作家アラン・マバンクゥ氏がマクロンに宛てた「大統領への公開書簡」 ~フランコフォニーに対する考え方が違っているのではないか?~

  アフリカ中西部のコンゴ共和国出身でフランスで法律学を学び、現在はカリフォルニア大学で文学を教えている作家のアラン・マバンクゥ氏。2016年には権威あるコレージュ・ド・フランスで黒人文学を講義したことでも現在、フランス語圏の作家の中で最も注目されるひとりである。そのマバンクゥ氏は祖国コンゴ共和国の不正選挙を嘆いて、かつてオランド大統領への公開書簡を発表したことがあった。今回はマクロン大統領への公開書簡である。フランス語を話す人々による想像の共同体であるフランコフォニーを国家プロジェクトにしようというマクロン大統領のフランコフォニーに対する考え方に植民地主義が根底に潜んでいることを指摘している。以下は公開書簡が最初に掲載されたヌーベルオプセルバトゥ―ルのリンクである。

https://bibliobs.nouvelobs.com/actualites/20180115.OBS0631/francophonie-langue-francaise-lettre-ouverte-a-emmanuel-macron.html

 大統領への手紙

あなたの11月28日のワガドゥグーの大学における講演や、あなたが私に宛てた12月13日の公的書簡において、あなたは私がフランス語やフランコフォニーの発展に寄与するように一連の文化振興プロジェクトに参加するように私に提案されました。

19世紀に「フランコフォニー」という言葉が使われたのは地理学者のオネシム・レクルスによるものが最初でしたが、レクルスの精神にょると、植民地の拡大という替わりに、もっと広大な空間をこの言葉によって創出しようとしたのです。そのうえ、彼の著書である「アジアを捨てて、アフリカを取ろう」(1904)では偉大なフランスを永続させるべく、根源的な2つの問いかけを行ったのです。「(偉大なフランスは)どこで蘇るのか?いかに持続させるのか?」

私たちの時代は何が変わったというのでしょうか?フランコフォニーは残念ながら未だに昔のフランスの植民地政策の延長のように感じられます。もう一度、フランコフォニーというものについて考え直すことが必要です。それはフランス語を守る、という意味だけに尽きるものではありません。そもそもフランス語は脅かされているわけではまったくないのです。フランスには(不必要に)あたかも自分で自分を鞭打つようにフランス語を守ろう、と宣言する傾向があるように思われます。しかし実際にはフランス文化も、フランス語も世界の中で十分にその地位を保っているのです。

フランス中世の文学の最良の研究者はアメリカ人たちです。北米における学生たちはフランスよりももっとフランコフォンの文学に関心を持っています。多くのアメリカの大学はフランス国家の支援なしにフランス文学やフランコフォン文学の研究科を創設し、維持しています。フランスで生まれた著者ではない場合、フランス語で執筆されると大抵は英訳されます。Ahmadou Kourouma, Anna Moï, Boualem Sansal, Tierno Monénembo, Abdourahman Waberi, Ken Bugul, Véronique Tadjo, Tahar Ben Jelloun, Aminata Sow Fall, Mariama Bâ, と言った作家たちがそうです。フランス文学はこれらの作家を周辺に追いやっていつまでも狭いフランス文学の定義に甘んじていることはもうできないでしょう。その手足はフランス語による想像の共同体の広がりとともに膨らむ一途なのです。

あなたも私もこの件に関して昨年10月にフランクフルトのブックフェアで話をする機会がありました。その時、私はあなたの行ったブックフェア開催式典におけるスピーチに対して公式に賛成しかねるという意見を表明しました。あなたはゲーテやジェラール・ド・ネルヴァルといった文豪にこそ言及したもののフランスの外でフランス語で執筆している作家については一切語りませんでした。そして、「ドイツはフランスとフランコフォニーを迎えてきました」と語ったのです。これではまるでフランスはフランコフォニーに含まれないみたいじゃありませんか!

そしてまた私は次のことまで言及しなくてはならないのでしょうか。「フランコフォニー国際機関」が決してアフリカの独裁政権や不正選挙や表現の自由の欠如と言った現状に対して糾弾しない、ということで強く非難されていることです。それらは独裁者たちが仕組んでいるもので、彼らが考えを述べ、人々を服従させている言語こそフランス語なのです。それらの独裁者たちはフランス語で書かれた憲法を踏みにじって権力の座につきましたが、あなたが大統領になるよりも先に生まれていたフランコフォニー国家群の諸政府の憤慨一つ呼ぶことがなかったのです。

思うに、あなたがワガドゥグーにおいて、若いアフリカ人に話をするのは素晴らしいことです。しかしながら、大統領、もしあなたがそれらの若い人たちに対して、異なる世代の人間として、歴史のページをめくりあげてあげればもっとよかったでしょう。彼らにフランス語が約束するところのもっと美しく、もっと高貴でフランス語と切り離しがたいもの、すなわち自由というものの権利を彼らが持っているのだと話してやることもできたのです。そうだったら、もっと価値があったでしょう。

それゆえ、現実のフランコフォニーというものには幻滅を余儀なくされる部分が含まれています。特に若者たちの夢を殺しているバナナ共和国といった国々の政治リーダーたちとフランコフォニーが親交を結んでいることを私は残念に思います。私は大統領が私の熟慮の上に決めた表現を受け入れてくださることを祈ります。すなわち、私はあなたのフランコフォニーのプロジェクトには参加しない、ということなのです。

Alain Mabanckou アラン・マバンクゥ
Santa Monica, le 15 janvier 2018

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion7289:180122〕