保守派のユニークな「脱原発」論 -日本こそが世界に先駆けて全廃を-

著者: 安原和雄 やすはらかずお : ジャーナリスト・元毎日新聞記者
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 脱原発論が急速に広がりつつあるが、保守派の脱原発論は稀少価値といえるのではないか。その人物が旧皇族出身となると、興味が湧いてくる。しかも「3.11」後に脱原発派に宗旨替えしたのではなく、若い高校生の頃からだというから、筋金入りである。
 脱原発の理由として<原発には「和」と「愛」がない>を強調しているところもなかなかユニークであり、並ではない。といっても精神論に終始しているわけではない。原発に関する五つの「嘘」を解明し、<日本こそが世界に先駆けて全廃を>と呼びかけ、原発全廃へのシナリオを具体的に描いている。これでは原発推進派も脱帽するほかないだろう。(2011年7月23日掲載)

▽ 保守派がなぜ原発に反対なのか

保守派を自任する竹田恒泰さん(注)の著作『原発はなぜ日本にふさわしくないのか』(小学館、2011年6月刊)が話題を呼んでいる。保守派の脱原発論が珍しいこと、さらに皇族出身であることがその背景にある。
(注)竹田さんは昭和50年、旧皇族・竹田家に生まれる。明治天皇の玄孫にあたる。現職は作家、慶應義塾大学講師(憲法学)。『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)で、平成18年、第15回山本七平賞を受賞。『怨霊になった天皇』(小学館)、『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(PHP新書)など著書多数。

 竹田さんは著作の「はじめに」で保守派の自分がなぜ脱原発派であるのかについて次のように書いている。

 私は、皇統保守であり、皇室をお守りし、日本の素晴らしさを受け継いでいくために、著作や講演を通じて活動しているが、明白に「原発に反対」だ。なぜなら「原発には愛がない」からだ。
 私の反原発は、今回の事故がきっかけではなく、高校生の頃からの一貫した主張である。いまこそ、日本から原発を徐々になくすべきだと考えている。こう言うと、「それは保守の考え方ではない」と多くの方が反論される。しかしこれは保守の考え方と矛盾しない。それどころか本来、保守であればこそ、反原発でなければおかしいのである。
 (中略)まずは、保守も革新も、右翼も左翼も、先入観を排し、ニュートラルな観点から原子力発電とその運用が日本で起こしてきた問題を知ってください。その上で、本当に原発が日本にあって良い存在なのかを見つめ直そう。

 竹田さんは著作の中で原発に関する嘘について次の五つを挙げている
嘘① 核兵器を持つためには原発が必要 ― (正解)原発はなくても核兵器はつくれる
嘘② 原発が止まったら電気が足りなくなる ― (正解)原発の割合30%のカラクリ
嘘③ 少量の放射線は身体に良い ― (正解)放射線が身体に良いわけがない
嘘④ 原発の発電コストは安い ― (正解)いろいろ抜けている原発のコスト
嘘⑤ 二酸化炭素を出さない原発は地球を救う ― (正解)原子力は石油文明の一形態にすぎない
 以下では五つの嘘のうち②④を紹介したい。

▽ 原発に関する嘘 ― (1)「原発が止まったら電気が足りなくなる」のか?

 「原発が止まったら電気が足りなくなる」はかなり流布している説である。しかし本書は以下の点を挙げてこの説に反論し、「原発分の30%の電力が不足することにはならない」と指摘している。

 日本の電気の約30%は、原子力により賄われている。ではいますべての原発を停止した場合、どのくらい電気が足りなくなるか。単純に「30%足りなくなる」というわけではない。なぜなら各種の発電ごとに設備稼働率が大きく異なるからである。
 「発電施設の運用実態」をみると、夜から早朝までの時間帯は電力需要が低いため、多くの発電施設は止まっている。しかし原発だけは同じ出力で運転し続けていることがわかる。原発は一年間を通じて出力調整が「できない」のだ。原発はウラン燃料を臨界状態に保ち、その発熱により電気を取り出す発電方式であり、臨界は一つ間違うと核暴走になる危険性があるため、昼に出力を高めて、夜に出力を絞るといった出力調整ができない。
 定期点検を終えて炉を立ち上げると、一年間そのままの出力で運転が継続される。ちなみにチェルノブイリ原発(旧ソ連)の事故は原発を止めるときに起こった。

 原発はベース電源にしかならない。電気は貯めることができないため、発電した瞬間に消費しなくてはいけない。そのため夜間の最低電力需要のところまでしか原発をつくることはできないのだ。フランスでは総発電力の7割以上を原子力で賄っているが、これは地続きの欧州各国に原発の電気を売っているから可能なことであり、通常どの国も原発は3割程度までしか設置できない。
 夜間は主に原発だけが稼働していて、朝方になると徐々に火力発電を立ち上げ、昼から夕方にかけて水力発電を起動させる。夜になると水力と火力を止めていき、深夜はほぼ原発だけが動いている状態に戻る。このため原発の稼働率が高くなり、最新の2010年の実績では67.3%だった。原発以外の発電施設の稼働率は、毎年水力は2~3割程度、火力は4~5割程度と低い。

*すべての原発を止めても停電は起きない
 以上から日本中の原発をすべて止めたとしても、直ちに30%の電気が不足することにはならない。普段止めている火力発電や水力発電を立ち上げればよいのだ。
では原発をすべて止めた場合、どの程度電力不足が生じるかを考えてみたい。このためには発電量ではなく、電力需給が最大となる日の最大電力を、原子力を除いた発電設備だけでどれだけ賄うことができるかをみればよい。
2009年、日本の火力、水力、原子力のすべてを稼働させると、2億3664万㌔㍗を発電できる。このうち火力と水力発電の合計の設備容量は1億8779万㌔㍗だ。一方、同年の最大電力需要は8月7日で、1億5913万㌔㍗だった。ということは火力、水力の発電量だけで、最大電力需要を賄うことができて、なお約2900万㌔㍗も余る計算である。つまり原発を止めれば、停電が起きるというのは真っ赤な嘘なのだ。

▽ 原発に関する嘘 ― (2)「原発の発電コストは安い」は本当なのか?

 原発の発電原価は他の発電原価に比べて割安という説も原発推進派の言い分であるが、これも正しくない。本書の指摘は以下のようである。

 2003年に電気事業連合会が公表した「モデル試算による各電源の発電コスト比較」によると、1㌔㍗時当たりの発電原価は、原子力5.3円、液化天然ガス6.2円、石油火力10.7円、水力11.9円となっている。
 問題は原子力固有の経費であるにもかかわらず、コスト計算に含まれていないものがあることだ。遠く離れた電力消費地・大都市に電気を送るための送電線費用のほか、原発を誘致した地元に対し、国が払う交付金(電源開発促進税法などの「電源三法」による毎年4000億円以上)などである。

*原発が生み出した巨大な負の遺産
 一番問題なのは、使用済み核燃料の再処理と、高レベル放射性廃棄物の処理費用である。原発が生み出す「核のゴミ」は、1万年間も保管しなくてはならない。日本の原発が生み出す高レベル放射性廃棄物は、2027年までに4万本のガラス固化(高レベルの放射性廃液をガラス原料とともに高温で溶かして、ステンレス製の容器のなかで冷やし固めたもの)にされて保管される。六ヶ所村(青森県)の日本原燃の保管料実績によると、その費用は一本当たり8.5億円で、4万本全体で34兆円。このほか地層処分コストが3兆円かかるとされている。原発が生み出した負の遺産がいかに巨大であるかが理解できよう。
 ところがこれらの費用は発電原価に含めない。しかしいずれ国民が負担していくことになるのだ。にもかかわらず政府と電力会社はどのような理由で「原発の電気は安い」というのか。国民を欺くのもいい加減にしてもらいたい。

<補足データ>7月21日付毎日新聞夕刊(東京版)は特集ワイド「一番高い!? 原子力発電」で次のように報じている。
 大島堅一立命館大教授の試算によると、1970~2007年度の1㌔㍗時当たりの発電コストは、原子力10.68円、水力3.98円、火力9.9円で、原子力が最も高い。これは電源三法による交付金などを発電コストとみて計算し直したデータである。

▽ 日本こそ世界の脱原発をリードしよう

 本書の終章「日本が世界の脱原発をリードしよう」で、「日本こそ世界に先駆けて原発を全廃すべき」という見出しで以下のように指摘している。さらにここでは「原発全廃へのシナリオ」にも具体的に言及している。

 東日本大震災で日本人は、地震、津波、放射能の三重の苦しみを受けた。この震災により日本人は一つに団結し、忘れかけていた美しい日本人の心を取り戻すことができた。だが原発事故だけは余計であり、そこから得られるものなど到底なさそうに思えた。しかしもし原発事故に何らかの神の意思が働いていたとするなら、それは日本が世界に先駆けて原発を全廃させるべきことに違いあるまい。(中略)福島原発事故によって、確実に脱原発の流れができ、原発に頼らず経済を支えていく可能性が見えてきた。
 日本は、歴史的大事故を起こし、放射性物質を撒き散らしたことで、世界に多大な迷惑をかけてしまった。だからこそ率先して脱原発を実現することで、国際社会への責任を果たしていくことができる。

*原発全廃へのシナリオ
原発をなくす方法は、難しいものではない。原発が1基も稼働していなくても、真夏の最大電力を乗り越えられることはすでに示した。(上述の「*すべての原発を止めても停電は起きない」を参照)
 原発全廃への実現可能な具体的方法を示しておきたい。まず福島第一原発と浜岡原発は即時廃炉にし、全国の老朽化が進んだ原発を早い段階で廃炉にする。さらに10年以内に残りの原発を順次廃炉にする。その間 、7年以内に東京に600万㌔㍗程度、大阪に400万㌔㍗程度の最新のガス・コンバインドサイクル発電所を建設する。これにより比較的短期間で無理なく原発を全廃することができる。

 もう一つ、日本のエネルギー政策の根本的見直しも必要だ。その柱は電力を自由化し、電力会社の独占状態を解消させることである。まず既存の電力会社は、発電・送電・配電に三分割し、電力取引所を設置して、高度な電力の自由市場をつくる。
 これが実現すれば、「多少高くても自然エネルギーの電気を買いたい」という需要家も出てくることが予想される。発電の多様化はわが国のエネルギー政策を盤石なものにし、エネルギーの安全保障にも寄与する。すでに英国が高度な電力自由市場を実現している。英国から大いに学ぶべきだろう。

<安原の感想> ― <原発には「和」と「愛」がない>がユニーク

 日本人が本当に大切にすべき価値観は何か、原発よりもずっと大切なものは何か。それは「和」だ。和は調和を大切にし、人を愛するという意味を持つ。
 「和」を世界の人々に分かりやすい言葉でいいかえると「愛」になる。人の心の痛みが分かる。自分のためではなく他人(ひと)のことを優先し、公を尊重する。そうした美しさを追求していったのが日本の国柄であり、それはより普遍的に言えば「愛」なのだ。
 原発には「愛」がない。原発は日本的なものとはかけ離れ過ぎている。だからこそ、日本人精神をしっかりと身につけている人が見れば、原発がいかに傲慢で、他人を傷つけ、富めるものを富ませて、持たざる者にさらに追い打ちをかけていく仕組みなのか分かってくれるはずである。原発は日本にそぐわないのだ。
 東日本大震災で復興しなければならないのは、日本人の心のなかの「愛」である。私たちは「愛」を胸に刻んで、手を取り合いながら復興に励んでいこう。その姿を見た外国人たちに「和」の心の価値が伝わるだろう。世界に「和」の心が伝播すれば、世界から戦争が減るだろう。日本人は日本人だけのために復興するのではなく、世界人類のために復興すると考えたい。その一歩として脱原発への道を世界に示そうではないか。

 以上は終章における<日本は「和」の国>という小見出しつきの一節である。「和」を重視する竹田さんの日本人としての心情が浮き彫りになっている。原発には「愛」がない、という表現も本書には繰り返し登場している。要するに著者は<原発には「和」と「愛」がない>ことを強調しているわけで、ここら辺りが従来の多くの脱原発論とは異質でユニークなところである。しかも末尾の「脱原発への道を世界に示そう」という提案もなかなかの気概である。

 私が竹田さんの著作『原発はなぜ日本にふさわしくないのか』を買い求めたいきさつに触れておきたい。7月中旬、明治記念館(東京・港区)で日本経営道協会(代表・市川覚峯さん)主催の15周年特別企画講話「輝き出した日本の美しい心」があった。もちろん「3.11」後の日本のあり方、進路、再生策がテーマで、市川覚峯代表の「いま日本人の心の復興のとき」、松長有慶・高野山真言宗管長の「世界経済フォーラム(ダボス会議)が今、仏教に求めるわけ」と並んで竹田さんが「真の日本再生への道」と題して弁じた。
 笑いを誘う巧みな話術には感心するほかなかったが、その折の即売会で求めたのが上記の著作である。竹田さんの講話を聴きながら、日本人の国際性と多様性を実感した。

初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(11年7月23日掲載)より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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