佐藤忠男を悼む 100人の外交官を必要とする今

 映画評論家佐藤忠男氏(以後敬称略)が3月17日に亡くなった。享年91歳だった。
 60年前に短期間、私は佐藤忠男と個人的接触をしたことがある。個人誌『映画史研究』の読者でもあった。私は、以来敬愛の念をもってその言動に注目してきた。
 ここに一文を掲げて追悼に代えたい。

《自立した映画評論と映画の国際的媒介者》
 佐藤が日本の映画界または日本文化に残した業績は二つある。
 一つは、この国に自立した映像評論を確立したことである。
 二つは、世界に映画の面白さを知らせるメディアを務めたことである。

 佐藤以前にも優れた評論家は存在した。私は、直ちに飯島正、北川冬彦、双葉十三郎、南部圭之助、今村太平らの名前を挙げることができる。しかし、詰まるところ彼らの活動は20世紀におけるインテリによる大衆啓蒙であった。啓蒙が悪いというのではない。
 私は佐藤の「自立した」言説をヨリ高く買うのである。

 私のいう佐藤の「自立した映画論」とは、歴史の一部となった20世紀の「映像」(佐藤の場合は劇映画と記録映画)を平易な言葉で世界に紹介することであった。しかも凄いのはそれに成功したことである。

《例えば巨匠と新鋭の評伝》
 彼の業績の一つに、黒澤明、溝口健二、小津安二郎、大島渚、今村昌平、篠田正浩ら映画人の評伝がある。それは国際的に通用し、国内的には生活者を肯かせる言説であった。
 私は、佐藤が生活の言葉で監督諸氏を語るとき、その言葉に心から納得した。他の識者による監督論にも力作はある。しかし多くは上から視線の教科書であった。読者を博識にするが、同時にマニア化として結果した。

 佐藤は戦時中に少年飛行兵を目指したが、戦後に大人たちが変節するのを見て自立の大事なことを悟った。鶴見俊輔という哲学者がいた。米ハーバード留学中に日米開戦を知り「日本人としては母国で敗戦を迎えたい」と考えた鶴見は、1942年の日米交換船で帰国した。佐藤は、鶴見らが始めた「思想の科学」グループに参加した。

 その生活者的プラグマティズムに、旧制高校の教養主義と反対の「考え方」を見た。編集者として学び、読者との交流からも学んだ。その中心にあったのはむろん、世界大の「映画批評」である。その著作は、上述の監督論、日本映画史、映画理論、個別作品の批評、教育論、人生論など多岐にわたる。

 佐藤忠男にも誤りや反省はあった。
 たとえば彼は、黒澤明映画がダイナミズムを喪い仏教的観照に転換した流れを十分に説明できなかった。一方、原爆への恐怖から自己破滅を図る中小企業主を描いた『生きものの記録』(1955年)については、初見の低評価を塾考ののちに修正した。

《「外交官」としての佐藤忠男》
 先に、佐藤は国際交流のメディアを務めたと書いた。
 彼は日本国内の多くの映画祭を「企画」し、「司会」し、出品作を「審査」し、著作のほかに多くの「講演」した。戦争と映画の関係に絞って数冊の考察を書いたのも日本の研究者としては珍しいことである。彼の戦争映画論は今も戦争と映画を論ずるときの古典である。

 海外の映画イベントには邦画と外国映画を紹介した。途上国映画は、自国の前近代が崩壊してゆく哀切を描くものが多い。そういう作品の紹介にも情感豊かな文章を書いた。

 20世紀は映画の世紀であった。映像の世紀はいまも続いている。それを、生涯をかけて紹介し、検証し、証明した日本人は、佐藤忠男をおいてなかったと言っても過言でない。

《「大波小波」の佐藤忠男独学主義への違和感》
 佐藤への弔意を述べた文章はまだ少ない。そのなかで『東京新聞』(4月15日夕刊)のコラム「大波小波」は佐藤追悼文である。その一部にこう書いている(■から■まで)。
■どんな映画にも学ぶべきものがある。それが作られた国の社会や歴史を知ることができる。佐藤が生涯にわたって抱いていた信念である。惜しむらくは、愚直なまでの独学主義が禍(わざわい)したために、年少世代がそれを現代思想にうまく接続できないでいる。■

 「偉大な独学者、佐藤忠男」と題するこの短い匿名コラムを読んで、私は佐藤の生涯をうまく纏めていると思った。だが「独学主義」のこの部分で引っかかった。
 佐藤は、その功罪を知りつつおのれの独学を誇りにしていた。事実、彼の国際的活動をみると、日本の外交官100人に相当するという印象をもつ。
 年少世代にもその精神は接続されている。しかし映画世界の変化も世代を超えた劇的なものがあるだろう。

 第一次世界大戦は「総力戦体制」開始の時代であった。
 21世紀の戦争は、TVとSNSの画面で「戦闘を観戦する時代」となった。
 その行方によっては人類が滅亡するかも知れない。

《100人の外交官必要とする今》
 佐藤忠男は、天上でなにを感じているだろうか。100人の外交官を必要とする今、我々は新しい100人の育成・発展を真剣に考えねばならないのである。(2022/04/18)

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