倹約の文化

著者: 藤澤 豊 ふじさわ ゆたか : ビジネス傭兵
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フランクフルトから東に百キロちょっと行った小さな町に本社があった。歴史はあるのだろう、観光名所にはならない古い建物は残っていた。ただ、高々人口一万五千人の町、これといったものはなにもなかった。そんなところに本社があるものだから、年に何回かはその町に行かなければならなかった。そして行く度に不便で不自由な思いをさせられた。慣れればどうということもないという人もいるが、不便や不自由というのは、いくら慣れても変わりはない。慣れるというのはあってない。正しくは、こんなもんだと諦めることだと思う。行く度に二週間くらい町の旅館のようなところにお世話になって、前と同じように諦めた状態を納得させられた。あれもこれもひと通り納得した頃には、便利な日本に帰って納得したことがリセットされる。そして、次の出張で同じようなプロセスを繰り返す。

本社の近くに、小さいが外見はビジネスホテルに見えるのがあるのだが、ドイツ人の同僚がそこを敬遠して(?)、必ずこの夫婦と娘で切り盛りている旅館に泊められた。最初に泊められたとき以来、旅館の不便さを並べて、次はあっちのビジネスホテルにしてくれと頼んだが、こっちの方がリラックスできると言ってきかない。何か譲れない訳でもあるのか、いつも不便な旅館に留められた。

あの町で、あの旅館に泊まったら、必ず次のような不便や不自由を経験する。
1) 海外旅行用の大きなスーツケースを狭い螺旋階段で部屋のある三階まで引張上げる(下げる)のが大変。
2) 引張上げる(下げる)のに手間取っている内に螺旋階段の照明のタイマーが設定された時間に達して、消灯する。螺旋階段には窓一つないから、消灯すれば真っ暗闇になる。真っ暗ななかでスーツケースを引っ張り上げる(下ろす)ことになる。
3) 部屋には電話器がないから、モーニングコールは頼みようがない。日本にいる家族に無事着いたなどという電話はできない。時差の計算間違いを心配しながら、携帯電話のアラームを使うことになる。
4) ちょっと大きめのベッドになぜか幅の狭いシーツが使われている。シーツを二枚、左からと右から使っている。特別に頼みでもしなければ、一週間はシーツを替えてくれない。数日もすれば二枚のシーツの重なり合っている一端がベッドの中央でまるまって棒のようになる。その棒のようになったのを避けながら寝ることになる。これにはなかなか慣れない。
5)ランドリーサービスがない。綿のワイシャツはアイロンをかけなければ着れない。同僚のドイツ人に頼んで、特別にクリーニングサービスをしてもらった。
6)ちゃちなシャワーだけ、浴槽はない。冬は部屋が寒いので体を温めたかったが、それもかなわない。
7)昔ながらのスチームによる暖房。昔、夏場にたらいに水をはって行水したが、太陽に暖められた行水の水の方が遥かに暖かいというしろもので、秋以降は部屋で凍える。冬場の滞在では着れるもの全てを着ていることになる。
8)平日は朝食だけ用意される。土日は何もない。端から端まで歩いて十分程度のちんまりした旧市街に歩いて行って、食い物を探すことになる。土曜日は飲み屋に毛の生えたようなレストランが開いているが、日曜日はやっとの思いで開いているバーを見つけ、三食ともつまみのソーセージに野菜という食事になる。土日は街中の店が閉まっているから、できることは寂れたウインドウショッピングだけ。何もすることがないというか、しようがない。
9)旧市街には、高いといっても、周りより高いと言うだけの建物が二つある。教会と城だ。遠目に見ればディズニーランドの偽物の方がよほど立派に見える。旅館にいても退屈なのでほとんど人通りのない市街の端から端まで何度もあるいたが、コインランドリーと床屋は見つからなかった。
次の月曜日に同僚のドイツ人にコインランドリーと床屋が見つからなかったことを伝えたら、なんでそんなものがいるんだ。洗濯は家でやるものだし、オレの床屋はずーっと女房だと。

週末に飢えるので、食料の買い置きをしようと、金曜日に同僚に頼んで二人で早上がりして郊外のスーパーに連れて行ってもらった。早退して行かないと、午後五時かそこらで閉まってしまうという。これがスーパーか? 一歩足を踏み入れての第一印象は、まるで話に聞いていた、一般大衆消費材が足りない共産圏だった。人も物も閑散としている。日本のコンビニの方がよほど品揃えがある。缶詰以外の食料品の容器にはプラスチックや鉄、アルミでもなくリターナブル容器として瓶が使われている。飢えを凌ぐものをカゴにいれてレジへ。確か当時のレートで五円程度だったが、ここでスーパーバッグも買うことになる。

出張で行く度に同じ事の再確認と新しい発見があった。家庭でも事務所でも旅館ですら、もう町全体がはなから無駄というか消費(浪費?)を避けるようになっている。同僚が休みをとる理由が暖炉の薪拾いだったり、山にりんごを取りに、蜂蜜作りだったり。。。という文化があった。

自給自足などあり得ない商品経済が社会の中心で動いているのだが、そのなかでも自分達でできることは自分達でする。それが決して意気込んでものではなく、昔からフツーにされてきたことを今もしているだけという生活がそこにあった。缶ビールではなく瓶ビール、ヨーグルトや牛乳にしても紙パックではなく瓶入りで瓶は再使用。ゴミを減らそうという声を上げることが要らない社会。今風に言えば今風でない昔からのエコな生活が片意地を張ることなく自然体として根付いている。

そこには、市場経済化されない、自分達の自分達のための労働がある。日本には、それと全く反対方向に進んできた米国流の大量生産と大量消費がある。そこから排出されるゴミの処理がさらに市場経済を拡大する。自分達でできることをしないで業者に任せれば、業者の売上が国民総生産に勘定される。女房床屋は国民総生産に寄与しないが、街の床屋のお世話になれば国民総生産のプラスになる。短期の出張で見える範囲のことでしかないのだが、そこには、日本の感覚では当然のこととして行政まかせにしていることですら市民の、自分達でできることは自分達でいう社会があった。

米国流の市場経済化した消費の拡大による経済規模を誇る便利な日本と、不便や不自由に慣れるというよりそれを当たり前のこととして、自分達のことは自分達でという、贅肉の少ない昔ながらの生活文化のドイツ。似たような経済規模を誇る二つの国。どちらがより豊な社会なのか?問うことにも、比べることにも意味があるとも思えないが、またまだ、真摯に学ばなければならないことがフツーの日常生活としてそこにある。
企業が企業の利益をあからさまにしてか、地球レベルのエコを訴えての流行りのエコではない、足が地に付いたフツーの生活としての、歴史に裏打ちされた文化の体を成したエコがある。
便利に慣れすぎた日本人には不便この上ないが、行く度に納得されられた。不便だが、その不便を誇れる社会がある。

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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