薔薇マークキャンペーンの賛同人の一角に名を連ねたものの、恐らく、MMTの主唱者の学者の方が賛同人におられる関係からか、国債発行に性急さが見えるような気配がしましたので、その辺につき慎重さが必要と思われ持論を事務局宛にお送りしました。 特段に回答は期待していなかったのですが、丁寧に回答を頂きましたので、何らかのご参考になるかも知れないと愚考しまして開示させて頂きます。
―以下:引用
意見差出人: 熊王 信之
題名: 経済・財政政策について(意見)
メッセージ本文:
現時点の国家財政の大企業と富裕層偏重について糺すのが当然であり、税制の大企業偏重等を黙過して国債発行偏重の政策を最初から主張するのは現政権に免罪符を与えるものであり賛成出来かねます。
法人税と所得税の公正・厳正な課税と徴税に加えてタックスヘブン利用に依る事実上の逃税を国際的にも取り締まる策を講じ、消費税に偏重した課税実態を転換することが必要です。 税目の再編成も必要です。 大企業と富裕層優遇の税目と税率を糺すことが必要なのです。
課税と徴税体制の民主的再編と厳正な執務体制確立も必要です。 中小企業と貧者にのみ厳しい税務署の変革と再編が要るのです。
薔薇マークキャンペーン発 意見差出人(熊王信之)宛回答
熊王様
ご意見ありがとうございます。
ご指摘の点ですが、薔薇マークキャンペーンでは以下の項目を掲げています。
国債発行が先に来るのではなく、所得税や法人税の見直しまでの期間、つなぎとして国債を用いるという位置付けになっております。
1.消費税の10%増税凍結(むしろ景気対策として5%に減税することを掲げるのが望ましい。ただしこれは認定条件ではない。)
2.人々の生活健全化を第一に、社会保障・医療・介護・保育・教育・防災への大胆な財政出動を行い、それによって経済を底上げして、質の良い雇用を大量に創出する。(国政候補は「大量失業が続く不況時代には二度と戻さない」と掲げることが望ましい。)
3.最低賃金を引き上げ、労働基準を強化して長時間労働や賃金抑制を強制する企業を根絶し、人権侵害を引き起こしている外国人技能実習制度は廃止する。
4.大企業・富裕層の課税強化(所得税、法人税等)など、「力」の強弱に応じた「公正」な税制度を実現する。
5.(4.)の増税が実現するまでの間、(2.)の支出のために、国債を発行してなるべく低コストで資金調達することと矛盾する政策方針を掲げない。
6.公共インフラのいっそうの充実を図るとともに、公費による運営を堅持する。
詳しくはホームページをご覧ください。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
薔薇マークキャンペーン事務局
―引用終わり
さて、MMTとは関りが無い財政学畑の碩学からの提言があります。 これは、既に、19年も昔の小冊子ですが、岩波から出された「財政崩壊を食い止める―債務管理型国家の構想」と言う小冊子に纏められたものです。 著者は、神野直彦氏と金子勝氏です。
同著は、バブル崩壊後に山積した財政出動の残債の山を視野に置き、国家の再編と超長期に渡る債務整理を如何にするか、と自問された成果なのです。
国家の再編は兎も角も、19年前に、既に、一定時日における国債の償還が不可能と判断されたことに、衝撃を受けたものでした。
実は、それに加えて、私自身の些細な「投資」を巡る失敗が「インフレ恐怖症」の私の下地としてあるのです。 失笑されることを恐れずに告白しますと、些細な額でしたがユーロ投資の真似事をしたことがあるのです。 通貨投資では無く、ユーロで運用する投資信託をドルコスト平均法で毎月買っていたことがあるのです。 その運用結果が悪く、手じまい(強制償還)をされてしまったのでした。 いくらかの赤字を見て笑ったものでした。 初物食いの悪い癖が出た、と。 老後の蓄えを焦った挙句の失敗でした。 当時は、給与体系から退職金、そして年金まで制度改悪の企みが進行中でしたので対応を焦ったのでした。
それらを下敷きにした挙句が、国家の債務返済が不可能となれば財政の信任が無くなり、金利上昇を招き、ユーロ危機のような事態になるかも知れない、と言う恐れでした。 端的に言って、その恐れとは、インフレです。
ハイパーインフレとまでは言えない戦後のインフレであっても、幼い頃に経験したものは今でも記憶に残っているのです。
生まれて未だ数年の頃でしたか、大阪の河内の一角にあった百姓家の居間の一隅に箪笥があり、その引き出しに小銭が入れてあり、紙芝居屋さんが村の広場に来る日には、何がしかの小銭を持って外出しても良い、と亡母が言ってくれていたもので、或る日の昼にその引き出しから幾何かの小銭(紙幣)を引き出して村の広場へ行こうとしたのでしたが、気づいた亡母が「そんなお金を持って行っても何も買われへん(買えない)。」と言いながら、財布の中から私が目にしたことの無い硬貨を渡してくれたのでした。
世に言う「新円切替(しんえんきりかえ)」だったのです。
ドッジ・ライン( Dodge Line)で治まるまでの戦後インフレの凄さは、亡父からも聞かされました。 亡父は株屋(証券業)でしたので、戦争中に国債を大量に買わされていたのですが、戦後に償却された金銭を持ち闇市へ行くと、饅頭が一箱買えただけだった、と寂しそうに笑ったことがありました。
余談ですが、そんな金銭のことは未だ些細なことで、亡父は徴兵され中国(当時の呼称で「中支」)から比島まで転戦し、第二次バターン半島攻略戦で左足貫通銃創を負ったのでした。 本土に帰還後に肺疾患で除隊するまで「一銭五厘」の兵隊だった訳でした。
私のインフレの経験は、成長してからもあります。 故福田 赳夫氏の命名になる「狂乱物価」です。 消費者物価指数で、1973年で11.7%、1974年で23.2%の上昇ですので、戦後インフレとは比較しようも無い程のものでしたが、当時は私も、未だ就職して間もない頃でしたので、これでは生活が出来ない、と思われた程でした。 何より、メーデーの会場で出会った先輩の労働者達が殺気だった気配がした程でした。 それは、物価が一割も二割も上がったのでは生活が苦しくなるのが道理でしたから。
当時は、私も周囲も若かった。 でも500万所帯を超える「貧困高齢者」が居る時に、数十パーセントであってもインフレが生じると彼等の生活はどうなるのだろうか。そして、その中に私も居れば。
「『貧困高齢者世帯』は97年には211万世帯だったが、12年には倍以上の445万世帯に増加している。-中略-
50年代、60年代生まれが本格的に年金生活に突入すると、30年には「貧困高齢者世帯」は500万世帯を超えると予測されている。」
「完全に”詰んだ”「貧困高齢者」が爆増する 職なし貯蓄なし年金なしの三重苦」
2017.7.25 President Online
https://president.jp/articles/-/22652
債務は債務として管理し些細な額でも長期に渡っても返済しなければならない、と思います。 まさか破綻は無い、と思うのは間違い、と破綻した亡父の会社の自主整理の頃を思いつつ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion8741:190621〕