Ⅰ.人類の歴史とエネルギー
人の価値
偉い人とはどんな人を言うのでしょうか? もちろん、この問への答えは、それぞれの人で千差万別でしょう。「末は博士か大臣か」という言葉がありますから、政治家や学者が偉いのでしょうか? 一時、女性が接待してくれるキャバレーなどでは、「社長!社長!」と呼ぶのが習わしだったといわれます。そうなれば、金持ちが偉いのでしょうか? 「身を立て、名をあげ…」「故郷に錦を飾る…」とは、いったいどうすることをいうのでしょうか?
米国の代表的な推理小説家レイモンド・チャンドラーの遺作に「プレイバック」があります。その中に、主人公の私立探偵フィリップ・マーロウの『If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.(強くなければ生きられない。優しくなれないなら生きる価値がない)』という言葉があります。
では、「優しい」とは何を意味するのでしょうか?
当たり前のことかも知れませんが、こういうことを考え始めると分からないことだらけです。
宇宙と人類
考え始めると気が遠くなるのは宇宙のこともそうです。この世で一番スピードの速いものは光です。1秒という短い間に地球を7回り半、30万km走ります。その光をしても1日たっても、1年たっても宇宙の果てには行けません。それどころか、100億年かけても宇宙の果てには到達できないというほどの広大さです。光が100億年かけて走る距離は約1×10の26乗メートルです。
古来中国の数の単位は、
一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、じょ(秭)、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数
とされてきました。1万までは10倍ずつ大きくなりますが、「万」から「億」に行くには1万倍大きくなり、それ以降は「万進」するのが、今日定着した数え方です。つまり、「万」は10の4乗、「億」は10の8乗、「兆」は10の12乗、「京」は10の16乗です。したがって、「1×10の26乗メートル」は100じょメートルとなります。「不可思議」は10の64乗、「無量大数」は10の68乗に相当するので、そこまで行くのはさらに大変ではありますが、中国でもすでに「京」以上の単位はほとんど使われなくなっています。いずれにしても想像を絶する遥かな距離です。
銀河系はその宇宙の中の一つの小宇宙ですし、太陽系はそのうちのまた一つの小々宇宙です。地球は太陽を回る一つの惑星で、46億年前に誕生したと言われています。地球が生まれた当初は火の玉でしたし、水も大気もなく、宇宙からは宇宙線という放射線が降り注いでいて、生命が存在できる環境ではありませんでした。その地球に大気ができて宇宙線を遮り、水ができてそれが溜って海となり、その海に最初の生命が誕生したのは約40億年前だそうです。大変原始的だったであろうその生命が進化を繰り返しながら、様々な生物種が生まれ、そして絶滅し、そして人類という生物種もこの地球上に生まれました。当初は、猿あるいはゴリラというような生物種が、ある日直立して歩けるようになったのが、人類と呼ばれる生物種の初めであり、およそ400万年~600万年ほどのことです。
エネルギー浪費の時代
もちろん、発生当初の人類は、他の生物と同じように、エネルギーを生み出すこともなく、自然に溶け込むように生きていました。その人類が火を使うようになり、道具を使うようになり、さらに狩りを覚えるようになったのが約10万年前と言われます。そして、農耕を覚え、集落を作って定住するようになったのが約1万年前のことです。その頃でも、人類が使うエネルギーなど微々たるものでしたし、自然に溶け込むような生活でした。それが劇的に変化したのは18世紀末に「産業革命」が起きてからのことです(図1(1)参照)。それまでに人類は、家畜を使うことを覚えていましたし、古代ギリシャや古代ローマでは「物言う道具」としての奴隷が戦争に使役されました。16世紀から18世紀には、ヨーロッパ、アメリカ大陸における産業をさせるために、アフリカから大量の黒人奴隷が連れ去られ、アフリカの社会は崩壊させられました。しかし、18世紀末に「産業革命」が起きて以降は、蒸気を発生させることで機械が動かせるようになり、奴隷解放の流れとも相俟って、地下資源を収奪することによって大量のエネルギーを使う社会になりました。
現在、私たちは扇風機、洗濯機、冷蔵庫、TV、照明などを使い、どこかへ出かける時は自動車、電車、新幹線、飛行機などを使います。そして、日本人一人ひとりは平均で毎日約12万キロカロリーのエネルギーを使っています。一人の奴隷を生きさせるためには一日当たり2000キロカロリーの食べ物が必要ですから、私たち一人ひとりが60人の奴隷を使役しながら贅沢三昧に暮らしていることになります。
愚かな人類
地球というこの星は、広大無辺な宇宙の中で命が根付けた貴重な星です。その地球に生命が誕生して以来、たくさんの生物種が生まれては絶滅していきました。46億年という地球の歴史を1年に縮めて考えれば、人類がこの地球上に現れたのは12月31日大晦日の夕方になってからのことです。その人類が大量にエネルギーを使い始めたのは、すでに述べたように今から200年前の産業革命からで、地球の歴史を1年と考えるなら、大晦日の夜11時59分59秒のことです。その刹那的な時間の中で人類が使ったエネルギーは、人類400万年の歴史で使った全エネルギーの6割を超えます。もちろん、そのエネルギーの使用は、地球上の多数の生物種を絶滅に追い込み、宇宙の中で貴重な星であった地球という生命環境を壊そうとしています。
図1 人類のエネルギー消費の歴史
産業革命以降の急激なエネルギー浪費の拡大
原始人 :100万年前の東アフリカ。食料のみ。
狩猟人 :10万年前のヨーロッパ。暖房と料理に薪を燃やした。
初期農業人 :BC5000の肥沃三角州地帯。穀物を栽培し、家畜のエネルギーを使った。
高度農業人 :1400年の北西ヨーロッパ。暖房用石炭、水力、風力を使い、家畜を輸送に使用した。
初期資本主義人:1875年の英国。蒸気機関を使用していた。
爛熟資本主義人:1970年の米国。電力を使用。食料には家畜用を含む。
Ⅱ.二酸化炭素地球温暖化説
地球温暖化の大合唱
現在、日本中で地球温暖化問題が大きく取り上げられ、その原因は二酸化炭素であり、二酸化炭素の放出を減らして「低炭素社会」を目指さなければいけないという主張が大々的になされています。そして、それを実現するためには二酸化炭素を出さない原子力を使うしかないなどという、私から見ると途方もない嘘が蔓延しています。
科学的な考え方の大切さ
現在言われている地球温暖化とは、地球の平均的な大気温度が、最近上昇していると言う主張です。しかし、地球の平均的な大気温度とは一体どうやって測るのでしょう? 東京の温度と札幌、あるいは那覇の温度では大きく異なるでしょう。東京と言う狭い地域に限っても、都心のコンクリートジャングルの気温と高尾山の気温では大きく違うでしょう。もちろん、世界を考えれば、北極、南極があり、一方には熱帯だってあります。それらの気温を「平均」して一つの数字にすると言うこと自体に大きな問題があります。
では、その「平均的」な大気温はどのように変化してきたのかというデータを図2(2)に示します。過去150年間に1度に満たない変化です。皆さん一人ひとりが自分の家の室内の気温、庭の気温、家の外の道路の気温、そしてその平均的な気温をどれだけ正確に測れるか考えてみてください。その上、今から150年前、日本はまだ江戸時代です。そういう時代にどれだけ正確にそれぞれの場所の大気温度を測ることができたでしょうか? その上、IPCCが依拠している地上の温度観測データの信頼性に問題があることも指摘されています(3)し、昨年11月には、温暖化しているとして示されてきたデータが実は偽造されていたことも発覚し「ウォーターゲート」事件をもじって「クライメットゲート」事件と呼ばれています。しかし、過去200年程度の長さを見れば、わずかではありますが、地球が温暖化しているということ自体は、おそらく本当でしょう。
一方、大気中の二酸化炭素濃度を示すデータは幾分正確です。特に20世紀の後半には、精度の高い測定がなされ、二酸化炭素の濃度が上昇してきたことが示されています(図3(4)参照)。
そして、仮に地球の大気温度が上昇してきたことが事実であったとし、二酸化炭素濃度の増加も事実であったとしても、その両者の間に因果関係があるのかないのか、もしあるとすればどちらが原因でどちらが結果なのかは別に証明しなければなりません。
地球平均の大気温度を推定することは大変難しいことであることはすでに述べました。それでも、大気温度を推定する方法には、植物に固定された酸素同位体の濃度を測る方法などもあり、たくさんの観測データを集めて、何とか少しでも正しい推定を得ようと努力が払われてきました。地球は46億年の歴史の中で、温かい時期も、寒い時期も過ごしてきました(5)。今から数千年前の中生代では恐竜たちが地球を支配していて、今よりははるかに温暖であったと考えられています。新生代に入っても、地球は4回の氷河期を経験し、今はその4回目の氷河期が終わった温暖期にあります。氷河期と温暖期の間には10度にも及ぶ大気温度の差がありましたし、大気中の二酸化炭素濃度も大きな変動をしたことが知られています(図5(6)参照)。
そして、その時には、大気温度の変化が二酸化炭素濃度の変化に先行しています。つまり、大気温度の変化が原因で二酸化炭素濃度が変化してきたのです。ところが、現在大合唱されている二酸化炭素地球温暖化説では、その因果関係を逆転させ、二酸化炭素の変化が大気温度の変化を生んでいると主張しています。
図3 大気中二酸化炭素濃度の変化
因果関係
すでに述べたように、人類がエネルギーを大量に使うようになったのは、18世紀末の産業革命からです。しかし、その中でも特に大量の化石燃料を使うようになったのは、第2次世界戦争が終わった1946年以降です。つまり、人為的な二酸化炭素が大気中に劇的に増加してきたのは20世紀後半のことです。では、地球の温暖化という現象はいつから起きてきたのでしょうか?
昨年米国の科学アカデミーが信頼できそうな6つの研究の推定値を1枚の図に示したものが図6(7)です。もしこの推定が正しければ、地球は西暦1000年ごろからずっと寒冷化の時期になってきて、それが、19世紀初めになって劇的な温暖化の時期に入っていたことになります。つまり、人類による二酸化炭素放出とは関係なく、地球は固有の性質として温暖化の時期に入っていたのです。二酸化炭素地球温暖化説の大合唱を支えてきたIPCCにしても、実は「20世紀後半の温暖化に限って人為的な二酸化炭素が主因だ」と主張しているにすぎません。たしかに、二酸化炭素に、地球を温暖化させる温室効果ガスとしての役割はあるでしょう。しかし、その大きさすらが正確にはわからないまま、コンピュータ計算を行って、このまま二酸化炭素放出を続ければ、大気温が急激に増加すると主張され、ほとんどすべての人がそれを信じ込まされているのが今の状況です。
図6 大気温の上昇は19世紀初めから始まっている
推定の不確かさは過去に遡るほど大きく、それを灰色のグラデュエーションで示した
原子力は最悪
二酸化炭素地球温暖化説は、現在多くの人たちが思わされているようには、確定した科学ではありません。ただ、もし地球が温暖化すれば海面下に沈んでしまうツバルのような国もあるでしょう。「先進国」の浪費のツケをそうした国に負わせないよう予防原則を適用し、一つの原因かもしれない二酸化炭素の放出を減らすべきだという主張は政治的には成り立つでしょう。しかし、もし本当に人類が放出する二酸化炭素が地球温暖化の主要因だとすれば、原子力こそ最悪の選択になります。
最近まで、国や電力会社は「原子力は二酸化炭素を出さない」と言ってきましたが、ごく最近になって「原子力は発電時に二酸化炭素を出さない」と宣伝文句を変えました。彼らが「原子力は二酸化炭素を出さない」と言ってきた根拠は、ウランの核分裂反応では二酸化炭素が生まれないからです。しかし、原子力を使おうとすれば、ウラン鉱山でのウラン採掘から始まり、製錬、ウラン濃縮、燃料加工などたくさんの工程が必要で、それらすべての工程で大量の化石燃料を使います。当然、たくさんの二酸化炭素を放出することになります。その事実があるため、彼らは宣伝文句を変えざるを得なかったのですが、問題はそのようなことでは済みません。たしかにウランの核分裂反応では二酸化炭素は生じませんが、生じるのは核分裂生成物、つまり死の灰です。二酸化炭素は地球上の生態系が成立するために必須の物質です。植物が空気中の二酸化炭素を光合成で固定し、それを動物が食べることで、生態系は維持されています。一方、放射性物質はいかなる意味でも生命体にとって危険なものです。それを不問にしたまま、原子力が二酸化炭素を出さないからクリーンだと宣伝することなど、著しい詐欺と言うべきです。
そのことに気付いた一人の若者が公共広告審査機構(JARO)に提訴し、JAROは専門家による審査委員会を作って検討し、以下のような裁定を下しました(8)。
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今回の雑誌広告においては、原子力発電あるいは放射性降下物等の安全性について一切の説明なしに、発電の際にCO2を出さないことだけを捉えて「クリーン」と表現しているため、疑念を持つ一般消費者も少なくないと考えられる。
今後は原子力発電の地球環境に及ぼす影響や安全性について充分な説明なしに、発電の際にCO2を出さないことだけを限定的に捉えて「クリーン」と表現すべきでないと考える。
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あまりに当然な裁定ですが、JAROは民間の機関で強制力を持たないため、国と電力会社はこの裁定を無視して、相変わらず偽りの宣伝を流し続けています。
永遠の隔離を求める原子力のごみ
すでに述べたように、ウランの核分裂反応は二酸化炭素を生みません。その反応が生むのは核分裂生成物、いわゆる死の灰です。それは生命体にとって決定的な毒物ですが、人類はそれを無毒化する手段を知りません。また、自然にも放射能を消す力はありません。そして、放射能には安全量がない以上、一度放射能を産んでしまえば永遠の毒物となります。原子力を推進する人たちはそれを100万年隔離すれば、安全なレベルになると主張していますが、そもそも100万年とは人類にとって永遠と呼ぶべき時間の長さです。私は科学に携わるものとして科学の有用性を十分に知っているつもりですが、一方、科学で分からないこと、科学では解決できないこともまた無数にあることも知っています。
これまで核=原子力に手を染めた各国は何とか100万年にわたる隔離方法がないかと捜し求めてきました。宇宙に棄ててしまう「宇宙処分」、海の底に埋める「海洋底処分」、南極に捨ててしまう「氷床処分」などが考えられましたが、どれも難しくて放棄されました。現在、日本の国や電力会社は、生み出した核分裂生成物は地下に埋め棄てにする「地層処分」を進めようとしています(図7(9)参照)。核分裂生成物をガラスに固め、ステンレスの容器に入れ、さらに鋼鉄のオーバーパックで覆い、それを地下300mから1000mの深さに埋めるのだから、内部の放射性物質が地表に出てくるまでには長い時間がかかるし、その頃には無毒なものになっていると彼らは主張します。しかし、私はそんな主張を認めません。100万年という長きに亘って安全を保証する力は科学にはありません。もし、彼らが本当に安全だと思っているのであれば、その毒物の埋め棄ての場所は電気の恩恵にあずかった東京など大都市にすべきでしょう。大都市の住民を説得する力がないため、彼らは財政の破綻した地方の小さな自治体に、カネと引き換えにそれを押し付けようとしています。
では、その核分裂生成物をどうすればいいのか・・・、申し訳ありませんが、私には分かりません。少なくとも埋め棄てにすることは誤りだと思いますし、一番大切なことは始末の方法を知らない毒物を生む行為は即刻やめるべきということです。しかし、日本に限っても、すでに広島原爆110万発に及ぶ核分裂生成物を生んでしまっており、私たちはそれが生命環境に出ないように監視する責任はあるでしょう。今、日本の国や電力会社が言っているような埋め棄てではなく監視を続けようとすれば、一体どのような施設で、どれだけの時間の長さにわたって監視を続ければよいのか、それすらが分かりません。どれだけのエネルギーが必要になるのか想像すらできませんが、原子力発電が生み出したエネルギーをはるかに超えるものになるでしょうし、想像もできない二酸化炭素を放出することになるでしょう。
大合唱の陰で隠される問題
過去に学ぶことは大切です。これまで人類の諸活動が生んできた多数の厄災のすべては二酸化炭素による地球の温暖化で引き起こされたのではありません。今現在も世界各地で続いている戦争、貧困、飢餓、水の枯渇、砂漠化、森林の消滅、酸性雨、個別地域での公害などなど、大変深刻な厄災はすべて、人間による直接的な行動が生んできたものです。人類が今後も化石燃料を使い続け、大気中の二酸化炭素の濃度が増え、そして仮にそのことが原因で地球が温暖化することがあったとしても、あえて言うのであれば、そんなことは瑣末なことです。それ以前に人類が蒙る厄災の重さはそれをはるかに上回るものになるでしょう。
今、日本では「低炭素社会」なる言葉が至る所で使われ、ほとんどの人たちが二酸化炭素の放出を減らすことが一番重要な問題だと思わされています。しかし、大切なことは「低炭素社会」ではなく「低エネルギー社会」を作ることです。もちろん化石燃料の消費を抑えることは大変いいことです。しかし、化石燃料が悪いから、原子力ならよいなどと言う主張は論外ですし、地球、あるいは世界にはそんなことより遥に重要な問題が今現在も山積みになっていることにこそ、目を向けるべきだと思います。
Ⅲ.核と原子力の世紀
核を知った人類
20世紀は戦争の世紀ともいわれます。第1次、第2次世界戦争が戦われ、世界中で何千万人もの人が殺されました。その中で、1938年の暮れ、当時はナチス政権下にあったドイツで、化学者のオットー・ハーンがウランの核分裂現象を発見しました。その現象で大量のエネルギーが発生することも分かり、世界は新たな爆弾製造に取り掛かりました。ナチスの手を逃れて米国に渡っていたアインシュタインをはじめとする科学者たちは、ナチスドイツがその爆弾を開発する前に、米国の手でその爆弾を作り上げなければならないと当時のルーズベルト大統領に進言しました。
米国は『マンハッタン計画』と名付けた原爆製造計画を立ち上げ、総勢5万人とも10万人ともいわれる科学者・技術者・労働者を秘密都市に閉じ込め、20億ドル(当時の日本の全国家歳出相当額)といわれる資金を投入して、原爆製造に邁進しました。その結果、1945年夏に3発の原爆が完成しました。すでにナチスドイツは5月に崩壊していましたが、米国は、完成した原爆の1発を、日本への降伏勧告を協議するポツダム会談に合わせて、7月16日、自国の砂漠で爆発させました。トリニティ(三位一体)と名付けられたその原爆は、半信半疑で見守る科学者や軍人の前で千の太陽より明るく輝きました。そして、爆心地付近では鉄をも溶かし、数km先の建物を壊し、実験動物たちを殺戮することが分かったその原爆は、次に8月6日に広島、8月9日には長崎という生身の人々が生きている街に落とされました。それぞれ十万人の人たちが短期間に死に至らしめられ、やはり十万人に及ぶ人たちが「ヒバクシャ」として、過酷な人生を送る運命を背負わされました。
原子力に抱いた幻の期待
その強大なエネルギーに対する怖れは、次に、それを未来のエネルギー源として使うことへの期待に転化しました。原子力で発電すれば、原価の計算ができないくらい安く発電できるなどという思い込みが多くの人の心に住みつきました。もちろん、そんなことにはなりませんでしたし、むしろ原子力などまったく経済性がないことが次第に分かってきました。その上、原子力を使ってしまえば、核分裂生成物という死の灰が不可避的に生み出されてしまい、万一であってもそれが環境に放出されるようなことになれば、まさに破局的な被害が出ることも分かりました。それが事実として示されたのが、今日、齋藤さんが報告してくれたチェルノブイリ原発の事故です。さらに、人類には死の灰を無毒化する力がないため、仮に事故を起こさずに原発が寿命を終えたとしても、生み出してしまった死の灰は永遠の毒物として残ってしまいます。その上、実は原子力の燃料であるウランなど実に貧弱な資源でした。
広島の原爆で燃えたウランは800gでした。それで広島の街は壊滅したのですから、そのエネルギーの厖大さが分かります。では、100万キロワットといわれる今日標準的になった原子力発電所を動かすためにはどれほどのウランが必要でしょうか? 1日ごとに3kgです。つまり毎日毎日原子炉の中で広島原爆を4発分爆発させるほどのエネルギーを生んでいます。1年動くためには優に広島原爆1000発以上のウランを調達しなければなりません。地球の地殻中に存在しているウランを全て掘り出して、原子力発電をしたとしても、化石燃料に比べれば数十分の一程度の資源にしかならないのでした(図8(10)参照)。
化石燃料がなくなったら原子力だ、原子力は未来のエネルギー源だと多くの人が聞かされて信じ込まされてきましたが、事実はまったく違います。
図8 再生不能エネルギー資源の埋蔵量
数字の単位は1×1021J
上段が「究極埋蔵量」、下段が「確認埋蔵量」
プルトニウムにかけた夢
そこで原子力を推進しようとする人たちがかけたのはプルトニウムを使おうという夢です。一口でウランと呼ぶ元素の中には核分裂性のウラン(U-235)と非核分裂性のウラン(U-238)があり、今日の原子力発電の技術で利用できるのはU-235だけですが、U-235はウラン全体の0.7%しか存在していません。そこで、ウラン全体の99.3%を占めるU-238を核分裂性のプルトニウム(Pu-239)に変えて利用しようというのです。その考え方は、実はすでに利用されていました。つまり、U-235で原爆を作るのではなく、U-238をPu-239に変えて原爆を作るという道です。すでに述べたように、1945年に米国は3発の原爆を炸裂させましたが、そのうち1発だけがU-235を材料に作られた原爆で広島に落とされました。残り2発の原爆は、Pu-239を材料にして作られた原爆でした。
ただし、Pu-239は地球上には全く存在しないため、人工的に作り出すしかありません。今日「原子炉」といえば、普通の人は発電を連想するでしょう。しかし、もともと「原子炉」とはU-238をPu-239に変えるために考えられた装置でした。そして、生みだされたPu-239を分離して取り出すために考えられたのが「再処理」という作業でした。「原子炉」も「再処理」もとてつもない危険を抱え、多大な被曝と環境汚染を引き起こしてきましたが、それでも原爆という超優秀な兵器を作るためにはどうしてもやらざるを得ないものとして容認されてきたのでした。
原子力をエネルギー源として少しでも意味のあるものにするためには、Pu-239を使う以外ありませんし、そのためには、Pu-239を効率的に生み出す特殊な原子炉と再処理が不可欠です。その特殊な原子炉が高速増殖炉です。しかし、高速増殖炉は暴走事故を引き起こしやすいこと、冷却材として水が使えないこと、人類が遭遇した最悪の毒物であるPu-239を大量に扱うことなど、技術的に大変難しい課題を抱えています。そのため、一度は高速増殖炉の開発に向かった核先進国もすべてその開発から撤退してしまいました。
図9 高速炉開発の歴史
国名の表記のないものはすべて米国の実験炉
日本の高速増殖炉計画
日本では、過去、原子力委員会が策定する「原子力開発利用長期計画(以下、長計)」に基づいて、民間の原子力発電所の設置も含めて進められてきました。「国策民営」といわれる所以です。その長計で、高速増殖炉開発の見通しが述べられたのは、1967年に出された第3回長計でした。その長計によれば、1980年代前半に高速増殖炉が実用化されるはずでした。実用化とは、日本の各地に高速増殖炉の実用炉が立ち、実際に運転されて発電することを意味します。1980年代前半といえば、今から四半世紀以上昔のことです。事実が示すように、そんなことはできませんでした。長計はほぼ5年ごとに改定されてきましたが、改定されるたびに、実用化年度は先に送られました。1987年度の長計では、目標年度は2020年代に延ばされましたが、それはすでに実用化ではなく、「技術体系の確立」でした。2000年の長計では、高速増殖炉は選択肢の一つだとされ、ついに目標年度を示すこともできなくなりました。2005年に「原子力政策大綱」といかにも大時代的な名前に代わって出された計画では2050年度に1基目の高速増殖炉を動かすとされています。この一連の計画で示された目標年度の数値は、初めは実用化、途中は技術の確立、最新の計画では1基目と、それぞれ意味合いが変わってきています。しかし、とにかく示された数字だけを並べてみると、実際の年が10年たつと、目標の年度が20年先に伸びています。10年たって、夢が10年先に逃げるのであれば、その夢には永遠にたどりつけません。しかし、日本の高速増殖炉開発の場合は、10年たつと目標が20年先に逃げていっています。つまり、こんな夢には決して辿り着けないということです。それにも拘わらず日本では、高速増殖炉開発にすでに1兆円を超えるカネを費やしてしまいました。この計画を立てたのは、原子力の世界に君臨する学者たちですが、彼らは誰一人として責任を取らないまま原子力の世界に君臨し続けています。私はこのような人たちは全員刑務所に入れるべきだと思います。
図10 高速増殖炉実用化の見通し
1987年の第7回長計では、目指す目標が「実用化」から「技術体系の確立」に変わっている。2005年の「原子力政策大綱」では「1基目の高速増殖炉の稼動」
日本が「もんじゅ」にかける隠された意図
原子炉を開発する場合、まず実験炉を作ります。そしてそれを基に原型炉、実証炉と作っていって、最後は実用炉を作ります。日本の高速増殖炉開発では、実験炉「常陽」が1980年に作られました。その炉の燃料を作るための工場が1999年に「臨界事故」を起こして2人の労働者が筆舌に尽くせない悲惨な死を遂げたJCOでした。その後、1994年に原型炉「もんじゅ」が作られ、1995年12月、発電も含めた全体の試験を始めようとした途端に事故を起こしました。そして2010年5月6日に運転を再開するまで、14年半にわたって停止したままでした。その間、「常陽」も事故を起こして、今現在停止中ですし、高速増殖炉実証炉は「もんじゅ」とは違った型のものになることも決まり、「もんじゅ」は原型炉としての役割も失いました。
それでも、日本の国がどうしても「もんじゅ」を動かしたいと思うことには実は理由があります。原子炉はすでに述べたとおり、プルトニウムを生み出すためにこそ開発された道具です。今、動いている日本の原子力発電所は高速増殖炉ではなく、軽水炉と呼ばれる原子炉を使っています。そして軽水炉においても、効率は悪いけれどプルトニウムが生み出されてきました。ただ、日本には「再処理」をする力がなかったため、日本の原子力発電所から出た使用済み核燃料を英仏の再処理工場に送ってプルトニウムを取り出してもらい、その量はすでに45トンになっています。それで、長崎型原爆を作れば、4000発できてしまいます。
ただ、ウランにも核分裂性ウランと非核分裂性ウランがあったように、プルトニウムにも核分裂性プルトニウム(Pu-239,Pu-241)と非核分裂性プルトニウム(Pu-238,Pu-240,Pu-242)があります。軽水炉の使用済み燃料中にできるプルトニウムの場合、核分裂性プルトニウムの割合が約7割で、残りの3割は非核分裂性プルトニウムが占めます。原爆を作る場合には、核分裂性のウランやプルトニウムが93%以上を占めていることが望ましいと考えられており、軽水炉の使用済み燃料から取り出したプルトニウムでは、高性能の原爆はできません。そこで、高速増殖炉の特殊な役割が、現れてきます。高速増殖炉の炉心の周りにはブランケットと呼ばれる領域を作り、そこで非核分裂性ウラン(U-238)を核分裂性プルトニウム(Pu-239)に変えます。そしてブランケットに生み出されるプルトニウムの場合、全体の98%を、この核分裂性のPu-239が占めることになります。つまり、超核兵器級プルトニウムです(図11(11)参照)。
高速増殖炉が実用化される、つまり日本中にいくつもの高速増殖炉が立ち並んで、発電し、未来のエネルギーを担うなどという時代は決してきません。しかし、たった1基であっても、そして原型炉と言われ、電気出力は25万kWと普通の原発に比べてもごく小型の「もんじゅ」であっても、もしそれを動かすことができれば、毎年250kgもの超核兵器級プルトニウムが手に入ることになります。
Ⅳ.どのように生きたいのか?
差別の上にしか成り立たない核=原子力
私は、1960年代後半に原子力に夢を賭けて、原子力の場に足を踏み込みました。安全で無限のエネルギーを供給するはずと思っていたその原子力発電所は、なんと都会には建てられないものでした。どんなに危険が大きくても、それを承知の上で引き受けるという選択はありえます。しかし、電気を使う消費地自体が引き受けられない危険を過疎地に押し付けるという選択をしてはいけません。
原子力発電所は強固な地盤がいるというのであれば、そうでない施設、たとえば使用済み燃料の中間貯蔵施設、廃物の埋め捨て場などは、都会が引き受けるべきですが、それすらしようとしません。自分たちの享楽的な生活をさせえるために生まれた危険、汚いものは全て力の弱い人たちに押し付けようとするのが原子力です。
また、原子力発電所を含めた関連施設では多数の労働者が働いていますが、被曝の多い作業は下請け、孫受け労働者にしわ寄せされています。国が示す統計データによっても、今日までに労働者が受けた被曝の96%は下請け労働者のものです(図12(12)参照)。
図12 原発労働者の累積被曝線量と予想されるガン死者数
ICRPのリスク係数を用いると死者数は1/8になる。
差別の世界を見る視点
人類の世界は戦争の世界でした、力の強いものが力の弱いものを支配し、ある場合には奴隷として使役して今日まで来ました。今現在も世界は力の論理で覆われ、世界各地で戦われている戦争は力の強い者たちが支配を強化するために行われています。そして、ほとんど全ての戦争は謀略で始められました、日本が満州侵略を始めた柳条湖事件は関東軍による自作自演の謀略でした。米国がベトナムに空爆を始めるために使ったトンキン湾事件も、米国の駆逐艦マドックスがベトナムのトンキン湾深く押し入って引き起こしたものでした。最近では2001年の9・11事件が、米国によるアフガニスタン侵略の口実に使われましたが、それもまた謀略です。その全貌はいまだに明らかにされていませんが、ペンタゴンに旅客機が突入していないことだけは明白です(写真参照)。攻撃を受けたというペンタゴンの建屋周辺には、衝突したという飛行機の残骸など何もありません。また飛行機の大きさを考えれば、建屋の破壊自体が小さすぎます。さらに、衝突直後の建屋は崩壊すらせずに、ミサイルが突っ込んだかのような穴をのぞけば屋根さえも崩落していませんでした。
米国がイラクを侵略したのは、イラクが大量破壊兵器を開発しているとの理由でした。それにはCIAを中心とするスパイ組織の謀略情報が駆使されました。しかし、イラク全土を占領し、くまなく探してみても大量破壊兵器はありませんでした。それでも米国は一片の謝罪をすることもなく、フセインは悪い奴だったなどと居直っています。日本の政府もそんな米国の尻馬に乗りながら一片の謝罪もしていません。
図13 世界の軍事大国10傑
そんな世界の中で人類はどのように生き延びて行くことができるでしょうか。その鍵を私は日本国憲法に見ます。現在、日本では憲法9条の改悪の策謀が進んでいます。憲法9条には、これ以外の解釈が出来ないほど明白に、軍隊を持たないと書かれています。それにもかかわらず、日本は世界屈指の軍事費を使う国で、巨大な自衛隊があります(図13(13)参照)。その憲法9条は、憲法前文に示されている理念に基づいたものです。その憲法前文は次頁右上のように書かれています。
解釈のしようのないほど明確に、軍隊ではなく、諸外国の公正と信義に信頼して自分の安全を守るというのです。そして、そのためには、全世界の国民が、ひとしく平和のうちに生存しなければならないと書かれています。「全世界の国民が、ひとしく」とあるとおり、一部の国が享楽的な生活を送り、一部の国はそれにひれ伏して生きなければならないという世界そのものが間違っています。
日本での核開発
原爆を作るために、決定的に必要な技術は3つです。一つはウランを材料にして原爆を作る場合で、核分裂性のウランだけを集める「ウラン濃縮」と呼ぶ技術です。残りの2つはプルトニウムを材料にして原爆を作る場合で、プルトニウムを作り出すための「原子炉」、作り出したプルトニウムを分離して取り出すための「再処理」という技術です。現在国連の常任理事国として世界を支配している米、露、英、仏、中の核兵器保有5カ国は、もちろん、これら核兵器製造3技術を保有しています。そして、他の国には核兵器を作らせないとして、核拡散防止条約(NPT)と国際原子力機関(IAEA)を作りました。それでも、インド、パキスタン、イスラエル、南アフリカなどの国は独自に技術を開発して原爆を作りました。パキスタンと南アフリカは「ウラン濃縮技術」を開発しウラン原爆を作りました。インドとイスラエルは「原子炉」と「再処理」を開発してプルトニウム原爆を作りました。朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮と表記)は原爆を作ったと自分で言っています。しかし、入手できる情報の限りでは、朝鮮には熱出力2万5000kWという小さな「原子炉」が一つありますが、再処理施設がありません。わずかなプルトニウムを生み出した可能性はありますが、それを分離できなければ原爆はできません。しかし、もし本当に朝鮮が原爆を作ったとすれば、「原子炉」の他、「再処理」を開発してプルトニウム原爆を作ったことになります。
ところが、非核兵器保有国でありながら、核兵器製造の中心3技術の全てを持っている国が世界に1カ国だけあります。日本です。
多くの日本人は、日本には平和憲法があるし、非核3原則もあるから日本が原爆を作ることなどないと思っています。しかし、日本政府の公式見解は「自衛のための必要最小限度を越えない戦力を保持することは憲法によっても禁止されておらない。したがって、右の限度にとどまるものである限り、核兵器であろうと通常兵器であるとを問わずこれを保持することは禁ずるところではない」(1982年4月5日の参議院における政府答弁)というものです。
また、外交政策企画委員会(外務省)が1969年に作成した内部資料「わが国の外交政策大綱」には、以下のように書かれています(14)。
「核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策はとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(能力)は常に保持するとともに、これに対する掣肘(せいちゅう)を受けないよう配慮する。又、核兵器の一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発する」
さらに、「個人としての見解だが、日本の外交力の裏付けとして、核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。保有能力はもつが、当面、政策として持たない、という形でいく。そのためにも、プルトニウムの蓄積と、ミサイルに転用できるロケット技術は開発しておかなければならない」という外務省幹部の談話は、日本が原子力に固執し続ける本当の理由を教えてくれます。
インドをめぐる動きが示す世界
インドは、カナダから輸入した原子炉を動かし、そこで生まれたプルトニウムを、独自に開発した再処理工場で分離して取り出し、1974年に原爆を炸裂させました。インドによれば、インドの原爆は平和目的だとのことでした。どんなに平和利用を標榜したとしても、原子炉と再処理の技術を持ってしまえば、原爆は作れます。核と原子力は同じものだという当たり前のことを実証したわけですが、それを受けて、当時のカーター米国大統領は、インドとの原子力協定を破棄し、インドには平和目的といえども、原子力技術を供与しないと決めました。さらに、再処理を行う限り、核拡散を防ぐことはできないとして、米国自身が商業用の再処理から撤退すると決めました。
カーター大統領に商業的な再処理を断念させたインドは、それ以降もNPTへの参加を拒否し、独自に核=原子力開発を進めました。米国から見れば憎むべき国のはずですが、2006年3月、ブッシュ大統領はインドを訪問し、原子力協定を再締結しました。なぜなら、米国国内ではすでに原発の新増設はまったくできなくなっており、米国の原発メーカーは崩壊の瀬戸際に立っていたからです。もちろん、ヨーロッパも原発の新増設はほぼ絶望ですし、日本すら自分の国内での建設スピードは激減しています。そうなれば、欧米、日本などの核=原子力産業は中国、インド、東南アジア、中近東など、これから人口増加が見込まれ、エネルギー消費量が激増する地域に原発を売りつけるしかありません。こうして、核拡散を防止するためにとられた政策を180度転換し、米国は自国の原子力産業の金儲けのために、インドとの原子力協定を再締結したのでした。現在、米国は日本もインドとの原子力協定を結ぶよう圧力をかけており、生き延びを図る日本の原子力産業の圧力で、日本もインドとの原子力協定を結ぶことになるでしょう。
ただただカネ儲けが優先する世界です。
未来への想像力
世界の状況は絶望的とも呼べるほど悪いと思います。私が生きている原子力の世界は特に悪く見えます。プルトニウムを使う世界がどのような世界か、想像してください。プルトニウムはかつて人類が遭遇した毒物のうちでも最悪の部類に属します。人を肺がんで殺すためには100万分の1グラムを吸入させれば済みます。もし、プルトニウムを未来の人類のエネルギー源にすると言うのであれば、それを100万トンの単位で使うことになります。当然、厳重に閉じ込めなければなりませんし、そのためには特別に厳重に管理された施設が必要になります。また、厳重に管理するためには、建屋など施設自体の物理的な管理だけではなく、情報の管理も必要です。
また、プルトニウムは数kgあれば、原爆が作れます。国はそれがテロリストの手に渡らないように厳重に管理することになるでしょう。もちろんこの場合も物理的な手段とともに情報の管理も含まれます。今現在も、ウラン燃料の移動すら厳重な機密とされていますし、核物質を取り扱う施設への入域は人的な調査も含め厳重に規制されています。私は、原子力の場にいながら、原子力を進めようとする国に楯突いている者ですので、今現在も厳重に監視されているはずと思います。
しかし、プルトニウムを大量に循環させる社会になれば、国は、全ての人をテロリストかもしれないと疑わなければなりませえん。なぜなら、国がテロリストと呼ぶ人たちは、自分がテロリストだと名乗るはずがないからです。そうなれば、私のような特殊な人間だけでなく、すべての人々が、国家の厳重な監視下に置かれるでしょう。そうでない社会を想像できる方がいるでしょうか? かつて、ドイツの哲学者炉ベルト・ユンクは未来のその社会を「原子力帝国」(15)と呼びました。そんな社会にしてまでなお核=原子力が必要だと思える人がいるとすれば、やはり世界は絶望するしかないと、私は思います。
優しさとは
強くなければ生きていけないというのは本当でしょう。優しくなければ生きる価値がないと敢えて言わねばならないということは、生きている人の中には、優しくない人がいるということでしょう。生きる価値がある優しさとは、一体なんでしょう? その優しさとは、生きる上で自分より困難を抱えている生き物に対してどのような眼差しを向けられるかで決まるものと、私は思います。
今日の世界では、一方には原子力を含め環境を破壊しながら享楽的に生活する人々がいて、核兵器を含めた強大な軍事力で世界を支配しています。その一方、11億の人たちが「絶対的貧困」にあえぎ、そのうち5億の人たちは飢餓にあえいでいます。そんな世界を超える道があるとすれば、それは唯一つです。
日本国憲法前文に「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とあるとおりですし、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という憲法9条を実体として実現させることです。そのための最大の障害が核すなわち原子力です。何よりも先に核=原子力を廃絶したいと、私は願います。
【文献】
(1) 原子力工業,第38巻,第5号,55頁(1992)の図に示されたデータを参考に作成
(2) Intergovernmental Panel on Climate Change, IPCC Forth Assessment Report (2007)
http:// www.ipcc.ch/ipccreports/ar4-syr.htm
概要や翻訳などは、たとえば、以下の環境省のURLに載っています。
http://www.env.go.jp/earth/ipcc/4th/ar4syr.pdf
(3) エネルギー・資源学会、「新春e-mail 討論 地球温暖化:その科学的真実を問う」、エネルギー・資源、2009年1月号10頁
THE HEARTLAND INSTITUTE, “Is the U.S. Temperature Record Reliable?”, (2009) http://rt.com/Top_News/2009-12-18/data-cherry-picked-climatologists.html?fullstory
http://us.asiancorrespondent.com/gavin-atkins-shadowlands/climategate:%20australian%20r
ecords%20under%20scrutiny などなど・・・
(4) 例えば、地球産業文化研究所の以下のURLから、第1次報告書以下各報告をダウンロードできます。
http://www.gispri.or.jp/kankyo/ipcc/ipccreport.html
(5) John Baez, “Temperature”, October 1, 2006
http://math.ucr.edu.home/baez/temperature/
(6) 赤祖父俊一「正しく知る地球温暖化、誤った地球温暖化論に惑わされないために」、誠文堂新光社(2008)
(7) Committee on Surface Temperature Reconstructions for the Last 2,000 Years, The National Academy of Sciences, Surface Temperature Reconstructions for the Last 2,000 Years(2008)
http://dels.nas.edu/resources/static-assets/materials-based-on-reports/reports-in-brief/Surface_Temps_final.pdf
(8)(社)日本広告審査機構、電気事業連合会宛の審査委員会「裁定」(登録番号A-08-05-020)、2009年11月25日
(9) 藤村 陽、「高レベル放射性廃棄物の地層処分」、第85回原子力安全問題ゼミ(2001/12/22)資料
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No85/Fjmr0112.files/frame.htm
(10) 通商産業省資源エネルギー庁官房企画調査課編,「総合エネルギー統計」,通商産業研究社(1999)、科学技術庁原子力局監修,「原子力ポケットブック」,日本原子力産業会議(1998) などのデータから作成
(11) “Report of INFCE Working Group 5”(1990)
小林圭二「高速増殖炉もんじゅ」、七ツ森書館(1994)289頁
(12) 原子力安全保安院によるデータ
http://www.meti.go.jp/press/20100729007/20100729007-2.pdf など
(13) ストックホルム国際平和研究所のデータ
http://www.sipri.org/yearbook/2010/files/SIPRIYB10summary.pdf
(14) 藤田祐幸、「日本の原子力政策の軍事的側面」、社会・科学・人間No.89(2004/7/15)p.24
(15) ロベルト・ユンク、山口祐弘訳、「原子力帝国」アンビエル(1979)
社会思想社の現代教養文庫として1989年に再版されています。
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PDFがダウンロードしづらいという指摘がありましたので、HTMLで再掲載しました。
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study323:100907〕