中野@南京さん
私の論点は前回のレスで尽くされていると言ってよいのですが、もう少しお付き合いすると、中野さんの「有効論」は価値形態論の構造をザクっと要約しているのだが、そんなことこの私が分かっていないと思っているのかしら?はあ?
価値形態論の一応の意義とやらを踏まえて私は議論しているつもり。
要は価値表現の非対称をいくら言っても、商品同士がそんな行為を行っているのを私は目撃したことはない、実世界にはない事態を想定するのは神学と同じ。
中野さんは「モノ」と表現を曖昧にしているが価値形態論は商品相互の価値表現の発展を追跡して、その中から必然的に貨幣が生まれると説いている。いいですか「必然的に」ですよ。となると現実世界でどうして我々は商品が貨幣に生成するのを観察できないのか。この点明らかに間違っているのではないですか。
貨幣が単なる交換手段でないことは、現実の貨幣の機能を観察することで出来ることで、神学的思考を介在させる余地はそこにはないし、そういう思考が有効であるとするのは、理論的には(政治的ではなく)反動であると言わざるを得ない。