体罰の克服に向けて -阿部氏の所論について思うこと-

大阪市立桜宮高校の生徒自殺事件と女子柔道選手らの監督に対する抗議など、スポーツ指導における暴力の問題が議論を呼んでいる。阿部治平氏は、本ブログで体罰を容認する世論や現在の学校教育に部活動の「成果」が高く評価される構造があることを指摘し、解決の難しさを論じている。(ちきゅう座編集部注:阿部治平氏の論考https://chikyuza.net/archives/31260)しかし本来、教育やスポーツは暴力からもっとも遠い世界にあるはずだ。国際的にみても日本の暴力的な体質は異常なものであり、また明治以降の歴史を振り返っても、初めから学校やスポーツの世界で暴力が市民権をもっていたわけではない。

体罰を克服するためには、まずは暴力が蔓延るようになった歴史的経緯の理解が必要だろう。結論的にいえば、日本の学校やスポーツ界の暴力的体質は戦後に生まれたものであり、これを正常化するためには、欧米諸国のような環境に近づけることが必要である。第一に、スポーツ活動を学校単位から地域単位に移行させること。第二に、競技実績によってではなく、指導者としての能力によってコーチを選任する仕組みへと変えていくこと、の二つである。既得権益化している競技団体などの抵抗を排除しながらの改革となるうえ、体罰が習慣となってきた歴史を考えれば、その過程は長い時間と忍耐強い努力が必要となることは覚悟しなければならない。

学校・スポーツ界の暴力体質は戦後から

日本の学校やスポーツ界で体罰が蔓延するようになったのは第2次大戦後のこととする説が有力である。戦後、教員不足のなかで復員兵たちが大量に臨時教員に採用された。軍隊で上級兵による理不尽な暴力を経験してきた彼らは、そのまま学校に暴力的な文化を持ち込んだというのである。
戦前の学校に暴力的環境がなかった――少なくとも支配的ではなかった――理由は二つあげられる。ひとつは、師範教育は儒教的徳目を大きな柱にしており、子どもを暴力によって従わせるという発想はなかったことである。いま一つは、学校教育を普及させるため、明治政府は国民や生徒たちに対し、時には下手にでなければならなかったことである。学制公布以来、学制反対一揆などの抵抗を経て、国民皆学が実現するまで30年以上かかっている。義務教育の普及は政府の妥協の過程でもあり、教師が生徒に一方的な暴力を振う場面はありえなかった。
ただ1925年に「教練」が新設され、各学校に配置された将校が軍隊的文化を持ち込んだと考えられるが、エリート候補であった旧制中学・高校の生徒は軍人文化に対して基本的に否定的であり、軍隊の文化が学校教育全体に浸透することもなかったであろう。

スポーツも暴力とは無縁だった

また日本の近代スポーツは明治以降、欧米から輸入され、有閑階級の活動として旧制中学・高校あるいは大学で受け入れられて普及した。その際、スポーツのルールやマナーに武士道精神に通ずるものをみる意識もあり、粗暴な態度は否定された。現在、高校野球の球児たちの丸刈りは見慣れた光景となっているが、それも軍事教練が導入された頃から定着したという指摘もあり、丸刈りに象徴される精神主義も、軍国主義の下で醸成されてきたものだ。

諸外国はどうか

体罰に関してはイギリスやアメリカの一部地域のように法的に容認されているケースもあるが、その場合の手続きや叩く方法などは明文化されており、これから逸脱すれば教師の責任が問われる。ましてや放課後の自主的活動の指導のなかで教員(あるいはコーチ)が暴力を振えば、傷害事件としてすぐに訴えられる。
また子どもにとってスポーツは、冬は室内競技、夏は屋外競技、と季節によって異なる競技を楽しむものであり、バランスのとれた体の成長を図ることが期待されている。日本のようにジュニアから野球一筋というようなことはない。そこには指導者による人格的支配関係も生まれにくい。

またスポーツ・文化活動が基本的に地域社会単位で営まれているヨーロッパでは、コーチはボランティアも含めて指導者としての教育・訓練を受けており、選手たちに対する暴力による威嚇、強制などがあれば、指導者として失格の烙印を押され、スポーツの世界から永久追放となるだろう。
世界に通用するトップアスリートの養成には、ジュニア段階からの科学的で系統的な指導が不可欠だ、とする考えが国際的な常識になりつつある。日本でも以前から水泳やフィギアスケートなどの競技では、有力選手は学校以外のルートから輩出されている。指導法を学ぶ機会もないまま監督になった教員が密室で指導しているのでは、有望な選手の成長を阻害することにもなりかねない。また国際大会の会場で、日本の指導者が公然と選手に暴力を振っている様子を見られ、奇異な印象を与えているようでは、オリンピック招致どころではなくなるだろう。
スポーツ指導の体罰を克服するためには、学校単位の部活動から地域単位の活動に移すこと、また競技成績を残した選手をコーチにする現状を改め、指導の専門性をもったコーチを養成する仕組みを整えることが必要である。すでに少子化の進行によって学校単位の部活動が成り立たなくなっている地域も多い。また指導者としての優秀さが現役時代の競技成績とはあまり関係ないことも、広く理解されるようになっている。具体的で実行可能な提言ができる研究者、長期的視野をもつ政治家や官僚、改革の必要性を理解する地域の教育関係者などの間で協力関係が作られることが、当面の課題であろう。
なお、この問題で橋下大阪市長の果たした役割は、必要以上の混乱を引き起こし、問題の本質を見失わせるものであった。彼が府知事として制定しようとした教育基本条例案には、法律用語で体罰を意味する「有形力の行使」を容認ないし奨励する条文があった。また橋下自身が桜宮高校の事件が報道された直後は、自分の経験(ラグビー)から体罰を容認する発言をしていたのだから、その後、突然の高校入試の中止から廃校までを口走る態度の豹変は、マスコミなどの論調の風向きに反応した結果であり、彼のポピュリストぶりがよく表れている。
また桜宮高校の事件では、学校教育のなかに組み込まれたスポーツ利権の有り様も明らかになった。週刊誌の情報などを見る限り、部活顧問が有力大学への推薦枠を握って、キャプテンを務めた生徒に提供する慣例があったようだ。野球では以前から、プロ球団や大学側から顧問に、相当額の「謝礼」が渡されると言われている。スポーツの世界にプロ化の波が広がり、有力選手が大学などの広告塔になるような環境が生まれ、コーチと選手の間に隠微な権力関係が形成されるのは、世界共通のようである。アメリカのアメリカン・フットボールやカナダのアイス・ホッケーのように、国民に人気のあるスポーツでは多額の金銭が動き、コーチによる選手の人格を無視した暴力を含む「指導」が問題化するケースが目立つ。この問題は、商業主義とスポーツの関係として、改めて扱われるべきものである。

小川 洋(おがわ・ よう)氏略歴
1972年早稲田大学第一文学部を卒業し、埼玉県立高校教諭(社会)に就職。1987年~94年文部省教育研究所(当時)研究協力者として調査研究に従事。2003年埼玉県立伊奈学園総合高校を最後に同県高校教諭退職。同年聖学院大学基礎総合教育部助教授に就任。2006年同大学教授、現在に至る。2003年東信堂より『21世紀にはばたくカナダの教育』上梓(編集および執筆、カナダ首相出版賞受賞)、2011年東信堂より『ロッキーの麓の学校から-第2次世界大戦中の日系カナダ人の学校教育』上梓(F. Moritsugu“Teaching in Canadian Exile”の翻訳、翻訳者代表、カナダ出版賞受賞)

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