何故、従業員は朝礼の唱和を拒否しないのか?

醍醐聡東京大学名誉教授の御投稿「従業員は朝礼の唱和を拒否できるか?」を拝見いたしました。 先生は、憲法上の人権規定が労働の場において、尊重されていない現実に御立腹の御様子です。 そして弁護士の判例解説にまで批判を加えておられます。

しかし、私は、逆に、先生の現実離れした日本における労働者の人権保障の現状理解に呆れてしまいました。 失礼ながら、東京大学の教授方へは、大学当局から何等の人権侵害は為されていないのでしょうが、「労働者の人権、尊厳を踏みにじって意に介さない企業の『ブラックな体質』」は、日本においては、官民ともに大なり小なり共通して存在すると認められるのが常識でしょう。

そして、大多数の日本の労働者は「個人の思想・判断に立ち入るおせっかいは大嫌いだ。」と、公言出来ないのです。 それどころか、企業・官庁に身を捧げ、身を削って残業し草臥れ果てて過労死する人が後を絶たないのです。

そもそも、官民ともに多少とも労働組合運動に携わった人間ならば、そのようなことは当たり前で、自身の身を持って体験した事実です。 企業・官庁の意に反する者を差別するのは、普通に観られる現実で、それは、今更、憲法の人権規定を云々するのが憚られるような初歩的な現実なのです。 第二組合加盟(無ければ組合脱退)で会社側、又は、当局側に廻った職員と労働現場を撹乱する職業的労組役員(これが多いのです第一組合でも居ます)を除けば、思想・信条を理由に昇進で差別され、職場異動で差別され、給料、退職金はおろか、年金までも差別されているのが現実です。

私自身が、例証です。 私は、或る地方官庁に勤め、組合運動では職場労働者を裏切ることはしませんでしたので、その返礼に退職まで係長級職員に留め置かれました。 私の労働組合運動での先輩と同じ職階で退職したのです。 同じく就職した同期の大卒職員達の大半は、課長級以上へ昇進していましたので誰の眼にも差別は歴然でしたが、当局を訴えるにも証拠が掴めませんでした。 多くの上司が同情して呉れまして、人事当局へ昇進推薦文書を提出しても頂きましたし、革新系のみならず保守系議員にも問題にして頂きましたが状況は変わりませんでした。

そもそも、何処の企業・官庁でも、労働者を自己の都合よく教育し(洗脳)、出来れば自己の意思通りに奉仕させようとするのが通常一般に観られる傾向です。 でも、訴訟騒ぎになるのは、或る意味では、労務管理が下手だからです。 一般には、もっと巧妙で、訴えられるような真似はしません。 通常では、労働内容の変更に際しての研修や、昇進時の研修、更には、管理職のみの研修、等々で知らず知らずに価値観の変容を図り、職務や企業・官庁情報の伝達対象分離などで、労働者の階層分離を図るのです。

水面下で行われている差別・選別が現れるのは、石原・橋下コンビの教師処分・似非右翼宣伝を別にして、極一部の現象で、典型例は、「傾向経営」、又は、「傾向会社」に関わった事例でしょう。 これは、日中友好運動を巡り政治的見解を異にする社員を解雇したことに依り表面化した事件でした。 事件では、憲法の人権規定そのものを争うことは出来ませんでしたが(憲法の私人間直接適用は不可が通説・判例)解雇権の乱用は許されませんでした。

http://blog.livedoor.jp/cooshot5693/archives/52235782.html

傾向経営と政治的信条を理由にする解雇 日中旅行者事件 大阪地裁昭和44年12月26日判決 憲法判例集(仮)

今後は、新しい労働者差別・選別の道具として「セクハラ」を理由にした思想・信条の差別・選別や解雇等の処分が紛争になるでしょうし、解雇権そのものの法的見直しが日程に上がるでしょう。

どちらにしても、人権規定は、「憲法」典にあることに依って国民に保障されるものではありません。 それは、国民の不断の努力に基づき人権規定の実質化に依って齎されるのです。 正しく法を巡る実相は「権利のための闘争」(ルドルフ・フォン・イェーリングRudolf von Jhering)なのですから。

参考:

「権利の生涯とは闘争なのだ – 民族の、国家権力の、階級の、そして個人の闘争である。実際、権利は衝突の表現としてのみ意味を持っており、人類が自らを飼いならそうとする努力の顕れなのだ。残念なことに、権利は権力・不正に対し、今日の理性的な世界ではあまり用いられることのなく、不快で卑しまれるであろう方法で対抗しようとした。というのも、権利が社会闘争を真に解決しようとしたことは、今までにただの一度もなかったのだ。それよりも、権利が目指したのは、ただ単に、最終的な決定が下されるまでの間、どのように争われるべきであるかを規則に定め、それらの闘争を穏やかなものにすることであったのである。」(権利のための闘争〚原題:Der Kampf ums Recht〛)