何のために開催するのか東京五輪 - 未だにはっきりしない開催の意義づけ -

著者: 岩垂 弘 いわだれひろし : ジャーナリスト
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 2020年夏季オリンピックの東京開催が国際オリンピック委員会(IOC)総会で決定してから、すでに2年余。本来なら、開催に向けた準備作業が順調に進んでいていい時期なのに、もたもたしている。大会に向けた新国立競技場建設計画と、大会のシンボルとされる公式エンブレム決定の白紙撤回という不祥事が相次いだからである。まことに憂慮すべき事態だが、それ以上に気がかりなのは、いまだに2020年東京オリンピックのテーマというかコンセプトがはっきりしないないことだ。

 先日、所用があって、東京の明治神宮外苑を訪れた。その一角にあった国立競技場はすでに跡形もなかった。それは、今から51年前に開かれた1964年東京オリンピックのメイン会場だったが、そこに2020年東京オリンピック用の新国立競技場を建設するために早々と取り壊されたしまった。2020年東京オリンピックでは、この国立競技場を改修して使えばいいと私は思っていたから、早々と取り壊されたことに疑問を抱かざるを得なかった。

 とまれ、その巨大な跡地は、背の高い白い板塀でぐるりと囲まれ、中をのぞき見ることはできなかった。おそらく、広大な更地が広がっているのだろう、と思われた。
 白い板塀の前に立つ警備員の姿はちらほら。総じて人の気配に乏しい寂しい風景で、オリンピックを控えた活気は感じられなかった。

 なぜか。それは、新国立競技場の建設工事が大幅に遅れているからである。当初の計画では、建設工事はこの10月から始まるはずであったが、イラク出身の建築家、ザハ・ハディド氏のデザインを採用した新国立競技場の建設費が当初の見積もりを大幅に上回ることが明らかになり、政府は7月17日、新国立競技場建設計画を白紙撤回せざるを得なかった。
 政府は競技場設計案の再公募を開始したが12月末には設計案を選定し、来年1月か2月には工事に着工したい、としている。国立競技場跡地は更地のまま野ざらしという状態が当分続きそうだ。

 一方、エンブレム問題では、佐野研二郎氏がデザインしたエンブレムが盗作騒ぎを起こし、大会組織委員会は「国民の理解を得られない」として、9月1日に使用中止を決定、代わりのエンブレムの再公募に踏み切った。応募締め切りは12月7日だ。

 不祥事はその後も続く。11月6日付朝日新聞によれば、白紙撤回された新国立競技場の旧建設計画で、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)が昨年、契約書に河野一郎理事長(当時)の記名押印がないまま約25億7000万円の設計契約を結んでいたことが、会計検査院の調べで分かった。
 
 こうしたなんともみっともない事態を生じさせた関係団体、関係者の無責任ぶりには腹が立つが、大会に向けての準備作業に対する私のもう一つの不満は、大会のテーマというかコンセプトというか、要するに大会の主題が未だにはっきりしないばかりか、それを巡る国民的論議もないことだ。

 オリンピックはオリンピック憲章に基づいて開催されることになっており、そこには「オリンピズムの目標は、スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある」とある。過去の大会は、この規定をベースに、その時々の世界の状況や課題、加えて開催国の願望を反映した主題を掲げてきたわけである。
 
 1964年東京オリンピックは、どうであったか。
 私の書棚に古びた2冊のグラフがある。『毎日グラフ臨時増刊 オリンピック東京1964』(毎日新聞社、1964年11月3日発行)と『東京オリンピック 記念特集号』(国際情報社、1964年11月1日発行)。当時、私は全国紙の記者で、社会部取材陣の一員として東京オリンピックの取材に携わったことから、「将来、東京オリンピックを思い返すこともあるだろうから、その時の記憶回復のための手がかりに」と買い求めたのが、この2冊だった。

 2冊を、51年ぶりにひもといてみた。まず、『毎日グラフ臨時増刊 オリンピック東京1964』。1ページは開会式で入場行進する日本選手団のカラー写真で、キャプションは「世界は一つ 東京オリンピック」。
 『東京オリンピック 記念特集号』では、4~5ページの見開きに開会式の全景写真(これもカラー)が収録されており、キャプションの見出しは「この聖火のもと“世界はひとつ”」。キャプションの本文には「澄みきった青空の下に参加九十四カ国、六千人の若人が、『世界はひとつ』の東京大会の理想を結実させるために集まって来たのである」「自由諸国の国もあれば共産圏の国々もある。肌の色も違えば、宗教もまた国によって異なる。しかし、聖火の下に集まった若人たちの胸には国境もなければ、差別もない」とあった。
 
 念のため、『大百科事典』(平凡社、1985年発行)もめくってみた。「東京オリンピック大会」という項目があり、そこには「1959年のIOC総会で東京開催が決定されると、政府主導で大会組織委員会が設置され、国家の威信をかけた国策事業として取り組まれ、<アジアで初めて><世界は一つ>の標語のもと、聖火を国内4班に分けて全国リレーするオリンピック・キャンペーンがくりひろげられた」とあった。
 
 1964年東京オリンピックの主題は、「世界は一つ」だったのである。

 1950年代から60年代にかけての世界は、米国とソ連という2大核超大国が対決していた時代であった。50年に朝鮮戦争、54年にビキニ事件、56年にハンガリー事件やスエズ戦争、61年に東独によるベルリンの壁構築、62年にキューバ危機、64年にはトンキン湾事件が起き、米ソによる核軍拡競争は激化する一方だった。世界各国は米ソ両国からの囲い込みにあい、東西両陣営への分極化が進んでいた。だから、世界の民衆は緊張緩和と世界平和の実現を希求していた。1964年東京オリンピックが掲げた標語「世界は一つ」は、そうした世界の民衆の願いに応えたものだったとみていいのではないか。
  
 2020年東京オリンピックの招致にあたって、日本が掲げた大会のコンセプトは「復興五輪」だった。オリンピックを東日本大震災からの復興のシンボルにしようというわけだ。このため、安倍首相はIOCの総会での招致演説で「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御(アンダー・コントロール)されています」と胸を張った。
 しかし、その後、東日本大震災の復興は遅れており、東電福島第1原発の事故による汚染水問題も未解決のままだ。このため、「オリンピックを復興のシンボルに」という声はかすみがち。かといって「復興五輪」に代わるコンセプトの提案は関係団体からも国民の側からも聞こえてこない。
 
 20世紀は「戦争と革命の世紀」といわれた。21世紀こそ平和の世紀に、という世界の民衆の願いをよそに、21世紀は引き続き「戦争の世紀」の様相を呈している。すなわち、2001年の9・11事件を機に米国は反テロ戦争を始め、米軍の攻撃はイラク、そしてアフガニスタンに及んだ。アフガン戦争はまだ続いている。それに、解決のめどがたたないパレスチナ問題や深刻化するシリア内戦と難民問題。加えて、クリミア半島を巡るウクライナとロシアの争いと、激化する「イスラム国」(IS)によるテロ活動……。
 こうした今日の世界情勢に目を向ければ、2020年東京オリンピックの主題はやはり「平和」とすべきではないか。そう思えてならない。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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