多数決で少数派の発言権を封じることを恥ずべきことと思わない感覚がおかしい。農林水産部長の異様な議事運営に、藏・菅野両委員以外の誰からも異議が出なかったことも情けない。学識経験委員や公益委員というのは、何のために、その席にいるのか。県や漁連と一緒に、漁民の発言抑圧に加担するのが役割だと心得ているのか。
国政も地方行政も地域も業界も、強い者ががっちりと弱者を押さえ込む体制ができあがっている。弱者がこれと闘う武器が民主々義という手続なのだが、今回はその武器すら奪われたということなのだ。このような事態は、日本の社会のどこにもあることだし、歴史的にもいつの時代にもあったことだろう。弱者が理不尽な強者の支配を脱するには、粘り強い持続的な闘いが必要なのだ。
繰り返すが、私は今猛烈に怒っている。この怒りの感情を大切にしたい。そして、これを一歩一歩、たゆみのない闘いを持続するエネルギーに転化して持ち続けたい。
(2016年8月26日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2016.08.26より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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