何度でも言う、「日本は唯一の被爆国」はやめようと -今夏の原爆報道を見て思う-

 日本のマスメディアはなぜ“被爆ナショナリズム”から脱却できないのだろう――マスメディアによる今夏の「8・6(広島原爆の日)報道」「8・9(長崎原爆の日)報道」を見ての感想である。これらの報道に、相変わらず「日本は唯一の被爆国」という表現が見られたからだ。そこには、不勉強で視野の狭い日本のマスメディアの一端が顔をのぞかせている。

 今夏の原爆報道で見られた「日本は唯一の被爆国」という表現を拾うと――
まず、朝日新聞。8月6日付朝刊社会面の続き物「核といのちを考える 断絶を超えて」の中に、「唯一の被爆国という言葉は外国人にはまっすぐ届かない」という大学院生の談話が出てくる。また、同月9日付夕刊の社会面トップ記事は、「被爆国の責務問う」と題して被爆地・長崎の被爆者や長崎市民の思いを伝えたものだが、その書き出しは「原爆投下から68年。『唯一の被爆国』は、被爆者の思いから遠ざかろうとしているのではないか」というものだった。

 読売新聞。8月6日付朝刊は「原爆忌 一段と高まる核兵器の脅威」と題する社説を掲げたが、冒頭部分に「唯一の被爆国として、いかに原爆の惨禍を語り継ぎ、非人道的な核兵器が二度と使用されないよう世界に訴えていくか」とあった。

 毎日新聞。8月6日付の同紙朝刊は3面総合面の「クローズアップ2013」で「核廃絶 日本二の足」と題する特集を組んだ。その前文書き出しが「唯一の原爆被爆国である日本の政府が……」

 東京新聞。8月5日付朝刊3面に「英、原爆投下に同意 広島1カ月前、米公文書で判明」という記事を掲載した。共同電だが、その中に「米国が広島に原爆を投下する約一カ月前の1945年7月、英政府が米側に対し、日本への原爆使用に同意すると公式に表明していたことが、4日機密指定を解除された米公文書で裏付けられた」「日本は唯一の被爆国でありながら、こうした事実は一般にはほとんど知られていなかった」とあった。
 また、8月10日付の同紙1面トップは長崎市の平和祈念式典の模様を伝えた記事だが、その中に「首相は式典のあいさつで、唯一の被爆国として『われわれは核兵器のない世界を実現していく責務がある』と訴えたが……」という記述があった。

 そのほか、全国紙の地方版でも「日本は唯一の被爆国」という表現が散見された。
ついでに言えば、今年の広島、長崎両市の平和宣言には「日本は唯一の被爆国」という表現はなかった。長崎市のそれは、日本のことを単に「被爆国」と表現していた。

 この問題については、私は本ブログでもこれまで3回にわたって論じてきた。2007年7日8日、2008年7月29日、2009年10月4日だ。そこで私が言いたかったのは、核による被害を語る時は「日本は『唯一の被爆国』」という言い方はやめたい、ということだった。

 その理由として、私は3つの点をあげてきた。
 第1は、広島・長崎への原爆投下によって被爆したのは日本国民ばかりではないという点である。いまでは、当時日本に在住していた、あるいは在住させられていた朝鮮人、それに、日本に滞在していた中国人、台湾出身者、東南アジアからの留学生、米国人・英国人・オランダ人らの捕虜らもまた被爆したことが明らかになっている。
 なかでも圧倒的に多かったのが朝鮮人で、広島では、当時5万人近い朝鮮人がいて被爆、うち2万人が死亡したと推定されている。長崎では、被災地内にいた1万2000~1万4000人の朝鮮人のうち1500~2000人が死亡したと推定されている。こうしたことから、「被爆者の約1割が朝鮮人」との指摘もあるくらいだ。要するに、広島・長崎で被爆したのは日本国民だけではなかったのだ。

 第2は、マスメディアが、長い間「日本は唯一の被爆国」という表現をあまりにも頻繁に使ってきたために、日本人の間にいつの間にか「日本人だけが原爆の被害者」といった認識が広まり、日本人以外にも原爆による犠牲者がいたという事実が、多くの日本人の意識から抜け落ちていったのではないか、というマスメディアで長年働いてきた私なりの反省であった。とりわけ、そうした言い方が朝鮮人被爆に対する無知と無関心を生んだのでは、というのが私が到達した結論だった。

 第3は、広島・長崎に投下された原爆でおびただしい人々が被害を受けただけでなく、原爆や水爆の開発途上でたくさんの人々が「被曝」していたという事実が明らかになってきたという点だ。「被爆」は核爆弾がもたらす爆風、熱線、放射線を浴びた場合をいうが、「被曝」は核物質や核爆弾の開発過程で放射線を浴びた場合を言う。
 これまで明らかになったところでは、米国では原爆開発過程で被曝者が出た。原爆の原料となるウランの採掘にあたった労働者や、ネバダ州で原爆実験が行われた際に実験に立ち会わされた兵士や実験場の風下の住民である。
 第2次大戦後は、米国が太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験により、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」乗組員やマーシャル諸島の島民が被曝。そればかりでない。旧ソ連、英国、フランス、中国による核実験も被曝者を生んだ。各国によるウラン鉱石採掘でも健康障害を訴える被曝者が出て、世界各地で問題になっている。
 いわば、核兵器開発による被害者は地球的な規模で広がりを見せているわけで、こうした実態を踏まえて、1970年代から、「被爆者」と「被曝者」とを分離せず、両者はいずれも核による被害者ととらえ、両者を合わせて「ヒバクシャ(hibakusha)」と呼ぼうという機運が内外の反核平和運動関係者の間に芽生えた。1977年に日本で開かれた、国際NGO主催の被爆問題国際シンポジウムは、宣言の中で「ヒバクシャ(hibakusha)」という表現を使った。
 さらに、その後、核による被害は一国にとどまらず、国境を越えたグローバルなものであるとの認識に達した日本の研究者グループは「グローバルヒバクシャ(globalhibakusha)」という用語を生み出した。

 以上のような経緯を踏まえて、私としては「日本は『唯一の被爆国』」という表現は避けたい、と言い続けてきたわけである。

 今回の一文では、この問題を考える上で一つのデータを紹介したい。6月に著名な物理学者が「岩垂君、こんなマップがある」と教えてくださったものだ。1980年に米国とソ連の医学関係者の提案で設立され、1985年にノーベル平和賞を受賞したIPPNW(核戦争防止国際医師会議、本部・米国マサチューセッツ州)が作成した「hibakusha Worldwide」という地図である。これは、ネットで検索すれば見ることができる。
http://www.ippnw-students.org/Japan/hibakushamap.html

 ここには、現在、hibakusha(ヒバクシャ)が居住する27カ国・地域の50地点が世界地図上に紹介されている。27カ国・地域とは日本、イラク、スペイン、グリーンランド、ロシア、米国、マーシャル諸島、キリバス、カザフスタン、フランス領ポリネシア、中国、チェコ共和国、オーストラリア、アルジェリア、ウクライナ、ブラジル、英国、フランス、アルゼンチン、南アフリカ、ニジェール、ナンビア、キリギスタン、インド、ドイツ、ガボン、カナダである。日本は広島、長崎、福島の3地点だ。
 ここでは、原爆、核実験、ウラン採掘、核物質流出事故、原子力発電所事故など、核による被害者をすべてhibakushaとしてとらえている。まさに、いまや核による被害者は国境を超えて地球全体に広がっているのだ。こうしたとらえ方が世界の共通認識になりつつあるといっていいだろう。
 そう考えると、「日本は『唯一の被爆国』」という言い方が、今や、いかに世界の常識とずれたものであるかが分かろうというものだ。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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